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私の音楽遍歴:大学の管弦楽団にお別れを

Aloha!

前の記事からちょっと間があいてしまいました。

歯が立たない相手に出会ってしまい、音楽家になる!音楽学校に行く!と心に決めていたはずなのに、あっさり考えを変えてしまったのでありました。
情けないといえば情けない、おれ(+_+)。ではありますが、はなはだ合理的(現実的)な判断をしたものでありました。

音楽家になる夢はあっさりあきらめてしまいましたが、フルートのレッスンには通い、管弦楽団の活動は続けていました。

大学一年の冬の定期演奏会が無事(?)終わりましたが、その後に大きな変化が訪れたのです。

何年か常任指揮者だった先生(N響のチェリスト)が退任されたのです。
そして、次に迎えた先生がなんと、、、、

「汐澤安彦先生」でした(・O・)

「汐澤安彦先生」といえば、吹奏楽をやってる人なら知らない人はいないといっていいくらい、当時から有名な指揮者でした。
弦楽セクションの人はしらないでしょうが(^0^;)

先生と大学の管弦楽団には以前からご縁があり、過去の演奏会で指揮してくださったこともあったのです。
これには、身が引き締まる思いでしたね。
なにせ、あの有名な先生の指導を受けられるのですから。

直近のターゲットは、春の特別演奏会となり、春休みの合宿からごしどうをうける事になっていました。

合宿での汐澤先生の練習ですが、管楽器のセクションのコーチは、当時神奈川大学の吹奏楽団の指揮をされていた方でした。
この方は「林りり子先生」の弟子のフルート吹きだったそうです。

最近の方の中には「林りり子先生」の名前をご存じない方も多いと思います。当時は「吉田雅夫先生」と並び称されるフルーティストでした。
作曲家の「林 光氏」の妹さんで、お弟子さんの中には、ジャズサックスプレイヤーのナベサダ、「渡辺貞夫さん」もいらっしゃます。

このコーチの分奏は厳しかったですねぇ。
生まれて初めてかも、ってくらいの経験でしたね。
それは、汐澤先生の合奏の時に管楽器パートが出来ていないとまずいから当然ですけどね(^_^;)


大学二年生の春の特別演奏会では、ベートーヴェンの交響曲第一番を吹かせて頂きました。
しかし、上手く吹けなかったなぁ~~~~~(;。;)悔いが残ります。
下手くそでしたね。


そして、冬には並行してもうひとつ大きなうねりが押し寄せていました。
実はこれこそが、わたしの今がある所以となるものなのです。

それは、出身高校の生徒が主となり、4月に初めての演奏会を開くことになったということでした。

大学に入ってからも折に触れて高校には顔を出していました。
夏合宿にも参加したようなしなかったような(^_^;)
ということで、演奏会にも参加することになったのです。

私の高校卒業とと入れ替わりで入部してきた生徒の中に、同じ中学校の吹奏楽部卒業生の「AK」君がいました。
顧問の先生も同じでしたから、中学の時のコンクールも出ていたりしてなにかと話が合いましたね。

一年生ながらもその「AK」君が中心となって、演奏会を開催したいという機運を持ち上げていったようでした。

Y高校として初めての演奏会を開催し、その頃にその「AK」君から相談を受けたと記憶していますが、それは、

「吹奏楽コンクールに出たいので一緒にやってもらえませんか」というものでした。多分(^0^;)

そのときにどれくらい考えたのかよく思い出せませんが、そのとき出した私の結論は、大学の管弦楽団を退団して、Y高校のみんなとコンクールを目指す、でした。

ここでまた線路のポイントは切り替わっていきました。
切り替わるというか、切り替えられるというか。
とにかくどんどん切り替わるもんだ(^0^;)

そのつづきはまた。
Mahalo!

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