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「いつか」「そのうち」学ぶものじゃなく、今もっとも必要な知識

もしも自分が
明日死ぬとしたら
何を残したいか?

という問いに、即答で

「ヒューマンデザインの知識」

と出てきたくらい、
今人類に必要なツールだと
思っています。


理由や根拠は沢山あります。

が、一番は

「飽きない」

ことかもしれない。


私は「研究者」という
個性を持っていて、
興味があることは
納得がいくまで研究するのですが、
 
これまでの人生で
自分の研究熱を満たし続けて
くれるものに出会ったことがなく、

ある程度のところで
飽きてしまうのですが。


その理由は明確で、

「これ以上奥がない」

と感じてしまうから。


ヒューマンデザインに
関しては、今のところ
「底なしだな」と
感じています。

掘っても掘っても
まだ奥がある。

しかも奥だけでなく
横の広がりもある。
斜めのラインもある。

ディズニーランドより飽きない(笑)

でも、それもそのはずです。

「ヒューマン=人間」

を掘っているのですから
浅いはずがない。


メカニズムの美しさ
多重構造の緻密さ
ひとつひとつのパーツのユニークさ
現象世界と精神世界のつながり
既存の情報の内包度合い

どこを切り取っても
奥行きと深みがあり
魅了されるばかり。

そこまで詳細に
伝えてくれるツールは
他になかったですし、

「人間とは、美しいものなんだな」

と知れただけでも
出会えてよかったです。 

もうひとつ、
理由を挙げるとするなら

「あらゆる問いの答え」

を得られること。

それはQ&Aのように
簡単に手に入るわけでは
ありませんが、

実践すれば必ず
出会えます。


「何のために生まれてきたのか?」
「今世で果たす役割とは?」
「なぜこんなことが起こるのか?」
「どこかで道を踏み外していないだろうか?」
「私は一体どういう存在なんだろう?」

身近な悩みから
本質的な問いまで、

個性を知っていけばいくほど
納得のいく「答え」に
巡り合えます。

もう、自分とケンカする
ことがなくなります。


人は誰もがおそらく
最初は「現実世界」の
生き方を身に着けるはず。

体の使い方を覚え
言葉を覚え
常識や道徳を学び
知識を増やし
経験値を積み
社会に適応していこうと
試みます。

その体験の中で
様々に悩み、改善し、
「より良い未来」のために
努力を繰り返し、

その道のどこかでふと

「私の人生、これでいいのかな」

という声が頭をかすめる。

必死に生きてきた足を止めて
ふと我に返る。


自分のことを知りたくなるのは
そんなタイミングかもしれません。


世の中には実に様々な
情報やサービスがあります。

ご縁あってそれらに
出会っていくと思います。

私も、そうでした。


西洋占星術、四柱推命、
数秘術、個性心理学、マヤ暦、
ストレングスファインダー、

その他各種の自己理解ツールを
試したり、取り入れてみました。

そしてそれらからは
得られなかったものが、
ヒューマンデザインに
ありました。


これは、他のツールを
否定しているものでは
一切ありません。

ヒューマンデザインは
他のツールとまったく
競っていないどころか、

他のどんなツールとも
組み合わせられます。

そもそもの構造が全く違うのです。


「あらゆる問いの答え」

それは私たちの体が持つ
メカニズムの中にありました。


リビングユアデザインの
テキストの中に、
こんな一文があります。

私たちは、自分の肉体がどう動くのか、という根本的なことにあまりにも無知なのです。

本当に、この一言に
尽きるなと。

自力では決して
知りえることのない、
「私たちの体のメカニズム」
を知った時に、

「ようやく出会えた」

と強く体が振動したことは
今でも覚えています。

どんな学びにも
共通して言えるのは、

「どんな自分で扱うか」

これが全て。

どんなに素晴らしい情報も
生かせなければ意味がない。

「知っている」だけでは
絵にかいた餅と同じだから。


その上で実は一番大事なのって
同じくヒューマンデザインを
伝えている仲間のヨコさんが書いていた、

交流の場所や人間関係は、学んだ知識の何億倍も価値がある

これだなと。

全文も素敵なので読んでみて。

ヒューマンデザインは
テキストから学ぶものではなく

「現場」で学ぶもの。

特に、人間関係の場面は
学びの宝庫と言えます。


また、一人でテキストに向かって
あーだこーだと考えたところで
わかるものではなくて、

「共に学び合うもの」

だと強く感じます。


なぜなら、構造上

「一人では自分の全てを知ることができない」

というのもありますが、
それ以上に個性というのは

テキストに書かれているよりも
もっと豊かに「現場」で
表現されているものだから。

それを実際に見て、感じて、
はじめて「わかる」んです。


命の躍動感、とでも言えるでしょうか。

それは決して枠にハマった
パターンの繰り返しではなく、
一瞬一瞬の輝きです。

それを味わうことなく
知識だけを詰め込んだところで

本当の意味で「知る」には
至らないと思います。


私たち世代は環境の影響もあり、
「一人でがんばる」ことが
あまりにも習慣になっている
気がします。

でもそれでは
ヒューマンデザインは
楽しめません。

先日こちらの記事で、

本来は「関係性」領域こそが
誰にとってもベースであった
はずなのに、


なんらかの理由でそこに
「壁」が生まれたことで、
「ひとり」の領域がベースに
すり替わってしまった

と書いたように、
「一人でがんばる」世界は
当たり前というよりはむしろ、

均質化された表現のように
思えなくもない。


ヒューマンデザインに限らず
どんなことにも言えることですが
特にヒューマンデザインにおいては、

「仲間」の存在や
「環境」の力が

不可欠だと思うのです。

一人では、巡らない。

ヨコさんの記事の
ここも好き。

正しさはそれぞれの人の中にあり、周りがとやかく言うものではない。そもそも新しい時代は、権威から学ぶこと自体が廃れ、在り方が模範となる時代なので。

そうなんです。
これから時代は

「誰かから学ぶ」のではなく
「内なる正しさ」で生きる時代に
移り変わっていきます。

(今もその風は吹いている)

つまり、誰からも
教われないってこと。

人の真似をしている内は
「内なる正しさ」には
出会えないから。


けれどもそれは
「一人でがんばる」
ということでもない。

矛盾しているように
思うかもしれませんが、

「誰かといてこそ自分がわかる」

からです。


ヒューマンデザインで
わかる個性の情報は、
「ガイドマップ」
にすぎません。

ディズニーランドの
ガイドマップをいくら眺めても
そこに「体験」はありません。

そして体験の場は
人との輪の中にこそある。
現実の中にこそある。


この体を通じて
個性はいつでも
表現されていて、

その影響を受け取るのは
周りの人間です。

ひとりで個性を表現して
ひとりで満足できるようには
私たちは設計されていないのです。


これからくる時代について
私たちは「無知」です。

なぜなら「体験」がないから。

ヒューマンデザインは
「新しい体験の手引き書」
でもあります。

だからどんなに
「既存の脳みそ」で
考えたところで、
わかりっこないのです。


でも不思議と
「実践すればするほどわかる」
ものでもあります。

そういう人を一人でも多く
サポートできたら嬉しいですし、

「一人」ではなく
「共に」歩んでいきたいですね♪


「いつか」じゃなく
「今すぐ」に
始めてみたらいいと思う。
 
費用対効果は保証できる。

あとは「一人でがんばる」から
飛び出してみることかな。


ふっこ☻


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