「ポストコロニアリズム」読書①
これから「ポストコロニアリズム」という本を読むので、読んだ感想とか、これから書いていきたいと思う。
それにあたって第一回は、「なぜ読もうと思ったのか」について色々書きたい。
この感想の筆者についてだが、国際政治とか、文化、経済などにはうとく、てきとうに生きてきた普通の30代既婚女性である。
よって、ポストコロニアリズムについて深く知りたい人の助けになるような示唆に富んだ洞察などは書けず、
小並感の素朴な日記みたいな内容になりそうな事だけお断りしておきます。
ポストコロニアリズムを勉強したいと思ったきっかけ
・都会の人が田舎をバカにする、外国の人をバカにするのをよく見るが、気分が悪い
→人が住むところではない、田舎の人は遅れてるという言葉を平気で言う人がいる。
また、東京の人は地方の事が眼中になく、やれ埼玉は田舎だ、群馬はどうの、など、狭い範囲でのマウントの取り合いに終始していて、滑稽だ。
自分は神戸の出身だが、関西の人の、それ以外の地域の見下し方もすごく、それを聞くたびに、今住んでいる鳥取についてしんどい気持ちになる。
それでなくとも鳥取西部にいい思い出がなく(これは義両親と同居して苦労したからでもあり鳥取のせいではない)、鳥取のいいところを探そうと躍起になっている。
・日本が植民地側になり、「チョコレート農園で働く子がチョコレートを買えないように、日本人がトヨタを買えなくなった」と言われるようになったが今までの自分たちの消費の仕方に問題はなかったか
→よく言われる事だが、チョコレート農園で低賃金で働く子どもたちが〜とか、フェアトレード〜などと言われるたびに、見て見ぬ振りをして、やすい物を買う、みたいな事をずっと繰り返してきた。自分は利用してないがシーインなどもそうだと思う(ウイグルの人々の虐待への加担)。
消費社会で生きている以上そういった非対称性には目をつぶりながら悪をなさなければならないと思っていたが本当にそうなのか?
トヨタが買える買えないの話の真偽はともかく、自分たちが貧しい立場になってきて初めて、同じ暮らしをしていた人々から搾取していた事を思う事になった。
無邪気に「バズった物を買う」という生活をしていていいのか。
・農家が搾取されると言われ、そこから脱する為に六次化を目指すとしても、六次化を進めても事業内での構造化が進むだけで、産業構造の再生産でしかないのでは、農業自体が豊かになるわけではないのではと思ったため
→これは実体験に基づく物で、また、経済学的経営的に正しいかは分からないのだが、農業の経営体が豊かになろうとして六次化を目指すと、確かに入るお金は増えるのだが、必要な作業の種類(事務仕事も、ブランディングなどの頭脳労働も)も増え、組織内で役割分担も増える。会社の規模が大きくなる程そうなる。それは結局産業構造の再生産であって、農作業者自体はいつまでたっても豊かにはならない(お金も体力も)のではという疑いがあった。
六次化させようとして入ってくる、コンサルとかの関連産業の連中の方が儲かるのではというのもあるし。
・そもそも資本主義は正しいのか(人間の価値云々という発想になる、搾取構造がやめられない、全員で豊かになる事が難しい)
→フェアトレードとかの事や自分がお金持ちになる方法などたまに考えてみると、結局誰かが泣きを見ないと豊かになれないのだろうか…と思う事がある、ちゃんと経済学を勉強してないからなのかもしれないが。
・誰かが安く物を作らないと安く物が買えない
というような事の根っこがコロニアリズムにある気がした、今自分が苦しいのは全部コロニアリズムのせいだ、とまで言うのは行き過ぎだが、かなり影響があると思ったので、
ポストコロニアリズムの本を読んでみる事にしました。
