うなずけなかった私。~「子どもの推し活も最高に楽しい」?~
#20250824-575
2025年8月24日(日)
ノコ(娘小6)の習い事の発表会が思った以上の出来栄えで驚いたこと、それにともない数日おきにあったリハーサルの送迎および待機がようやく終わったことを学生時代からの友だちにSNSで伝えた。
この夏一番の山場が終わり、脱力感と解放感が「凄まじい」と。
ノコはもちろん家族全員、そして発表会に出るメンバーも体調を崩すことなく乗り切ったのだ。
思わず「ヒャッホイ!」と両手を挙げて、叫びたくなる。
そうしたら、友だちから返ってきたメッセージがこれだった。
「子どもの推し活も最高に楽しいよね」
友だちのお子さんはとうに成人しているが、学生時代はとても盛んな部活動に没頭。母親である友だちもサポートや応援と東奔西走していた。お子さんが卒業した後、友だちはその行き先を失った「熱」をバンドの「推し活」に向けている。
ノコは小学生ゆえ、まだ部活動をする年齢ではないからだろうか。
友だちの言葉に違和感を覚えた。
だが、SNSでのやりとりだったので、私もそれ以上はふれなかった。顔を見ての会話と違い、文章で問うとどこかきつくなることがある。
それに友だちは、そこまで深い意味を含ませていったわけではなさそうだ。
世の中、そういう場合が多い。
それでも、よぎった違和感は気になる。
どうして私は友だちの言葉に素直にうなずけなかったのだろう。
「推し活」か。
それとも「最高に楽しい」か。
いやいや、その両方、か。
「推し活」は、つまり「推し」を応援する活動のことだ。
我が娘、ノコは「推し」に該当するのか。
里親子として一緒に暮らした6年という歳月はしっかとそこに積み重なり、今や同年代のほかの子どもと比べたら、正直ノコが「一番」かわいらしく感じる。賑やかを通り越してうるさくて、うっとおしくて、小憎たらしいこともいうため、どの言動も愛おしいとはいえないが、ノコは私の人生において今や一番近く、親しい。
だが、スポーツ選手やアイドル、漫画のキャラクターと違い、同じ空間で暮らしているせいか、ノコのどのふるまいも愛おしく、ほかの人に愛することをすすめたいかと問われれば、「否」だ。
独占したいわけではないが、愛するのは私たち夫婦と——あと数人増えれば、ノコの人生が豊かになるので望ましいが、だれかれにもすすめられる「推し」ではない。
「推し」ではないので、「推し活」という言葉に同意できなかったのだろうか。
そして、「最高に楽しい」か。
私たち夫婦がしているノコの習い事のサポートは、あくまでまだ小学生のノコが1人で遠方でのリハーサルに通えないから送迎しているのであって、楽しいわけではない。
せっかく遠方まで行くからには、移動や待機中の時間を楽しく過ごそうと努めるが、身体のうちからワクワクするような思いでしているわけではない。「せねばならぬ」を「楽しい」に変換させている。
「推し活」でもなく、「最高に楽しい」わけでもないから、違和感を抱いたのか。
いや、どうもそれも違う。
心の底から「頑張れ、頑張れ」といえないところかもしれない。
ノコがしたいことは応援したい。彼女ができるよう環境を整えたい。
だが、小学生のノコが「頑張れ、頑張れ」といってほしいかは別なのだ。
子ども自身が自分の「好き」を自覚して、取り組み、努力し、向上心があるのなら親の「頑張れ」という言葉も力になるのかもしれない。
子ども——だけでなく、大人も、どれだけ自分が「好き」なものを自覚できているだろうか。
今夏、ようやくノコから発表会をした習い事が「楽しい」「もっとやりたい」という言葉を聞けたが、6年かかった。
そのあいだ、私たち夫婦のほうがノコ自身より楽しげに熱心に活動していたら、ノコも一緒になって楽しく熱心に取り組んだのだろうか。子どもの性格によっては周囲の熱気にのって続けられる場合もあるが、当人のなかに「熱意」が生まれない限り、そのうち「パパがやれっていったから」「ママがやれっていったから」やっていただけだといいかねない。
ノコはおそらくそのパターンだ。
こちらが熱心になればなるほど、どこか冷ややかに、他人事になっていく。
友だちのお子さんがどうだったかはわからない。
私が友だちの言葉に同意できなかったのは、ノコが「推し」ではなく、私たち夫婦が「最高に楽しく」応援しているわけではないからだとわかった。
そして、そうできればいいが、できない複雑さを抱えているからだと気付き、そりゃ、うなずけないはずだと腑に落ちた。
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