見出し画像

螺旋の記憶──Reincarnation:第2章【SFファンタジー】


第2章 記憶の濁流


プールでの出来事から数日が経った。
加納冬馬はいつものように高校の美術室でスケッチをしていた。

夏休み中も美術室は部室として開放されており、静かな時間が好きな冬馬は、ほぼ毎日顔を出していた。

描くものは何でもよかった。
壁際の棚に乱雑に積まれた画集の一群でも、誰かが丸めて投げた紙屑が屑入れに入らずに床に転がっている様子でも、目につくものは何でも冬馬の手で次々にスケッチされていく。


けれども、鉛筆を走らせる手が、ふと止まった──


最近、妙なことが続いている。


夜中に目が覚めると、見知らぬ風景が頭の中に浮かんで消える。
見覚えのない街並み、着たこともない服を着て、どこの国の言葉かも分からない異国語を話している自分。
見知らぬ人々が話しかけてくる時の親しげな笑顔。

そして、必ずといっていいほど、そこに姫野夏美の面影が重なる。


(……気のせいだよな)


姫野夏美の面影が浮かぶのは、彼女のことを考えすぎているせいかも知れない。


疼く心を持て余しながら、そう思った時だった。


「あ、堕天使くんだ」

彼女の声がした。

一瞬、心臓が跳ねた。

(え?)と思って顔を向けると、夏美がにこにこしながら美術室に入って来るところだった。


「その呼び方……何とかならない?」



冬馬は苦笑した。

遭遇の機会が増えた分だけ、冬馬は以前よりは緊張せずに話せるようになっていた。


夏美は小首を傾げた。


「ダメかな?」



「ダメと言うか……自分じゃない気がする」



「ふうん……。あ、そういえば、うちらの担任見なかった?」



軽く流された。
うちらの担任──化学の岩見先生を探している夏美にとって、冬馬の呼び名などどうでも良いことだったのかも知れない。



「ここには来てないよ」



「そっか……困ったな。プールの水質検査、岩見先生にしてもらわなきゃならないのに」



「もし見かけたら、水泳部の人が探してた、って言っとく」



「うん、お願いね」



軽く手を振って教室を出ようとした夏美は、すぐに駆け戻って来て言った。


「ねえ、加納くん。今度……私を描いてくれないかな?」

思いがけない申し出に、冬馬の心臓がまた小さく跳ねた。

「姫野さんを?   別にいいけど……描くのはデッサンとか似顔絵的な絵のこと?  それとも油絵? 」



「油絵で」


「わかった。僕も美術の課題があるから、描かせてもらえたら助かるよ。
モデルになりに来てくれたら、その日から描き始めるから、都合のいい時に来て」



「やった!  じゃあ今度ね」



夏美が嬉しそうに笑って立ち去ったあと、冬馬は鉛筆を再び動かした。

しかし集中できない。
できるはずもない。
何だ、この急展開は──願ったり叶ったりじゃないか。
胸の奥にわくわくする期待感と、何故か、ちりちりとした焦燥感が残っていた。



スケッチを途中で切り上げて、美術室を後にした冬馬は、ふらりと音楽室のある上の階へと足を向けた。
音楽室は普段は絶対に入らない場所だ。
楽器など殆ど触ったこともない。
小中学校の頃に授業で使った鍵盤ハーモニカとリコーダーぐらいだ。
高等科は美術か音楽のどちらかを選択科目として選べるので、冬馬は美術一択だった。


なのに、その日は足が勝手に止まった。
ドアが少し開いていた。
中から、柔らかな弦楽器の音色が漏れ聞こえてくる。
その音色が妙に耳に優しく、ひどく懐かしい気がした。


冬馬は吸い寄せられるようにドアを押し開け、中に入った。

──瞬間、音が止んだ。


誰かが演奏していると思ったが、中は無人だった。


教室の片隅に一脚の椅子があり、チェロがその横の壁に立てかけられるように置かれていた。
弓は椅子の上に無造作に放置されている。


弓を手に取り、チェロを引き寄せながら椅子に腰掛けた。
指が、自然に弦に触れる。
音が鳴る。
弓で軽く擦る。
また音が鳴る。



──そして、演奏を始めた。


冬馬自身、驚いていた。
チェロなど、一度も触れたことがない。
なのに、指は記憶をたどるように動き、弓が弦を震わせる。


低く、深く、記憶の底に眠っていた旋律が音楽室に満ちていく。


頭の中に、別の人生が流れ込んでくる。


異国の街。貧しいアパート。
自分はチェロ奏者だった。
妻が、病に臥せっている。
その妻の顔は──姫野夏美に、酷似していた。骨格も肌色も違う異国人なのに、何故かそう思った。

「もう、いいよトビー……あなたは、あなたの人生を生きて」


夏美──妻のエルヴァが、弱々しく微笑む。
冬馬──妻からトビーという愛称で呼ばれていたトビアスは、彼女の痩せ細った手を握りしめ、涙を堪えていた。
やがて妻は息を引き取り、トビアスは独り、チェロを抱えて生きていく──

演奏が、クライマックスを迎える。
弓が激しく動き、最後の音が長く尾を引いた。
その瞬間、冬馬の視界が白く染まった。



「加納くん……?」



白く染まった視界の中、音楽室の入り口に、夏美が立っているのが見えた。
隣には、音楽教師も驚いた顔で立っている。


「すごい……今のは、君が?」

教師が他にも何か言ったが、冬馬の耳には入らなかった。


椅子から立ち上がろうとした体が、ぐらりとかしぐ。



(まただ……あの感覚……)


夏美が慌てて駆け寄ろうとしたその時──彼女も、突然その場に膝をついた。


二人はほぼ同時に、意識を失った。



暗闇の中で、冬馬はまた見た。
無数の時間軸。


自分と夏美が、何度も出会い、何度も別れる光景。


頑強な男たちの腕で捕えられ、石室の檻に引き摺られていく夏美──アトラトナ。


彼女に駆け寄ろうとした刹那、長い槍で背中を刺される自分──クアウトリ。


病に倒れる夏美──エルヴァ。


貧しいチェロ奏者の自分──トビアス。


戦火の中で倒れる自分──リチャード。


故郷で自分の帰りを待つ夏美──アンジー。



それぞれの人生での名前までもが記憶の中から浮かび上がり、そして、いつも自分は、彼女を守りきれずに終わる。


(どうして……俺たちは……すぐに失うのに、めぐり会ってしまうのか……)



意識が遠のく中、冬馬は確かに感じていた。
この「記憶」は、ただの幻ではない。
自分の内側に、カルマのように、確かに、無情に、刻まれているものだ。


螺旋が、ゆっくりと、動き始めていた。


前へ  /      / 次へ


スキ&フォローありがとうございますෆ˚*

✦ ───── ✦ ──── ✦ ───── ✦

   *.˚‧º‧┈┈┈┈♡    ♡    ♡┈┈┈┈‧º·˚.*

マガジンへの追加ありがとうございますෆ˚*

この記事が参加している募集