さようなら「言語化」
「自分がなんとなく考えていたことが、明確に言語化されていてスッキリしました!」そんな感じのコメントがXでは飛び交い、書店では三宅香帆さんの『「好き」を言語化する技術』を筆頭に、「言語化」というキーワードの入った本がずらりと並んでいる今日この頃。
かく言う私も、美術にまつわる何やかんやを言語化することを生業としています。まぁ、美術は言葉で表せないものを表す手段ですから、美術について言葉で語るという行為は、本来言語化できないものを言語化するというジレンマを抱えているのですが。
それはさておき、今回話したいのは「そろそろみんな、言語化に疲れてきているんじゃない?」ということです。
さかのぼれば言語化ブームの前にメモ術・ノート術ブームがあって、私はこれが一続きだと考えています。
これらはいずれも「頭で色々考えているつもりなんだけど、思うような成果が出ていない」と感じている人に向けて、具体的な解決法を示すものです。
自分の思考をきれいにアウトプットするためのハウツーと言ってもいいかもしれません。
そうした背景もあって、「成果を出すためには言語化力が必要」「自分が考えていることぐらい上手く言語化できないようじゃ成功できない」そんな無言のプレッシャーのようなものが「言語化」という言葉につきまとうようになってきました。
それが続けば、そりゃ誰でもうんざりもしてくるってもんです。
そもそも今の言語化ブームって、AI前夜の置き土産のようなものでしょう。
もうみなさん実感していると思いますが、ChatGPTなりGeminiなりの生成AIが手軽につかいこなせる環境が整った今は、自分でも頭の中で整理がついていない段階でも、その思考の断片をAIにまるっと投げ込めば、「その視点はとても重要だと思います」みたいな褒め言葉とともに「あなたの考えは、次のようにまとめることができます。うんちゃらかんちゃら。以上です。さらに掘り下げる必要がありますか?」みたいな返答が瞬時に帰ってきて、はっきり言って言語化のコストは限りなくゼロに近づいています。
そんな状況で、脳のカロリーを大幅に消費する言語化を好き好んでやろうという人はだいぶ減っているはずです。
そうなってくると、優れたスキルに思えた言語化の粗も見えてきます。
冒頭に「自分がなんとなく考えていたことが、明確に言語化されていてスッキリしました!」という架空のコメントを出しましたが、これには落とし穴があります。
人は、言葉による筋道だった美しいアウトプットを見せられると、もともと自分ではそんな風に考えていなかったのに「自分が考えていたことはまさにこれだった!」と無意識にそっちに寄っていってしまう性質があるのです(というか私はそうです)。
また筋道を立てるということは、これも最近流行りの「ナラティブ(物語)」の力を使うということでもあります。
ひとつの物語を作るには、頭の中で無数に浮かんでいる事象の中から、まるで星座をつくるように、いくつかの事象だけを線でつないでいく必要があります。
星座のとなりにある星の輝きは無視されてしまうように、物語(言語化)に不要とされた感情、記憶、思考の断片は切り落とされ、言語化が完成した時には自分でもそれらを見つけることはできなくなってしまうのです。本当はとても大事な意味を持っていたかもしれないのに。
というわけで、何を言いたいかというと、そろそろ言語化の次の流れが来るんじゃないのかな、そしてそれはAIの普及という大きな変化とセットで考えないと見えてこないだろうな、ということです。
じゃあ、その先は何かという話は、まだ私が自分の中でうまく言語化できていないので次までの宿題で。やっぱり言語化力も必要ですね(笑)。
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