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太陽に焼かれて殺されたダニの香りの芳香剤を売れ 第58話 落ち葉・涙の実・綿飴

https://www.youtube.com/watch?v=gV-F23mqKhU

「そういえば、あんたが誤変換しまくるのって世界であたしたちしか知らない秘密……別に秘密でもないのか。いつの間にかそういうよくわからない共通項目が増えてる」

浅荷の声が、波の音に半分溶けていた。俺の腕に額を預けたまま、姿勢をほとんど変えずに言葉だけを差し出してくる感じ。冗談のようでもあり、記録のようでもある。なんだろうな、と思いながら、俺はそれに即答せずに少しだけ間を置いた。

「そうだな。秘密じゃないけど……自分たちだけのバグみたいなもんかもな」

「いや、流石にお前だけのバグだろ!!」

浅荷はぎゃははははははと笑い始めた。一旦そういってこっちに顔を向け、また俺の肩に自分の頭をどさっと乗せて笑い続けるから、浅荷の振動が一生伝わってくる。永遠に揺れ続ける運命なのかと思った。

確かに俺だけのバグだった。そう言おうと思ったが、こんな激しく笑い始める浅荷を見るのが初めてで、この浅荷の豹変に俺は何も言えずにいた。何か言ったらこの振動が終わるのかもしれないと考えた。俺は浅荷が笑い続けることによる振動を自分の肩で感じ続けたいのだろうか?浅荷という外的要因によって、俺自身の、自分の所有物である身体が一生ゆさゆさと揺らされ続けることについて意味不明な一定のコミットメントを見出しているのだろうか?バスの揺れで人生の意味がわかり得るという事象はこのようなことなのだろうか?

「バグ……」

浅荷は一旦笑い終えたのか、ふ、とさらに短く笑った。身体を動かさずに、呼吸だけで音を作っているような、喉の奥でくすぶる笑いだった。俺の腕に額が乗ったままだから、その笑いも小さく響いて、皮膚にまで届く。

「そういうのが一番、長く続くかもね。直されない関係」

「……そうかなあ」

「直さないでいられる人って、あんまりいないよ」

「俺も、浅荷に何かを“直せ”って言いたくなったことはない」

「ふーん」

浅荷の返事は薄かったけど、それは軽さではなく、むしろ沈んでいる。俺の方に沈んできている感じだった。

「……なあ」

「ん」

「顔、熱くないか?」

「うん」

「うん?」

「うん、熱いってこと。知ってた?」

「いや……わかるよ」

「じゃあ、知らないふりして」

「わかった」

浅荷の額は俺の腕にくっついたまま、少しだけ滑るように動いた。まるで無意識に布団の端をつかんでいる子どもみたいな、ささやかな移動だった。でもその微細な動きが、こちらの感覚にはありえないほど大きく感じられる。皮膚は正直すぎる。

「ねえ」

「うん」

「もし、いまこの瞬間がずっと続いたらどうする?」

「それは……」

「地獄かもね」

「え?」

「でも、それでもいいのかもっていまは思ってる」

浅荷の声は、聞き取りづらいほど小さかった。風に消えてもおかしくなかった。でも消えなかった。ちゃんと残った。

「……俺もそう思うかも」

「そう、試練?」

「いや、それは変換ミスの話だろ」

「うん。でも、試練って言葉にしとくと、なにかちゃんと通過してる感じしない?」

「……。今って、通過してる最中かもな」

浅荷はもう一度だけ俺の腕にあずけた額をすり寄せた。それは何かを欲しがっているというより、安心の再確認のようだった。もしくは、もうひとつの呼吸を重ねるみたいな共同作業でそっとだけど確かなものだ。

俺は自分の手のひらを動かした。そっと彼女の肩のほうへ向かって。でも直接触れたわけじゃない。ただ袖の布越しに置いた。表面じゃなく、輪郭をなぞるように力を込めず、ただそこにいるということを表現するみたいに。

浅荷は何も言わなかった。でも肩がほんのわずかに揺れた。

「……眠くなってきたかも」

「ええー」

「どんな風に起こすの」

「起きてくれたら言う」

「ずる……でも、いいや」

浅荷の声が本当に眠そうだった。目を閉じてるのかもわからない。でもたぶん閉じてる。というか、こうして預けられていると、俺のほうが眠くなってくる。こんなにも何も起きないまま、時間が流れていくなんて、ほんの少し前の俺には想像すらできなかった。

「今日はさ、もう……ここで全部やめていい気がする」

「うん」

「別に何も起こらなくていい。何も選ばなくていい。話し合わなくていい。未来の設計もしなくていい。ただ、今のこの感じのまま、空になるまで時間を使ってもいい」

「わかる」

「わかってくれるんだ」

「うん。……わかる」

俺は目を閉じた。いや、知らない間に閉じていた。
まぶたの裏には何もなかった。ただ、肩と額がふれていて、布越しの手がじんわりと体温をもっていて、そこに風と波の音が重なっていた。それだけでいいと、そういう感覚だった。

この日が何かの始まりかどうかなんて、どうでもよかった。始まりなんて言葉を使った瞬間に、どこか余計な意味が生まれてしまうから。


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中村風景 このサイト内ではいかなる場合でも返信行為をしていません。