眠りの森の植木屋さん 第三話「茂みの中の迷子たち/高宮 花」
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第三話「茂みの中の迷子たち」
最初に見かけたのは、猛暑日が続いていた頃。だけどお盆は過ぎていて、でも学生達はまだ夏休みで、というくらいの時期だった。
その日の私は、仕事の失敗とモヤモヤが重なって、何とも言えない気分で電車に揺られていた。
何とかフリーランスとして生計を維持して三度目の夏。基本的には自宅にこもりきりで、久々の取材仕事に出向いたところ、ついついお出かけ気分で浮かれてしまったらしい。準備不足や忘れ物による失敗が重なり、取材先に大迷惑をかけてしまったのだ。
ショックを引きずりながら帰りの電車に揺られていると、赤ちゃんを抱っこした女の人が目の前に立った。席を譲ろうとしたところ、「立ってないとグズるんで、余計な事しないで下さい」と冷たく言い放たれた。
その母親と至近距離のまま、気まずい気分でスマホに視線を落としたが、目に入って来るのは息の詰まるようなニュースばかり。
増税に次ぐ増税、高齢ドライバーの巻きこみ事故、出生率がまたもや過去最低を更新ーーーーーそして、とどめを刺すようなタイミングで、とっくに別れた元恋人からの長文メッセージが届いた。
メッセージの内容は読むまでもなく毎回似た構成で、まずは一方的な愛憎を語り、その所々に脅しに似た文句が添えられ、そして最後に自分の非礼を詫びるという、とてつもなく気持ちの悪いものだ。これは大体、二カ月に一回のペースで送られてくる。私の方は、一切の返信をしていないというのに。
思わず「イー!!」と、奇声を上げたい衝動にかられたが、それはさすがに思い留まった。けれど、悪い時には悪い事が重なるものだ。電車を降りた瞬間、急な土砂降りに見舞われた。天気予報アプリの通知を見逃していたらしい。
ただでさえ雨は苦手なのに、よりにもよって今だなんて。ああもう、後で千早に愚痴を聞いてもらおう。それだけを心の支えにして改札を出た。
駅ビルで三百円のビニール傘を購入したものの、それでも足元が濡れてしまうほどの雨量だった。何とか帰路に着いている途中、横断歩道で信号待ちをしていると、人が駆けて来る気配がして、私の横で止まった。それは、傘を持たずにずぶ濡れになっている男子中学生だった。
部活帰りだろうか、制服姿で無ければ小学生と間違えてしまいそうなほど小柄な、まだあどけなさを残した彼は、大きなスポーツバッグを必死な様子で抱きかかえていた。
よっぽど大切なものが入っているらしく、何としてでもこれだけは雨から守りたいといった気迫と焦りが伝わって来た。
あーあ、私がもう一本傘を持っていれば、助けてあげられたのに。
いや、いっそこの傘をあげて、私は濡れながら帰ろうか。今日の気分には、ちょうどいいのかもしれない。どうせ、靴も靴下も、もうびしょびしょだ。でもそんな事をすれば変な女だと警戒されて、下手をすればこの子の校区の不審者情報に載るかもしれないな。
迷いながら盗み見した横顔は、夏なのに唇が青かった。
私が傘を閉じかけたその瞬間、突然、背後から「なぁ!」と大きな声がして、男の子の頭上に影が出現した。いたいけな制服姿に降り注いでいた雨が、その肩を濡らす事を止める。
男の子と同時に思わず私も振り向くと、Tシャツに作業着姿の、おそらく私と同年代の男性が、男の子に向かって傘をかざしていた。
自分は土砂降りの雨を頭から浴びながら、なのにまるでお構いなしといった堂々たる立ち振る舞いで、それは、彼のスポーツマン風のがっしりとした体形と相まって、ある種異様な雰囲気を放っていた。男の子も、すっかり委縮してしまっているようだ。
「これ、使って! やるから! いらないなら、そこのコンビニの傘立てにでも返しといて!!」
彼は雨音に負けない声量でまくし立てるようにそう言うと、有無を言わさない態度で傘を手渡し、そして背後のコンビニに向かって走った。
店内に駆け込むのかと思いきや、駐車場に停められていた黒のハイエースに乗り込み、すぐさま発車した。フロントガラス越し、男の子に向けて小さく手を振っているのが見えた。
「あ、ありがとうございます!!」
男の子のお礼の言葉は聞こえなかったかもしれないが、感謝の気持ちは、深々と頭を下げるその姿と一緒に届いた事だろう。
帰宅後、待ちかねていたはずの千早との通話で、「今日はどうだった?」と尋ねられた時、真っ先に私の口を突いて出てきたのは愚痴では無く、この『親切の通り魔』のようなその人についてだった。
・・・・・
私は財布を差し出しながら、焼き肉屋であずみちゃんに言われた言葉を思い出していた。
「花、白髪。目立つ奴が一本立ってるよ」
三十代も下り坂になれば、肉体の老化を覚える事も少なく無い。初めて白髪が生えたのはここ一年程の話で、慌てて周囲に聞いてみたらむしろ私は遅い方だった。
それはともかく、今、お辞儀をしている私の頭頂部は、気になる異性の面前に差し出されているのだと、頭を下げてから気が付いたのだ。もともと赤面症気味の私の顔は、きっと面白いくらい赤くなっている事だろう。
ああ、室見高虎さん。ついにお名前を知ってしまいましたが、戦国武将みたいで素敵ですね。
財布を受け取ろうとした高虎さんの指が当たり、想定外の人肌の感触に驚いた私の指が小刻みに跳ねた。祈るような気持ちで見上げたその顔は、不思議な事になぜか私と同じく赤かった。
そしてそれは、どちらかと言えば好意的で、照れを含んでいるような、つまり、異性として私を意識している表情だ。
素直に嬉しかったが、それと同時、この人はもう私の中で『コンビニでたまに会うちょっと素敵な人』では無く、高虎さんという名前の一人の異性になってしまった事に対し、少しの喪失感を覚えた。
「ねぇ、あれ、あんたの連れ?」
あずみちゃんの言葉で、先程から聞こえていた叫びにも似た声が「たかとら」と呼んでいた事にやっと気が付いた。声の主は、お巡りさんに囲まれながらこちらに手を振っている。
苦笑いを浮かべている高虎さんに、あずみちゃんが言った。
「面白そうだから着いていくよ。ほら、花も」
高虎さんの苦笑いが驚きに変わり、あずみちゃんは私達が口を挟むより先に私の手を掴んで改札に向かった。その後を、慌てて高虎さんが追う。
これじゃ、あべこべだ。
約三十分後、なぜか私達はフレンチレストランの店内に居て、二名分のコース料理を四人で囲んでいた。
「鴨のコンフィでございます。ソースはイタリア産の高級バルサミコと長野県産のアカシア蜂蜜を使用しております」
おそらく新人らしき年頃のウエイターさんが、丁寧に料理の説明をした後、二人用のテーブルを無理矢理四つの椅子で囲んでいる私達に若干の戸惑いを見せ、最終的に私とあずみちゃんの前にお皿を置いた。
「あの……柳川さんと高虎さん、どうぞ……」
「いいんですよ、僕達はスープでお腹いっぱいです。無理に誘ったのはこっちなんですから、遠慮せずに食べて下さいね」
柳川さんが、仕事中の営業マンのような目力を放ちつつ、サイズの合っていないジャケットの襟を正しながら言った。高虎さんよりずっと年上だと思っていたけれど、二人は幼なじみの同級生との事だ。そしてどうやら、私とも同じ齢らしい。
「いえ、あの、私達、焼き肉を食べてきたばっかりなんです。なので本当に、さっき注文していただいたデザートだけで充分で……」
先ほど年齢の話になった際、あずみちゃんが今日が私の誕生日だと明かすと、柳川さんはすかさず誕生日用のデザートプレートを注文してくれた。初対面なのに申し訳ない。
必死にお肉を断っていると、右隣からたくましい腕が伸びてきて鴨のお皿を持ち上げた。
「じゃあ、遠慮無くいただこう」
柳川さんは何やら言いたげに高虎さんを睨んだが、高虎さんはそれを無視してナイフとフォークを手に取り、あっと言う間に完食した。
「コンフィが何なのか知らんが、美味いな」
満足そうに笑う高虎さんの目尻に、いつもの笑いジワ。彼のツリ目が、一気にほぐれる。ああ、いいなぁ。この瞬間のこの顔が、とてもいい。この笑顔をおかずに、白米が食べられそうなくらいだ。
「ああそうか、肉体労働でお腹空いてるんだろ? いいんだ、たんと食べろよ。それにしても、焼き肉の後だったんですね。それじゃ、もう一つは僕が……」
柳川さんはそう言いながらあずみちゃんに視線を向けたが、鴨の三分の二は既に彼女の胃袋に収まっていた。
柳川さんの言葉を拾って、あずみちゃんが高虎さんに質問する。
「肉体労働って、建築現場とか? ガタイ、いいもんね」
「いや、俺は所謂町の植木屋さん」
なるほど。いつもの服装と日焼け肌から外仕事の人だとは思っていたけれど、植木屋さんだったとは。そういう人達って和装のイメージがあったけど、今時は普通の作業着なのか。
「僕は税理士です」
聞かれてもいないのに、柳川さんが割って入った。
入店の際、上着を脱いだ高虎さんの中身はいつも通りの作業着姿で、柳川さんは渋い顔をしていたもののお店側が気にしている様子は特に無かった。
それより、二名の予約に四名でおしかけられて困っていたウエイターさんに、柳川さんが無茶を言って食い下がった事の方がよっぽど問題だ。
「あいにく満席でして。ご予約いただいたコースも、仕入れの関係で二名様分しかご用意しかねます」
「男は立ってるから気にしないで下さい。コースは二名分で充分です、単品で追加注文しますんで」
結果、二人用のテーブル・セッティングがされていた予約席に椅子を二つ追加する形で、四名にはやや小さめのテーブルをまるで麻雀卓のように四方向から囲む形となった。
これで二人分の料理ではお店に申し訳無い。けれど、さすがに私のお腹はいっぱいだ。そんな事を思っていると、私の心の中を見透かしたようにあずみちゃんが言った。
「おっ、税理士か。じゃあワインは遠慮無くボトルでいっちゃおう」
今日の支払いは、全て柳川さん持ちという話だった。何でも、デート相手にすっぽかされたものの、当日だとコース料理のキャンセル料が満額かかるらしく、それならばとお友達の高虎さんを呼んだらしい。
そして、なぜかその高虎さんと一緒に居た私とあずみちゃんに、「絶対に怪しい者では無いし変な事もしないので、どうか一緒に来て下さい!」と、懇願してきたのだ。
あずみちゃんが二つ返事で「いいよ」と言った後、自称怪しい者では無いらしい柳川さんがお礼の言葉を返したのは、明らかにあずみちゃんの豊満な胸の谷間に向けてだったけれど。
「いやぁ、いいですね。僕、沢山食べる女性って好きです。あっ、もちろん、小食な女性も可愛らしくて好きです」
柳川さんが、私とあずみちゃんをキョロキョロと見比べるようにしながら言った。
「お二人は、どういうお友達で? 失礼ですが、ご結婚はされてるんですか?」
「あたしはバツイチ独身で、花はバツナシ独身」
あずみちゃんはあけすけにそう答えると、私達の出会いはバレエ教室だと語り始めた。
ふと右隣を見ると、二人の会話に耳を傾けている高虎さんが、自分の左耳を軽く引っ張るような仕草をしている事に気が付いた。そう言えば、さっきから何度かこうやって左耳に手をやっている。
しばらくして運ばれてきたデザートプレートは、満腹の私でも心惹かれるような可愛いらしさだった。鮮やかなブルーのお皿に 『 Joyeux anniversaire ! 』 と、おそらく Happy birthday を意味するであろうフランス語がチョコレート文字で描かれ、色とりどりのプチ・デザートが並べられている。
「わあ、美味しそう。柳川さん、ありがとうございます」
「喜んでいただいて、僕の方こそありがとうございます!!」
そう言いながら、なぜか私に向かって激しめの瞬きを見せつる柳川さん。どうやら、ウインクをしているつもりらしい。
どうリアクションすればいいのか分からず戸惑っていると、ふいに右側から何かが差し出された。
それは赤と緑のリボンがあしらわれた、小さな赤い実の沢山生った小枝だった。一足早い、クリスマスカラー。まるで極小サイズのミニブーケだ。
驚きながら右隣を見上げると、高虎さんがニヤリと笑って「誕生日おめでとう」と言った。その顔には、あの笑いジワ。
あずみちゃんが、「おー」と感嘆の声を上げ、質問する。
「粋な事するね。何? どこから出したの?」
「仕事先の庭に咲いてたんだけど、帰り際にそこの孫がくれてさ。まさかの役に立ったな」
「ありがとうございます。可愛い、サルトリイバラですよね」
私がその木の実の名前を口にすると、今度は高虎さんが「おー」と声を上げた。
「よく知ってんなぁ。普通、柊との見分けがつかないもんだけど」
サルトリイバラは、クリスマスの飾りでおなじみのセイヨウ柊とそっくりな赤い実を付けるので、クリスマスリースなどによく代用されている。
「眠りの森の美女ってお話、分かりますか? イバラ姫とも言いますけど。あのお話に出て来るイバラが何なのか知りたくて、調べた事があって。それで、バラ科の植物には少し詳しいんです」
誕生日にお花をもらったのなんて、何年振りだろうか。いや、お花じゃなくて木の実だけど。
くすぐったいような気持ちで赤い実を見つめていると、また柳川さんが質問をしてきた。
「そう言えば、花さんはなぜ高虎とお知り合いなんですか?」
ちらりと高虎さんを見たが、特に彼の方から発言をする様子は無い。
「あの、私、在宅仕事なんですけど、運動不足解消を兼ねて毎朝散歩をするようにしているんです。その時に、よく寄るコンビニがあって。その店内でコインケースの中身をばら撒いてしまって、高虎さんに拾っていただいて……」
本当は、夏のあの日、土砂降りの中で見かけたのが最初だった。けれどそれは、高虎さんは知るはずの無い話だ。
私の説明に、あずみちゃんが疑問を口にした。
「小銭拾ってもらったくらいで知り合いになる? 私なら、その場でお礼を言って顔忘れちゃいそう」
そう、普通ならそれで終わりの話だろう。
けれど、私の粗忽さと高虎さんの親切は、その一度きりでは終わらなかったのだ。
「それが…その次の日に、また私が小銭をばら撒いちゃって、物凄い偶然なんだけど、その時もまた高虎さんが……。ほら、あずみちゃん知ってるでしょ、私の緑色のコインケース。あれ、沢山出そうとすると一気に中身が出ちゃって……」
まるでおばあちゃんのような失敗談が恥ずかしくて説明がたどたどしくなっていると、高虎さんが横から話を繋いでくれた。
「その次にまたコンビニで会った時に、花さんの方から俺に声をかけてきてさ。何事かと思ったら、わざわざお礼を言ってくれて。それから……ああ、悪い……その……」
なぜか吹き出し笑いを堪える高虎さん。その笑いが一体何に対してなのかが気になると同時、改めて「花さん」と呼ばれた事がくすぐったい。
「すっげー真面目な顔で、もうご迷惑をおかけしないように、電子マネーで支払うようにしましたって言われて。それが何かもう、おっかしくってさ、俺、つい笑っちゃって」
高虎さんはそう言いながら吹き出すのを我慢する事をあきらめ、堂々と思い出し笑いをした。心なしか、笑いジワもいつもより深い。
ああ、そうだ。ガッチリとした体つきとツリ目の大きな瞳が印象的で、黙っているとちょっと迫力があって。でも、この笑顔。この一瞬で笑いジワのできる笑顔で、凄くホッとしたのを覚えている。
その時から、私達は挨拶を交わす仲になったのだ。
やがてコースの締めのコーヒーにさしかかり、なぜか柳川さんがあずみちゃんに向かってコーヒーのうんちくを熱く語り出した。その様子を呆れたような顔で見つめる高虎さんが、また自分の左耳を触っている。
「耳を触るの、癖なんですか?」
なかば一人言のように口を突いて出た質問は、どうやら声が小さ過ぎたらしい。引き続き柳川さんの演説を眺めている高虎さんに向かって、私は少し大き目の声で話しかけた。
「あの!!」
お酒が回ったせいか音量調節が上手く行かず、隣のテーブルの人までこちらに注視してしまうような大声を出してしまい、周囲の視線が私に降り注いだ。
「す……すみません、すみません」
慌てて頭を下げていると、高虎さんがやっと顔を向けてくれた。
「ごめんな、何か俺に言ってた?」
「いえ、こちらこそすみません……」
「いいや、多分、何回か話しかけたのに気付かないからイラっとしちまったんだろ? 俺、急に左側から話しかけられると、分からない時があってさ」
声が大きくなったのは、決して感情が荒ぶったからでは無い。けれど、高虎さんは謝る私を制しつつ、自分の左耳を指差して言葉を続けた。
「こっちの耳、生まれつき聞こえないんだよ」
その言葉に、何と返すのが正解なのか分からなかった。
いや、きっと普通でいいのだ。私だって足の事を話す時は、例えば普通の人より走る速度が遅いといった事情を知っておいて欲しいからで、単なる連絡事項として打ち明けるだけだ。謝罪や同情の言葉が返ってくる事は、むしろ面倒臭い。
「ああ、そうだったんですね」
私がそれだけ言うと、高虎さんの視線は再び柳川さんに向けられた。
それから高虎さんは、鈍い私にも分かるくらい、急にそっけ無くなった。きっと、私の何かが彼を不快にさせたのだろう。気付かないうちに相手を傷付けたり怒らせてしまう事は、粗忽物の私には度々ある。
こちらからもう一度声をかける勇気は持てず、店を出るまで淡々とワインを消費した。時折、ちらりと横顔を見上げたが、やっぱり視線は逸らされたままだ。
ーーーーーだから、名前なんて知りたくなかったのに。
別れ際、最後まで私を見てくれなかった彼の背中を見送っていると、駅で向かい合った時に向けられた好意的な眼差しを思い出し、何とも言えない寂しさに襲われた。
第四話『答え合わせ』に、続く
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