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亜細亜への巡心旅 西安・咸陽篇#15_いよいよ帰国の途につくにあたって

人生初の海外での病院での治療を受けて、今日は日本に帰国する日です。

それでもまだガイドさんから「見学先がまだ残っていますから行きましょう」声をかけられて、向かうことにしました。

もう腹痛はありませんでしたが、食欲がなく、体力が回復していないので、私は待機して専用車の中で休憩していることにしたので、これから紹介するのはカミさんの写真をベースにしたレポートになります。

向かった先は【西北大学】です。

1902年創立の西北大学は、かつて長安とよばれシルクロードの起点として栄えた千年の古都、西安(陝西省の省都)にある総合大学です。略称は「西大」で、西北エリアで最も古い歴史を誇ります。
引用:中国留学ナビ

ガイドさんの専用車は、何事もなかったかのように大学正面門から入っていきます。校内の道路には、駐車された自動車がいっぱいで、そこを縫うように車は進んでいきます。そこには徒歩や自転車で学内を移動する学生さんも見られました。

少し空いたスペースに車は止まり、その先ににあったのは【橘逸勢勉学之地】という紀年碑。橘逸勢といえば、最澄や空海らとともに唐に渡った遣唐使の一員であるとともに、空海・嵯峨天皇とともに、三筆の一人に数えられる名書家として知られた人物です。

橘逸勢勉学之地 紀年碑

では、なぜ西北大学にこの記念碑があるのでしょうか。

ガイドさんの話を総合すると、西北大学は歴史・考古学・文化研究に強みを持つ大学であり、長安(現在の西安)は、かつて遣唐使たちが滞在した場所であり、東アジアの文化的中心として日本の文化形成にも大きく寄与したことから、橘逸勢をはじめとする日本と唐の文化交流の歴史を記念する意味で、紀念碑が建てられたと考えられます。

橘逸勢は藤原氏との政争に巻き込まれ、謀反の罪を被せられて伊豆へ流されてしまい、移送の途上、遠江国板築駅(浜松市北区三ケ日町)に差し掛かったところで病没してしまったとのこと。今でも京都市中京区姉小路通には、【橘逸勢邸址】が残されているようです。

歴史人
https://www.rekishijin.com/26159

では、西北大学の中にある【西北大学博物館】に向かいましょう。

※今回のレポートの多くは、【西北大学博物館/歴史博物館】のサイトを参考にさせていただきましたので、詳細をお知りになりたい方は、こちらのサイトをご覧ください。
https://bwg.nwu.edu.cn/zp1/lsg1.htm

西北大学 博物館

入場は無料で、予約なしで誰でも入場できるらしいですが、念のためご自身で確認してください。当日は、リニューアル後か新学期の開館初日だったようで、展示内容も見やすかった(よう)です。

まずは歴史館から入場してみましょう。

下の写真は、清朝時代の科挙試験用の絹のカンニング袋。

楷書で8万語以上が書かれており、中国の学者や文人にとって、キャリアを追求する方法は科挙試験に合格することだけだったので、一生懸命勉強する人もいれば、あらゆるカンニングの方法を考える人もいたらしい。

試験官に賄賂を贈るお金がなかったら、最も便利なカンニングの方法は、解答や論文を隠すことだった。後世に最もよく使われた方法は、衣服や靴、靴下に経典を隠すこと、あるいは衣服や身体にこっそりと書くことでした。文房具、食べ物、ろうそくなど、さまざまな私物も経典の密輸に使われました。

科挙における不正行為に対する処罰はどの王朝でも非常に厳しかったが、清朝では特に厳しかった。主な処罰は、足かせ、罷免、刑事罰だったとか。

清朝時代の科挙試験用の絹のカンニング袋

続いては甲骨文字
占いは天に頼り、国を治めるのは王様次第。魔女は宗教指導者であり神の化身であり、夏、商、周の王朝時代にはより大きな権力を享受していました。王の権威は占いの全過程に貫かれており、甲骨文字として知られる甲骨文に占いの結果(鑑定語)を選択的に刻むことにも反映されており、それによって占い行為の正しさと神聖さが強調されている。商・周の時代、占いには主に牛の肩甲骨や亀の甲羅が使われていました。その頃までに、占いは非常に洗練されていました。

西北大学博物館所蔵の甲骨文は、1950年に同大学歴史学部の陳志氏が、同じ江蘇省出身の劉郁氏(『老燕遊記』や甲骨文を記録した最古の作品『 鉄雲倉帰』の著者)から購入したもの。商王朝の房国は商王朝の敵国であり、しばしば商と戦争をしていました。この甲骨文は、房国と商の間の戦争について語っており、商王朝の房国の歴史研究にとって価値があります。

甲骨文字

この遺物は2004年に西北大学歴史博物館の副館長である賈麦明氏によって西安で偶然発見されたもの。 2005年8月24日、東京国立博物館で墓碑が展示された際、天皇陛下が直接訪問され、世間に大きな話題となったそうです。

碑の蓋は漏斗型で、青石で作られ、一辺の長さは37センチ、篆書で「尚義豊玉富君に贈る墓碑銘」という12文字が刻まれています。碑は白大理石で作られ、四角形で、一辺の長さは39.5センチ、厚さは7センチである。楷書で「尚義鳳玉靖公に贈る墓序文と碑文」と題され、石蓋には「国を本という」と刻まれ、台座には開元の年号が刻まれています。

碑文は発掘時に破損した状態となっていて、実際に残っているのは162文字。この遣唐使の名前は井、名は真成、出身は日本であったと記されているだけです。

この墓主である井真成が、遣唐使として皇帝玄宗から死後、尚邑豊玉の称号を与えられており、当時の中国と日本の友好的な交流を反映しています。

井真成の墓碑銘の簡単な紹介
唐に留学していた日本人留学生の井真成は、玄芳、吉備真備、阿倍仲麻呂らとともに、717年3月(唐の玄宗皇帝の開元5年、日本の元正天皇の霊亀3年の後の陽魯元年)に出発した第8次遣唐使の一員として中国に渡りました。彼は唐代の開元22年(734年)正月に、何らかの理由で36歳で亡くなりました。唐の玄宗皇帝は彼に尚儀鳳宇(五位の官)の爵位を与える勅令を出し、唐の長安の万年県の禅河東側の平原に正式な儀式をもって彼を埋葬しました。

井真成の墓石は2004年に西安の東郊の建設現場で発掘されました。

発掘後、西北大学博物館に収蔵されました。歴史資料には、遣唐使各隊の隊員や、玄奘三蔵、吉備真備、阿倍仲麻呂、空海、最澄、橘康生などの著名人などが記録されています。しかし、古代中国と日本の友好交流の歴史を築いたのは、これらの著名人だけではなく、名を残さなかった日本人留学生や僧侶も数多くいました。彼らは古代中国の先進的な文化を学ぶために、危険な旅を恐れず、荒波を越え、次々と中国へ渡りました

多くの人々が波立つ海に船とともに沈み、また多くの人々が様々な理由で異国の地で亡くなり、帰国することができなかった。西北大学博物館が収集したこの墓碑は、古代中国と日本との友好交流の歴史を示す重要な物証です。それは歴史的記録の空白を埋めるものです。

そのほか、日常生活の中で使われた櫛や食器、囲碁盤らしきものなどが展示されており、長安の都で長い間、埋もれていた貴重な遺物たちがここに集められていました。

今、西安(かつての長安)は、空前の開発ラッシュ。これまで中国は沿岸地域の開発が主でしたが、これからは内陸部の開発を進めると、中国政府が発表したこともあり、ここ西安も数年前から開発が進んでいますが、開発が進めば進むほど、手付かずの遺跡の発掘が次々と行われています。まだまだ人類史上見たことも無いような遺跡が出てくる可能性があります。

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さて、最後の見学を終えて、いよいよ帰国の途につきます。
ところが、私たちが向かう【西安咸阳国际空港】が、当日の2月20日からターミナルが増設(到着時は第3ターミナル)されたらしいのですが、中国も“4”という数字を忌み嫌うらしく1つターミナルが追加されたのに、第5ターミナルになっていました。ガイドさんが気を利かせて、最初だから場所が分からないだろうと、出発ロビーまで案内してくれることになりました。

中国語で空港は<机场>(ジーチャン)と言いますが、そのゲートも新設されていて、これからどれだけの観光客を受け入れることができるようになるのか、想像もつきません。

新設されたロビーには、中国の国力と歴史的な重厚感を演出するための装飾がふんだんに施されており、近代的な設備が取り揃えられていました。

当日はまだまだ開設されたばかりで人もまばらでしたが、これから兵馬俑をはじめとするさまざまな歴史的な遺跡を見るために、世界各国からここ西安に人々が訪れることでしょう。

審査ゲートに入る前に見えたのは<国际.港澳台出发>の文字。これは国際線のゲートということと、香港、マカオ、そして台湾へ向かう人たちの専用ゲートであることを示しています。すでに香港やマカオと並んで、台湾も明記されているところが、現在の国際情勢の複雑さを示していました。

私たちが向かう<中部国際空港>へは、中国東方航空MU2025便です。

現在、中国の方々は個人旅行をすることはできないので、団体ツアーで日本などへ旅行をすることになっています。今回、偶然お会いした中国人のツアーガイドさんによると、私たちと同乗する中国の方々は、中部国際空港を経由して大阪に向かい、関西地区を旅行して帰るとのこと。

機内は行きの上海便と違って空席が目立っていました。これが3月のシーズンになれば、満席状態になっていくのでしょうね。

お腹の調子がまだ回復していなかったのであまり食べませんでしたが、行きの機内食よりは、まあまあ美味しかったかな?うん、微妙ですけど。

帰りは直行便だったので、あっという間に<中部国際空港>へ。名古屋から4時間足らずの飛行であれば、本当に気軽に西安に行くことができることが分かりました。

体調を整え、中国の食に対する警戒心を解き、西安への好奇心が沸き立つようになったら、あらためて今回行くことはできなかった自前ツアーに挑戦してみたいと思っています。

まずはお疲れ様でした。
最後までご覧いただきまして、誠にありがとうございます。

#亜細亜への巡心旅


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