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現代アートの無防備な展示について〜「李禹煥展」で私も考えた〜

今日は思いつくままにつらつらと。

先日、国立新美術館の「李禹煥展」を見に行ってきました、と書いたと思うんですけど、その時に作品とは別にちょっと感じたことがありまして。

《関係項―棲処(B)》(2017年)ていう作品があったんですよ。

ル・コルビュジエが建築したフランスのラ・トゥーレット修道院を舞台にして、李が発表したものを、展示室で再現したものらしいんですけど、これ部屋中に平たい石が敷き詰められているんですね。石畳とはちがって、もっと不安定でごつごつした石です。なので歩く度に、ゴトゴトぐらついて石と石、石と床が当たる音がします。

でそこに、原始的な祭壇のようにも見える、石を積み上げた塔があったんです。それが作品なんですけど、その不安定さにハラハラしたわけです。

図にするとこんな感じ(たしか)

え、これ大丈夫なの?
こんな無防備に展示していていいの?

近づいてよく見ると、無造作に石を積み上げているようで、隙間隙間に小さな石をかませて安定させているようでしたが、それでもねぇ…。

ほら、足場も不安定な場所だから、悪気がなくても、たとえば…

子供とかがね…

こんな風になったらどうするの?と、勝手にハラハラしてしまうわけです。

かと言って、こんな感じにしたら

冷めますわね

一気に興ざめですよね。

で、これは現代アート系の展示と、私のようなあくまで作品を文化財としてとらえる立場での展示との違いなのかな、と思いました。

もちろん事故は万が一でもあってはいけないことですが、現役作家が自分で手がけるような現代アートの展示だと、「最悪の場合、つくり直す」という選択肢がどこかにあるように思います。

大地の芸術祭でクワクボリョウタの作品が、修学旅行できた中学生に壊されてしまった事件がありましたが、作者自身がその壊させた破片を利用していわば新しい作品を生み出したという出来事がありましたよね。

現代アートならこういうことができる、だから無防備でもいい、と言いたいわけではなくて、現代の作家は、なにも自分の作品が50年後も100年後も変わらずに伝えられいくことを期待して、制作したり出品したりしているわけじゃないんだよなぁと感じます。

その場限りだとしても、作品によって見る人の固定観念をゆさぶるメッセージを伝えることを第一に考えているんだろうな、と。

だから、現代アートを展示する美術館側もそんな作家のスタンスによりそって、展示方法を考えるわけでしょう。安全性(作品の、そして鑑賞者の)を最優先にしていたら、作品のメッセージが損なわれてしまう、そういうことですよね。

という特にオチのない話ですいませんが、よその美術館の展示方法をみるといつも発見があって楽しいです。

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そういえば、こんなことも書いてたなぁ。


バックナンバーはここで一覧できます(我ながら結構たくさん書いてるなぁ)。