見出し画像

ゾラ|モーパッサン|ユイスマンス 他『メダンの夕べ 戦争と女たち』訳者解題(text by 足立和彦)

2025年10月28日、幻戯書房は海外古典文学の翻訳シリーズ「ルリユール叢書」の第53回配本として、ゾラ|モーパッサン|ユイスマンス 他『メダンの夕べ 戦争と女たち』を刊行いたします。本作は、エミール・ゾラ(Émile Zola 1840–1902)ギ・ド・モーパッサン(Guy de Maupassant 1850–93)ジョリス゠カルル・ユイスマンス(Joris-Karl Huysmans 1848–1907)アンリ・セアール(Henry Céard 1851–1924)レオン・エニック(Léon Hennique 1850–1935)ポール・アレクシ(Paul Alexis 1847–1901)の六名のフランス自然主義作家たちによる共作短編集です。
題名にあります、メダンとはパリ郊外の小村のこと。メダンのゾラ宅に、自然主義文学者ゾラに共闘の意を示す若き五人の文学青年たちが集い、ゾラと一緒に、普仏戦争を題材にした共作短編集を作ることになったことから、この題名に決まったという逸話があります。ゾラを除く五人の青年は二十歳前後で普仏戦争時に従軍。普仏戦争の現実こそ自然主義文学の対象にふさわしい題材と考えました。
戦場、野戦病院、兵舎、総司令部などにおける「現実」を直視し、戦時下の軍人や女たちの生を鮮明に描き出すことによって、戦争美化の言説に抗議の声をあげる——本作は、6名のフランス自然主義作家が普仏戦争を記録、諷刺した短編小説集です(本邦初完訳)。
以下に公開するのは、訳者・足立和彦さんによる「訳者解題」の一節です。


『メダンの夕べ』出版の経緯

 1876年4月13日から「公益」紙上において、叢書第七巻『居酒屋』の連載が始まった。ところが読者から批判が殺到し、六月七日までで打ち切られてしまう。作品は、当時カテュール・マンデスが編集長を務めていた前衛雑誌「文芸共和国」に引き継がれ、7月9日‐77年1月7日にかけて掲載される。本書の補遺に収録したエニックの文章(『メダンの夕べ』50周年記念版の序文)[01]にあるように、青年たちはこの雑誌の編集部や、あるいはフローベール宅でそれぞれ知り合い、親交を深めていった。彼らは毎週火曜日、モンマルトルのレストラン「マシーニ」(のちには「ジョゼフ」)に、木曜日にはゾラ宅に集まって文学や芸術を論じ合った(当初はオクターヴ・ミルボー[1848‐1917]も加わっていたが、77年5月にパリから離れたために離脱する)。

 労働者の世界を赤裸々に描く『居酒屋』は新聞連載時から議論を巻き起こした。当時、下層階級を小説の題材とすることは稀であり、労働者の生態を虚飾なく描くゾラの筆致、さらに彼らの話す俗語の使用は、保守的なブルジョアの読者には許容し難いものと映ったのだった。新聞・雑誌には辛辣な記事が載り、ある批評家はゾラを「文学的コミューンの首領」と呼んだ。こうした批判に対して憤慨した青年たちは、自分たちで『居酒屋』を擁護し、自然主義を喧伝することを画策する。

 当時キャプシーヌ大通り三十九番地の会場では連日講演会が行われており、日替わりで演者が舞台にあがっていた。そこで1877年1月23日、エニックは『居酒屋』に関する講演を行う。ゾラの小説はヴィクトル・ユゴー『九十三年』(1874)よりも優れていると断言して物議をかもしたという(共和政樹立に際して亡命先から帰国したユゴーは、文壇の最重鎮として崇められていた)。3‐4月にはユイスマンスがブリュッセルで発行の雑誌「アクチュアリテ」に「エミール・ゾラと『居酒屋』」を発表し、自然主義擁護の論陣を張る。「我々が望むのは、骨肉を備えた人間をその足もとにおいて描き出すことであり、その人物は自分が学んだ言葉を話す。つまりは脈動し、現に生きた存在なのである」

 批判がかまびすしい一方、『居酒屋』はスキャンダルのおかげでベストセラーとなった。この成功によって経済的余裕を得たゾラは、78年5月にパリ郊外の小村メダンに地所を購入する。みずから設計して家屋を増築すると、そこにこもって執筆に専念するとともに、年下の友人たちを迎え入れた。彼らが週末にやって来ると、ゾラの妻アクレサンドリーヌに温かく迎えられた。こうした友情と野心にあふれた交遊のなかから、やがて共作短編集のアイデアが生まれることになる。

 1880年4月17日、『メダンの夕べ』刊行と同時にモーパッサンは「ゴーロワ」紙に「メダンの夕べ どのようにしてこの書が作られたか」を発表する(本書補遺に収録)[02]。そのなかでは、メダンのゾラ宅で毎晩ひとりが一話を語り、それを集めて作品集ができたと述べられている。ボッカッチョ『デカメロン』さながらの情景だが、実際のところは、これはモーパッサンによる創作である。自然豊かで穏やかな田舎において、志を同じくする者たちが仲よく交流しているという物語を作ることによって、モーパッサンはアラン・パジェスの呼ぶ「メダンの神話」[03]の誕生に貢献したのだった(なお、ゾラはこのモーパッサンの宣伝行為には反対だった)。

 より事実に即した説明は、出版に先立つこと数か月、同じモーパッサンが師フローベールに宛てた書簡(1880年1月5日)に読むことができる。

親愛なる先生、
 このあいだ私がクロワッセに旅行した際に、我々の小説集についてお話ししたことをお忘れになったようですので、急いで事情をご説明しようと思います。最初ロシアで、ついでフランスの「改革」誌上に、ゾラは「水車小屋の攻防」という戦争についての小説を発表しました。ユイスマンスはブリュッセルで、別の「背嚢を背負って」という小説を出しました。最後にセアールが、自分が特派員を務めているロシアの雑誌に、パリ攻囲についてのとても興味深く、大変暴力的な物語を送ったのですが、「瀉血」というタイトルです。ゾラはこの二作品のことを知って、自分のと合わせて興味を惹く本ができるだろう、それは愛国色が薄く、特別な調子を備えたものになるだろうという意見を述べました。それで彼はエニック、アレクシ、そして私にも、それぞれ一作書いて全体を補うように勧めたのです。そうすると、ゾラの名前のおかげで本が売れて、我々ひとりずつ100か200フランを得られるという利点があります。我々はただちに仕事に取りかかり、シャルパンティエが原稿を受け取りました。本は3月1日頃に世に出るでしょう。
 この本を作る際に、我々には反愛国主義的な意図はまったくありませんでしたし、他のどんな意図もなかったのです。ただ我々が努めたのは、戦争について語る正しい調子を自分たちの物語に与えるとともに、デルレード流の盲目的愛国主義、偽りの熱狂を取り去るということでした。赤ズボンと銃を語る際にはそうしたものが不可欠であると、今日まで考えられてきたのです。将軍たちというものは、そろって最も高貴な感情や偉大で高邁な熱情に沸き立つ計算家であるのではなく、ただ他の者と変わらない平凡な人間なだけですが、加えるに飾り紐のついた制帽をかぶって、別に悪意があるのでもなく、ただ愚かさが理由で人間を殺させるのです。軍事を評価する際の我々の側のこの良心が、この本全体に奇妙な様子を与え、誰もが無意識的に熱くなるこの種の問題についての我々の意図的な無関心が、全速力の攻撃よりも千倍もブルジョアたちを憤慨させるでしょう。それは反愛国的なのではなく、ただ単に真実であるでしょう。もっとも、私がルーアンの人々について述べることはまだ真実には程遠いのです。

 モーパッサンの言うとおり、ゾラ「水車小屋の攻防」は、1877年7月「ヨーロッパ通信」(露訳、タイトルは「一八七〇年の侵攻のあるエピソード」)、ついで翌年8月の「改革」誌に発表された。ユイスマンス「背嚢を背負って」はベルギーの雑誌「アルティスト」に1877年8‐10月に連載され、セアールの「瀉血」はサンクト゠ペテルブルクで発行の「スロヴォ」に、1879年9月に「休戦」というタイトルで発表された(露訳)。79年末に他の三人がそれぞれの作品に取りかかる。なおゾラ、ユイスマンス、セアールは単行本収録にあたって推敲を行っており、とくに「背嚢を背負って」は初出との異同が大きい。

 この短編集を編むにあたって「どんな意図も」なかったとモーパッサンは述べているが、この言葉を字義通りに受け取ることはできない。現に『メダンの夕べ』巻頭の序文は、全体を通して「唯一の概念」、「唯一の哲学」が見られるとしたうえで、自分たちの「文学的傾向を公に明言する」ことが目的だと告げている(この序文は恐らくセアールが執筆したが、ゾラの手が入っている可能性もある)。「唯一の哲学」、「文学的傾向」といった語が「自然主義」を指しているのは言うまでもない(同様の言葉はモーパッサンの宣伝文にも見えるが、「自然主義」の語は意図的に避けられている)。一方で『メダンの夕べ』というタイトルは「ゾラ宅に集った者たちが夜な夜な語り合った物語」を含意している。仲間同士の「真の友情」を示すために選ばれたもので、(間接的に)自然主義の存在をアピールするものとなっている。

 『メダンの夕べ』という題は書物の中身には触れていないが、当初ユイスマンスは『滑稽な侵入』という案を出したといい、こちらはより直接的に作品集の内容を示している。すなわち1870年の普仏戦争を諷刺するという「概念」である。

 ゾラ以外の青年たちは1840年代後半から50年代前半の生まれであり、そろって二十歳前後に戦争に直面した(詳細はのちに触れる)。程度の差はあれ、彼らは戦争の「現実」を目の当たりにしており、フランスが敗北した結果、軍隊や政府に対して失望と憤りを抱いていた。のちにセアールは回想のなかで、自分たちの世代は「敗戦の子どもたち」であるとして次のように述べている。「この経験から彼らは懐疑主義者になっただろう。だがそれは熟慮された思慮深い懐疑主義であり、悲観主義を人生の特徴としている」(「パリ」、1896年1月6日)。

 しかし戦後十年が経とうという時期において、世間には対独報復を唱える声が響き、芸術の分野ではフランス軍の勇敢さを称え、ドイツ軍の残忍さを誇張するような愛国的作品が大衆の人気を博していた[04]。アルフォンス・ドーデの短編集『月曜物語』(1873)はその代表的なものである(有名な「最後の授業」が巻頭に置かれている)。先の引用のなかでモーパッサンが名を挙げていたポール・デルレード(1846‐1914)もまた、そうした傾向を代表する作家のひとりだった。

 デルレードは普仏戦争に従軍し、バゼーユの戦いで捕虜となるも脱走してさらに戦い続けたという経歴を持つ。1872年に詩集『兵士の歌』を発表、敗北にあってもなお勇ましいフランス軍の姿を平易な詩句で歌って成功を収めた(彼は1882年に「愛国者同盟」を設立、対独報復の主張を続けてゆく)。「戦争について語る正しい調子を自分たちの物語に与える」というモーパッサンの言葉は、そうした思潮に対して抗議の声をあげることを意味していた。ユイスマンスも『メダンの夕べ』を「愛国心と軍隊に反する」書物と呼び(79年12月13日、テオドール・アノン宛書簡)、セアールも次のように記している。「全体の印象は、僕たちは激しく非難されるだろうというものだ。一、僕たちの集結のために。二、僕たちが完璧な冷静さで述べているあまり愛国的ではない理論のために。それはポール・デルレードには似ていない。おお! まったく違う。それはより現実的なんだ」(80年1月18日、テオドール・アノン宛書簡)。愛国心を鼓舞して人々を報復に駆り立てようとする風潮に水を差し、理性と冷静さに立ち返らせること。そのような目的のもとに編まれた『メダンの夕べ』は、文学的なだけではなく、(ある程度まで)政治的な意味を担っていたと言えるだろう。

 感傷や空想を排し、生々しい「現実」や「人生」を描くことを主張する青年たちにとって、普仏戦争という主題は自然主義の理念を明確に示すのに都合がよいだけでなく、それによってスキャンダルを喚起し、自分たちの名を売り出そうという計画にも適っていたのである。

[01]Léon Hennique, « Préface », dans Les Soirées de Médan, édition du cinquantenaire, Fasquelle, 1930, p. 1-7.
[02]Guy de Maupassant, « Les Soirées de Médan. Comment ce livre a été fait » (1880), dans Chroniques, éd. Gérard Delaisement, Rive Droite, 2003, t. I, p. 67-70.
[03]Alain Pagès, « Le Mythe de Médan », Les Cahiers naturalistes, no 55, 1981, p. 31-40.
[04]Cf. Claude Digeon, La Crise allemande de la pensée française 1870-1914, PUF, 1959 (2e éd., 1992).

【目次】

 序文

  水車小屋の攻防  エミール・ゾラ

  脂肪の塊  ギ・ド・モーパッサン

  背囊を背負って  ジョリス゠カルル・ユイスマンス

  瀉血  アンリ・セアール

  大七事件  レオン・エニック

  戦闘のあと  ポール・アレクシ

 補遺一 (五十周年記念の再刊に寄せた)レオン・エニックによる序文

 補遺二 メダンの夕べ——どのようにしてこの書が作られたか

  註
  『メダンの夕べ』年譜
  訳者解題

【訳者略歴】
足立和彦(あだち・かずひこ)
1976年、京都府生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位修得退学、パリ第四大学博士課程修了。現在、名城大学法学部教授。専門はフランス十九世紀文学、とくにモーパッサン。著書に『モーパッサンの修業時代――作家が誕生するとき』(水声社)など。翻訳にアラン・パジェス『フランス自然主義文学』(白水社、文庫クセジュ)、アンリ・トロワイヤ『モーパッサン伝』(水声社)など。

安達孝信(あだち・たかのぶ)
1990年、石川県生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位修得退学、パリ第三大学博士課程修了。現在、名城大学外国語学部准教授。専門はフランス十九世紀文学、とくにゾラ、ユイスマンス。共訳書にミシェル・ウエルベック『ウエルベック発言集』(白水社)など。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。本篇はぜひ、ゾラ|モーパッサン|ユイスマンス 他『メダンの夕べ 戦争と女たち』をご覧ください。