なんとなく好きだなぁ、の解像度を上げる作業[あなたの好きを誰かに説明できますか?]

美術館学芸員の仕事は、シンプルに言えば、美術作品の良さを伝えること。

作品解説を書くのも、研究論文を書くのも、作家論を語るのも、すべては作品の魅力を誰かに伝えるためです。

そのために、美術史という学問分野で、作品調査のやり方から、作品の精読、そしてディスクリプション(記述)を学びます。なーんて、ちょっとかっこつけて言いましたが、ようするに「自分がその作品を好きな理由をきちんと言語化する」技術ということです。

誰でも、一枚の絵をみて「なんとなくいいなぁ、好きだなぁ」と思うことがあるでしょう。
でも人から「え、どーゆーところが?」と面と向かって聞かれると、答えに窮しませんか?もしくは「理由はないよ。ただ好きなだけ」としか答えられなかったり。

ここで印象や感覚で語って終わりにするのは簡単です。でもそれでは他人の心を動かすことはできません。自問自答しながらその作品が心を揺さぶる理由を言葉にしていくのが、私たちの仕事です。漠然とした「好き」「気に入った」という感情を、「どこが?」「技法が?」「色づかいが?」「表現方法が?」「構図が?」と多角的に掘り下げて、「好き」の解像度を上げていく作業は、大変だけど面白いです。

そういえば昔、高校生の頃かな、いろいろな画集を見ていて、アルフレッド・シスレー(1839-1899)の絵がいいなぁと思っていたことを思い出しました。でも、自分でもなんで好きなのかよく分からなかったんですよね。何の変哲も無いヨーロッパの風景を描いてる、としか思えなくて。

シスレー《ヴィルヌーブ=ラ=ガレンヌの橋》メトロポリタン美術館
(画像はパブリックドメインとしてメトロポリタン美術館が提供したものを使用しています)

私は西洋絵画が専門ではありませんが、あの頃の自分に代わってもう一度、シスレーの絵と向き合ってみましょう。一例としてメトロポリタン美術館にある《ヴィルヌーブ=ラ=ガレンヌの橋》をもってきました。

「ヴィルヌーブ=ラ=ガレンヌの橋」がどの地方の橋なのかは知りません。調べれば分かりますが、今はそれを知ることに意味がないのでやめておきます。高校生の私はその橋の名前を知っていたから、この絵にひかれたわけではありません。家の造りや、小さく描かれた人の身なりから、ヨーロッパの都会ではない地方の風景だと想像できます。

シスレーは印象派の画家に分類されます。アトリエにこもって絵を描くのではなく、屋外に出て陽光に照らされた世界の美しさをそのままキャンバスに写し取ろうとしたのが印象派です。みなさんご存じのように、印象派の画家は色を混ぜて色の明度が落ちることを嫌い、画面の上に絵の具をそのままのせました。筆触分割という技法ですね。見る人が脳内で隣り合う色をブレンドすることを狙ったわけです。

たしかに画面は明るくなりますが、その代償としてモチーフを写実的に描くことはできなくなります。モネの睡蓮が具象から抽象へと近づいていったことからもそれが分かります。

シスレーもこの絵で、水面の描写などに筆触分割を使っていますが、画面全体を見ればその割合はとても控えめです。橋の下をボートで遊覧する女性たち、橋の陰に隠れて見つめ合い語り合う恋人たち、所在なげに川岸にならぶボートたち、そういった状況が一目で理解できます。ここには何が描かれているのか、目をこらして理解しようと努力する必要がありません。表現を追求するあまり、鑑賞者に一定の努力(あるいはストレス)を強いる絵とは違うという点が魅力の一つでしょう。

さて、この画面で最も強い色がどこかと言えば、空のきっぱりとした青でしょう。おかげで雲の白さが際立っています。逆に言えば、この空の青さ以外、画面全体で使われるのは中間色と呼ばれる少し落ち着いた色合いです。筆触分割と同様に、絵の具の明度を最優先するのではなく、光の明るさと実際の色味のほどよく調和したところに着地していると言えます。そのために、ある種の押しつけがましさや主張の強さがこの絵からは感じられず、逆に落ち着きや品性を感じます。

そして風景画を鑑賞する時、人は無意識にその景色の中に自分が降り立つことを想像します。それを拒絶するような厳しい絵もありますが、シスレーの絵は観る者を優しく誘う懐の広さがあります。壮大な大自然でもなく、大都会でもない、シスレーが描くのは、ほどよい陽光がふりそそぎ、ほどよくのんびりした時間が流れる、ほどよい田舎の風景です。思わずその景色の中で一休みしたくなるような、のどかさを感じさせるのもシスレーの絵の魅力だと言えます。

シスレーと交流のあった画家としてモネやルノワールがいます。光をキャンバスに写しとどめることに最大の関心があったモネ、優雅な貴婦人や愛くるしい幼児をレースが一膜かかったような柔らかな画風で描いたルノワール。いずれも一目で「あ、モネ」「あ、ルノワール」と分かる個性を持っています。それに比べると、シスレーの個性は控えめですね。でも、決して鑑賞者を拒絶しないバランス感覚や調和性は他の画家が備えていない、それこそシスレーの個性と言えるでしょう。

ふぅ。

こんな具合に、高校生の頃「なんとなく好きだなぁ」としか考えられなかった絵も、解像度を高めていくとこうした理由を言葉で伝えることが出来るようになります。

自分の感情が揺り動かされた理由を言語化する作業は楽じゃありません。でも、それがスパッと言葉でできた時は快感です。

そしてこれができるようになると、自分の好きな作品だけでなく、どんな作品でも語れるようになります。というか、お気に入りの作品しか論じられないのでは学芸員はつとまりません。

好きでもない作品も適当に持ち上げることができるようになる、ということではないですよ。どんな作品であっても、掘り下げるポイントは絶対にありますから、その勘所をつかめるようになるということです。

言語化する中で漏れ落ちてしまう要素はどうしたってあります。それでも言葉にできなければ、「私の好き」は私だけのものであり、「誰かの好き」にはつながりません。がんばって言葉にしましょう。そうすることで初めて「私の好き」は共有されるようになるのです。


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