現四通信はユリイカである | トラットヴィーヴァたけし
こんにちわ、音楽ライター・編集者 トラットヴィーヴァたけしです。
みなさん、ユリイカは知っていますか?
ユリイカという場所

1956年に創刊された思想・芸術批評誌『ユリイカ』。
そこでは、流行や売れ行きよりも、
「いま、この思考が必要かどうか」
「この言葉は、まだ名前を持っていないか」
が問われ続けてきました。
詩、哲学、文学、サブカルチャー、音楽、漫画、アニメーション、自炊、石、男の娘、妖怪、文字、ニート……
ジャンルの境界線は常に曖昧で、
特集号ごとにひとつの概念を徹底的に掘り下げる。
三浦雅士、福田和也、天沢退次郎、辺見葉子、高橋勇、東浩紀、大塚英志、北村紗衣、斎藤環、飯島洋一、サンキュータツオ、千田有紀、杉田俊介、吉本隆明、中原昌也、城戸朱理、倉石信乃、早坂類、田中庸介、宋敏鎬、峯澤典子、カニエ・ナハ、小野絵里華、大崎清夏、うにまる(林木林)
などなど著名な批評家、作家たちが紡ぐ
論考とも告白とも言える美しきテキスト群。
『ユリイカ』が守ってきたのは、
「わからなさを、急いでわからせないこと」
「思考の途中を、そのまま誌面に残すこと」
その姿勢でした。
現四通信に流れるもの
現四通信もまた、似ています。
完成度よりも、「途中の感じ」
説明よりも、「引っかかり」を大切にしている。
現代4コマである必然性が曖昧でもいい。
批評なのか作品なのかわからなくてもいい。
「これは何を読まされているんだ?」「雰囲気だけで意味がわからない」
という戸惑いごと、ページに残してしまう。
編集が意味を回収しないこと。
整理しすぎないこと。
それ自体が、編集の意志になっている。
ユリイカから現代へ
『ユリイカ』は、
完成された理論や結論ではなく、
思考が発酵していく過程を
半世紀以上、記録し続けてきました。
その姿勢は、
ZINEや個人出版、
インディーズな批評文化へと受け継がれています。
現四通信もまた、
現代4コマという形式の外側へにじみ出し、
「意味が定まらないからこそ考えてしまう」
「ズレているからこそ残る」
という感覚を肯定し続けています。
現四通信はユリイカである
ジャンルが曖昧でもいい。
読後に答えが残らなくてもいい。
それでも、なぜか気になってしまう。
そう考えると、
現四通信は、
現代の『ユリイカ』的な場所だと言えるでしょう。
もし『ユリイカ』が
4コマという形式に迷い込んだとしたら、
きっとこんな風景になっていた。
私は、そんな気がしています。
(文:トラットヴィーヴァたけし)
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