令和七年 九月【御柱】宮人 御船代
神楽歌『宮人』
祖霊に、舞うことを望まれているようだけど
身体は硬く、ミシミシ…🙃
何処へ辿り着くだろうか。
以前みた夢、朱文の『宮人』という文字。光るシダの葉。
当時は、意味が分からなかったけれど
鶴岡八幡宮に参った際、奉納の舞について何かヒントとお導きを下さい。とお願いした後、神楽歌の秘曲『宮人』に辿り着いた。
宮中でも特別な時しか歌われない秘曲と言われている。
鶴岡八幡宮では、何度か奏上されたことがあるようだ。
剣と鏡を宮中から外へ出し、三輪に祀った頃できた歌といわれているようだが、詳しいことはわからない。
いつか、きいてみたい💭
御田八幡神社
御田
三田が、御田だと知ったのは
はじめて神田明神に参る頃。
下鴨神社から郵便が届き
東京事務所の住所をみた時だった。
東京都港区三田3-7-16 御田八幡ビルとあり
三田は、御田だったと知る。
御田は、神田なのだ。
たくさんの白い鳩が夢に現れて以来
何故か八幡さまに度々足を運ぶことが続いている。
どうやら港区に 御田八幡神社という神社があるらしい。
という話を耳にして、ハッとした。
気づいた時感動したのに
今度行こう!と言ったまま、まだ参っていない。
港区というのは、湊、水戸だという当たり前のことを
今さらながら実感し、その足で向かった。




御田八幡神社の浦には亀塚公園がある。
公園や学校は、かつて祭祀の場であった場所が多いようにおもう。
公園の空気は、ピンとしていて
竹棕櫚がたくさんあった。
亀塚の頂には酒壺がありそこから亀(神)が出入りをしていたとある。
御室山のようだ。
ここは御田八幡神社と一体なのだなぁ。と感じた。


こじんまりとした小さな神社
ひっそりと静かで、御神気に満ち溢れている。
浦のお稲荷さんはかなり強い威厳。





神職さんが、境内の植物にたっぷり水をあげていらした。
気持ちよさそう。
しばらくベンチでゆっくりさせていただいた。
すばらしいお参りでした。
また参ります。
鶴岡八幡宮 宵宮祭
久しぶりに、北鎌倉の円覚寺に行こうとしたのに
何故か鶴岡八幡宮に行かねばならない気がした。
先日、行ったばかり。
気になりながらも、北鎌倉で下車したら
鶴岡八幡宮の古神宝展のポスター。

やはり、何故かどうしても行かねばならない気がして
北鎌倉から時刻を調べた。
鶴岡八幡宮の裏口真ん前に着くバスが一時間に一、二本しかないが、それがもう二分で目の前のバス停に来る…。
迷う暇もなく、来たバスに飛び乗り、結局、鶴岡八幡宮へ。
何をやっているのか分からない。
北鎌倉で降りたのに…。




斎館でお抹茶がいただけるとのことで一服した。
境内は、御神気に満ち溢れていた。
無音。
斎館は、ひとりきり。
御乾菓子は鶴亀。
灯籠に海藻。



どうもおかしい。
海藻はいつもあるものではない。
調べると
きょうは鶴岡八幡宮で一年で一番大切な例大祭の宵宮祭だった。
海藻は、夜明けに浜での禊ぎとともに、運ばれるそうだ。
18時から参進。
あ。このために来たのか…。と悟り
帰れなくなった。
夕刻を待つ。
















明日は御神輿がでる。
明後日は小笠原流の流鏑馬奉納だ。
ほんとうは、今日喫茶店で俳句を書く予定だった。
何をやっているのか分からない
鎌倉で日が落ちるまでいたことがなく
初めての夜は、鈴虫の音に包まれ、すばらしい夜だった。









放心しながら参道を帰る。
翌日も御神輿を見送り、置石の蕎麦屋でしらす丼をたべた。境内には白い鳩が飛び交っていた。






こんなキッカケを頂けなければ
ずっと来ることもなかったかもしれない。
お社で御礼を申し上げた。
また参ります。
銀杏の大木
鶴岡八幡宮にはかつて銀杏の大木があった。
根こそぎ倒れ、宮司さんは早朝お宮に来られてからその光景を目の当たりにして責任を取らねばと思った。と書いていらした。
ところが地域の方々は、どうか再生させて欲しいと願い、倒れた木の根から様々な方法で植物の専門家の方々の知恵もお借りしながら、奇跡的にあたらしく芽吹いた木が少しずつ育っているそうだ。
スケールが全く違うけれど
私がお世話している榊もいつか✨
御船代祭
9月末の予定がどんどんスケジュール変更となり
御船代祭へ。
初めて、式年遷宮の祭を奉拝した。
言葉に言い表せない。
御霊を激しく揺さぶられるようだった。
一生忘れられない。
貴重な機会に立ち会うことができたこと
感謝しかなく。
終わってから放心している。
子ども、鶏、仮の様式は
必然だと感じた。










奉拝の前日、神がかりが起きた。
それは全くの想定外だった。
自分の身に起きた事象と、脳内の理解が全く追いつかず3日間、努力して平静を取り繕った。
(声をかけて下さった方、お話をきいてくださった方に助けていただきました。心より御礼を申し上げます。
本当にありがとうございます。)
瞳孔はひらいたまま。
震えと涙は止まらず。
祖霊が感じたことを自ら追体験する必要があるらしい。
ただ、これが何なのかわからない。
遠い祖霊に何があって
どのような気持ちだったかは、頭では到底理解できない。
頭も、身体も空っぽにして
心感することで、一体になるのだろう。
数日経って実感したことは
神宮の神域は、神職さんをはじめ、たくさんの方たちに守られている。
その深い安心感たるや。
計り知れない。
この底なしの恐怖や心細さを目の当たりにして
そうした方々がお側にいてくださることが
そこに祀られる神さまにとって、どれほど嬉しいものかを思い知る。
尊い時間をいただきました。
深く御礼申し上げます。
斎宮
伊勢に発つ前の週。
突如、先輩から斎宮で南門の遺跡がでたというニュースが送られてきた。
現地説明会は、20日朝だという。滞在中の日程。
伊勢に行く日程を告げていた訳ではなかった。
どうやら先輩はお友達から届いた知らせをみて
私に伝えなければ。と思ったそうだ。おふたりのおかげ。
朝から斎宮へ向かう。
茶屋に立ち寄ると、大麻のワークショップのお誘い。
現地説明会に行くというと、ばったり地元のガイドの方に出会い、ご案内して下さることになった。
史跡の中に住んでいらっしゃるとのこと。
遠い昔の人がどんな気持ちでここから神宮を仰ぎみただろうか。というお話を伺いながらのんびり歩いていたら、遅刻…。
途中から二人で走る💨
1人だと辿り着けなかった…。
御遷宮の祭のこともあり、ずっと柱について考えていた。
御船代
御樋代
心御柱
発掘された穴には、異質な真っ白な砂が敷き詰められており
混じり気がなかった。とのこと。
地面には神さまがいる。
建物を立てる前に祭をするように、壊す時も丁寧に祭を行ったのであろう。というお話だった。
専門性高い考古学の話は、なかなかに難しいのだけど
実際にこうして遺跡をみて、その側に生える棕櫚を眺めながら
様々なことが頭を巡る。
ガイドの方に八脚門跡地まで連れて行っていただき
帰るまでご一緒した。
はっきゃくもんは、やつあしもん。
遺跡のご説明をして下さった方は、もう26年?くらいは掘っていらっしゃるそう。果てしないロマン。
またの再会を願い御礼をお伝えし、伊勢に戻った。









御柱
伊勢から戻り「柱」のことをずっと考えていた。
遠い昔、尊い犠牲としての「人柱」が存在した。
神さまも「柱」で呼ばれる。
柱に自ら縛られにゆく人の夢をみたことがある。
しあわせそうなお顔には到底みえず、その周りには白い衣を着た人々が拝んでいた。
火に自ら飛び込む白兎を思い出す。
哀しみはなく、只浄らかに無心で飛び込むのだ。
伊勢から戻った日、約束があり
食事をご馳走になり、琉球の絵本をいただいた。
その本は、ユタのおばぁが話す内容を絵本にされたそうだ。
三本の柱に神が宿り、それをひとつにくくり、ひとつの柱とする話。三輪。出雲大社の地面から発掘された柱の形式で建築強度を高める意味合いもあったのだろうけれど、必然たる意味があるのだろう。

かつての琉球王義本が、尊い犠牲として縄で縛られ火にかけられる話が描かれていた。
義本は、龍氏を遡る祖とされている。
どこまでが本当かは誰も分からないが、奄美、喜界に墓があるそうだ。子孫が命を繋ぎ、祖霊を祀りたいのなら
どちらにもあるのだろうな。と感じた。
火に包まれる瞬間、激しい落雷がその火をのみこみ、救済される。白兎と同じで、命をかける🐇
自らの命への一切の恐怖や執着が消えた時、「人柱」は「神」となるのかもしれない。
きょうも、何故か鎌倉に行かねばならない気持ちがした。
流石にもう三度目…。
どうかしてる…。と思いながら
おはぎをお供えしたいから。まぁいいか…という理由で足を運んた。
おはぎは売り切れ。
(ごめんなさい…お供えはポンデリングになりました…)
ここまで来たからには、社に寄らねばならない…。
前回通らなかった路が無性に気になり、足を踏み入れると
そこは、祖霊社できょうが例祭だった。
氏子崇敬者の祖霊と護国の英霊とをお祀りされており
現在は歴代の宮司さんを始め1000柱を超えるお御霊がお祀りされていると書かれていた😮
無人の社で手を合わせる。
柱の意味を実感した。
きょうはこの為に来たらしい💭







明治神宮
伊勢でふと明治天皇のことを思い出した瞬間があった。
今年は、初めて明治神宮の薪能に当選。
能『室津』
初めての金春流。
この曲目を知らなかったので検索すると…
シテに謡のない大変珍しい曲目だという。
平安時代、賀茂別雷神社の直系御厨の地になった
兵庫県たつの市にある賀茂神社のお話とある。
賀茂…。
竜野…。
地図をみると、龍とタツだらけで
境内には野生のソテツがあり県指定文化財になっていると書かれていたが、写真をみると龍宮そのものである。
瀬戸内海に面し、龍宮からの舟が行き来した場所であろう。縁深い場所なのだなぁ。と感じた。
厳島神社観月能の前に、道すがら参る場所がある気がしていたが
ハテ…💭
ある日、ふと夜間参拝の募集が目に入り
御礼を申し上げたいな。と申し込みしてみたら、行ける事になった。
明治神宮で夜間の参拝が許されるのは
通常は、薪能と年末年始の二回とのこと。
今回が初めての会だったそうだ。
神職さんにご案内いただき、入らせていただく。
※厳かな参拝の後、10分撮影の御許可がありました。






御礼は三つ
①御所のこと
御所の側で学び、日々を過ごした。
東京へ都が移った後、京都御所は荒れ果てていたそうだ。
明治天皇が生まれ故郷であるその地を、うつくしく保つようお命じ下さったお陰で、明治天皇にとっても、京都市民にとっても、かけがえない場所としての御所がある。
②これまでのこと
東京で働くようになってから、何だかんだ殆どの時間を表参道、明治神宮前で過ごしているようにおもう。朝珈琲を買う時も、夜更の残業の時も、髪を切る時も、はたらいている時も、いつもこの地を見守って下さる。
③薪能
明治神宮での薪能当選の御礼
シテに謡がなく観世流と金春流にしかないと云われる秘曲。
「室津」賀茂の神にかかわる貴重な演能。
御礼申し上げます。
人に会う
月末、お世話になっている人に
遠方から来られるある人を引き合わせたい。とのお申し出をいただいた。
ほんとうはその日予定があったが、キャンセルになり
空いていた。
幼い頃から、霊がみえるという方で
ユタのような人だった。
父と母、それぞれの父方、母方
四方のご先祖の中で濃い血筋がわかると仰って
一緒にお会いした方をみながら、あー。あなたは◯◯ですね。と静かにお話をされていた。
話が終わり、私をみてその方が何度も首を傾げる。
他の方とは何かが違うようで、何かおかしいそうだ。
おうちは何か信仰がおありですか?
(何処まで遡っていいか分からない…🫠)
父方は、僧侶です。
(近世では…。母方は、琉球神道にあたるのだろうがややこし過ぎるので申し上げなかった。)
父の父方の氏はなんと仰るのですか?
三輪です。
あなたにご兄弟は?
いません。
遠い眼をされて
そっと手に触れ
あぁ…あなたはこの先大変やねぇ…。
と言われた。
私からは詳しいことは何も言わなかった。
自覚はある。
父母の祖霊すべてをお祀りする必要がある。
三輪山の神、龍王、ノロの祖、玉依姫、日の巫女
そのようなお名前がつく以前の祖霊もすべて。
自分が生まれるまでの祖霊もすべて。
とはいえ、生命の根元はひとつなのだから
最終的にはすべての人々の安寧を祈ることになる。
そして、それは生業にしてはならない。
帰る間際にご挨拶をして
私に使命がありますか?とお尋すると
わかっているでしょう?
という表情をされ
貴方が継ぐことになっている。
がんばらんといけないね。
と仰った。
その方と、また会うことがあるかは分からないが
不思議な一日だった。
能 野守
明治神宮に行くその日の朝
鷹か鷲のような猛禽類が、鎮守の杜の高い木のいただきに留まり、鋭い眼で一点を見つめている夢をみた。
猛禽類の夢は初めてだ。
びっくりした。

翌日、能に。
喜多能楽堂へ。
俳句会「澤」の先輩である能楽師の白良さまが
きょうは矢来能楽堂で「三輪」を舞われている。
足を運びたかったが、喜多流が先約であったため断念。
どちらもみたく断腸のおもい💭

「小督」「二人大名」「遊行柳」
柳の精がゆらゆら舞ふのを見つめる。
驚いたのは仕舞「野守」
鏡を持ち、舞い、地を踏み締める友枝雄人師をみて
血が湧き上がるような、何とも言えない気持ちがして涙がでた。
何故??
野守について考える。
そういえば、鷹がでてくる。
昨日の夢と関係があるのだろうか?
「野守」の舞台は、奈良、御蓋山…。飛火野。
朱雀門にほど近い。
年始にみた朱雀は奈良だったのでは。という話を、先日したばかりだった。
旅の僧が“野守の鏡”の謂れについて老人に尋ねると
老人は昔話に鷹狩の鷹を見失った天皇の話をする。
「鷹は池の中にいる」
不思議に思って池を覗くと、木の枝にとまる鷹の姿が映っている。
この池を“野守の鏡”と言うと、老人は語って姿を消してしまう。
そしてその夜、僧の前には野の神が現れ、人の心を映して見せるという“野守の鏡”を示す。
というものだが
奈良に「鷹の井」という井がある。
「氷室神社」だ。神前の氷のお下がりがかき氷として振る舞われる。
下鴨神社の氷室開き神事でも、かき氷をいただいた。
その後、夢で氷室の前に鏡がある夢をみたことがある。
ピカピカと光って大層うつくしかったが
鏡には呪術がかかっている。決して見てはならない。
と言われた。
あの鏡と鷹の井の水鏡は同じなのか🪞
鹿島?武甕槌?
分からないことだらけ。
