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6年かかって聞けた娘の「習わせてくれてありがとう」。~子どもの習い事考~

#20250831-573

2025年8月31日(日)
 小学6年生のノコ(娘小6)にとって、この夏休みは小学校生活最後となる。
 新型コロナウイルスの感染者はあまり減っていないようだが、2023年に感染症法上の位置付けが5類感染症に移行してから、学校行事も習い事のイベントも復活してきた。

 ノコは、小学1年生から3つ習い事に通っている。
 そのうちの1つ、ピアノは辞めてしまったが、あとの2つは今も続いている。

 この夏休みに習い事の発表会があった。
 8月下旬に開催ということもあり、夏休みに入ってからノコは数日おきにそのリハーサル、リハーサル、リハーサルで予定のない日が10日もないありさまだった。もちろんその予定には、習い事ばかりでなく、里親会のイベントやお友だちと遊ぶなどのお楽しみもあったが大半が習い事だった。

 私の小学生時代を振り返れば、夏休みは長い長い休みで、残り数日というその日までは、両てのひらからあふれるまっさらな時間のかたまりだった。
 実家は毎夏お盆の時期に親の帰省に同行すると決まっており、7月中に宿題を終えなければならなかったが、それさえ済ませれば、あとは——当時習っていたピアノの練習は毎日あったものの、自由そのものだった。遊ぶもよし、本や漫画を読みふけるもよし、工作や手芸に没頭するもよし。そして、寝転がって窓からの風にひるがえるレースのカーテンをぼんやりと眺めるもよし。
 小学生の夏休みは、「なにをしてもいい時間でいっぱいだった。

 常々、私は「頭を空っぽにする時間」は大事だと思っている。
 感情も思考も手放して、指先、足先とすみずみまで身体が感じていることを味わいながら、見るでもなく目を開き、ただ明暗と瞳に入る光景をとらえる。
 つまらない、退屈とは違う。
 感覚を全開し、どこまでも広げていく。
 身体の輪郭、外界との境目が消失していくの楽しむ。
 予定のない時間がたくさんなければ、そこに至らない。
 ノコにもそういうひとときを持ってほしいと思うが、教えてすることではない。
 たくさんの「予定のない時間」の先にあるように思う。

 ぎっしりと予定の詰まったノコのカレンダーを眺めながら、私はため息をついてしまう。
 この年齢ならではの大切なものを得る機会をノコから奪っているのではないか。
 そうは思うものの、ノコはこの習い事を辞めたくないらしい。
 メンバーから浮いている時期もあったし、通っていた拠点が閉鎖となり、片道1時間もかかる遠い拠点に移籍したりといいことばかりではない。
 それでも、ノコは「辞める」とはいわなかった
 「辞めない」「続ける」とノコにいわれれば、私もむーくん(夫)もサポートするしかなかった。
 ただノコは「楽しい」ともいわなかった

 暑さは年々厳しくなり、もはやこの40度近い気温がスタンダードになりつつある。もう私が生きているあいだは、子ども時分の適度に暑い夏が戻ってくることはないのだろう。
 今夏も酷暑続きで、天気予報では連続猛暑日の記録更新を告げていた。
 気のゆるみを許さない熱気のせいか、それとも、こちらも毎年年を重ねるせいか、暑さに心身が負けそうだった。

 いつもの拠点でのリハーサルの日は、ノコはごく当たり前に1人でバスと電車に乗って通った。
 本番が近づくにつれ、ほかの拠点との合同リハーサルが増え、遠い拠点まで行かねばならない日が出てきた。
 さすがに1人で行かせられず、私かむーくんのどちらか、時に両方がノコに付き添った。
 遠方の拠点は移動にかかる時間はもちろん、待機時間も長く、いつも「どう過ごすか」もセットだった。
 貴重な「ワタシ時間」だと割り切ればよい。
 だが、不慣れな土地だと、事前にインターネットで調べてもいい待機場所が見つからず途方に暮れることもある。さらに土日となれば、世の中は夏休みだ。カフェで待とうにも混んでいて、すんなり入れないこともある。
 この猛烈な暑さのなか、どこでどう過ごせばいいのか。
 冗談でなく、眩暈めまいがしてくる。

 そして、迎えた本番当日。
 ノコの出番は思ったよりずっと多く、客席でむーくんと2人顔を見合わせてしまった。ソロのパートが減ったとぼやいていたが、十分あった。
 ステージに立つノコの姿は、すらりと美しく、堂々としており、そりゃあ多少の贔屓ひいきもあるかもしれないが、目を引いた。
 家でも連日練習をしていたが、ノコはほぼ全場面やるため、今日までどこがノコのパートなのかわからなかったのだ。

 数日後、ノコが口にした言葉が忘れられない。
 「本番、本当に楽しかったなぁ。もう1回やりたいなぁ」
 「ううん、(習い事のレッスン)合宿から本番までをあと20回やりたい!

 「小学校の友だちがいたら、もっとよかったのになぁ」
 これは、故意的に近所ではない習い事を選んだ。
 里子というノコの生い立ちもあり、小学校で行き詰まったとき、ノコに学校とは違う場を用意したかったのだ。家とも学校とも違う第3の場所、サード・プレイスとして機能すればよいと思って決めた。絶対同じ小学校の児童がいてはいけないとしたわけではないが、この6年間遭遇したことはない。
 だから、この言葉に配慮し過ぎただろうか、とは思った。
 確かに、小学校の友だちはノコがステージでこんなふうにふるまえることを知らない。
 ああ、知らないなんてもったいない。
 ノコの学校とは違う一面を見てほしい。

 「ねえ、ママママ。習わせてくれて、ありがとう

 6年生になり、ノコと同じ習い事をしたいという友だちが現れた。
 親に頼んだが、日程と金銭上「無理」といわれたという。
 その友だちは兄弟がいるらしく、そうなると送迎だけでも頭が痛いのはわかる。金銭上というのは、具体的にノコが通っている習い事の月謝を調べた上なのかはわからない。家計内でその子ども1人に掛けられる習い事の金額の範囲外というだけかもしれない。
 ただノコは、友だちの親の返事にこの習い事は「高い」と思ったようだ。

 「高いのに、習わせてくれてありがとう」

 確かに送迎すれば、大人の交通費もかかる。待機時間にお茶の1杯でも飲めば、またお金がかかる。発表会のチケット代も安くはない。
 それらをふまえると、決して「安い」とはいえないのは事実だが、私はとにかくノコが口にしたいくつもの言葉に目を見張った。

 6年かかって、ようやく、だ
 「あと20回やりたい」というノコの言葉は、単に「楽しい」より具体的でパワフルで輝いていた。
 「習わせてくれて、ありがとう」という言葉には、人間関係や6年生にしては長い移動時間に悩んだこともあったが、委託直後のノコの「好き」を見誤っていなかったのだと安堵した。
 これからもこの習い事を続けるかわからないし、新たな壁が立ちはだかるかもしれない。
 それでも、6年目に聞けたこれらの言葉に、私の目頭が熱くなった。
 ノコの「頭を空っぽにする時間」は奪ったかもしれないが、彼女のうちからほとばしる「好き」は潰さずに済んだのかもしれない。
 「子育て」は、どうなるかわからない道をひたすら祈りながら歩いていくしかないのだ。

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