短編小説「恩返しは今」
始発バスに乗るためにバス停に並んでいる。
凍えるような寒さの日で、息も白い。丘の向こうには朝日も見える。まだ並んでいるのは私1人。
そういえば、今朝お母さんが温かいお茶が入ったポットとカイロを持たせてくれた。
「がんばんなさいよ。ほどほどに。」
少し心配そうな顔で送り出すお母さんは、寒さのせいか少し青白かった。
「お母さん、なんか顔色悪いよ?大丈夫?」
「大丈夫よ、低血圧だからかな??」
まだパジャマ姿で、私のお弁当や朝ごはんを作るために早起きしてくれていた。
税理士になって3年。まだまだ駆け出しで、バイトをしながら10年かけてやっとの思いでなった税理士も手放したくなるくらいにめまぐるしく忙しかった。確定申告の依頼も沢山入りこの時期は更に忙しさを増していた。
現に今日も朝一番から働くことになっていた。
ポットのお茶を一口飲み、カイロの封を切って振る。
思えばお母さんには、苦労させてばかりいる。
スーパーのレジ店員をしているお母さんは、いつか、旅行に行きたいねと旅行会社のパンフレットを持って帰ってきては私に話していた。私が学生の頃はそんな話も出たことがない。むしろお母さんが家にいた記憶があまりない。朝も昼も夜もがむしゃらに仕事をして私を育ててくれた。
私も旅行に連れて行きたいとは常日頃思っているが、仕事が忙しくて後回しになっている。
バスが来た。乗り込むとやはり私一人だった。
会社に着いて仕事を忙しくこなし、帰ろうとしたところを所長に呼ばれた。
「原さん、ここんとこお疲れ様。これ良かったら旅行券なんだけどお母さん連れてってあげなよ」
「え?いいんですか?」
「いいよ、休みも取っていいからわかったら教えて。
頑張っているし、君のお母さんは娘が朝から晩までこき使われていると思ってるだろ。笑 お母様を安心させたいからなぁ僕も。そして辞められたくない」
冗談を言いながら、所長はふふっと笑って2枚の旅行券を手渡した。
私はそれをカバンにもポッケにも入れずに、ぎゅっと握りしめバスに乗って帰宅する。
やったやったー!見てる人は見ててくれてるんだっ!!日ごろの頑張りも見ていてもらえてるんだ!神様、所長様ありがとう!!
自宅に着くと何故か家の鍵が空いていた。
ガチャ。開けると母が玄関先で倒れていた。
「お母さん!!!」
応答はない。
「お母さん!!」
脈拍を測ってみても鼻の下に手を差し伸べても、胸に耳を当てても心臓の鼓動は聞こえなかった。
身体も冷たい。急いで救急車を呼ぶ。
仕事帰りで倒れてしまったのだろう。お母さんの落ちたバックからまた、旅行会社のパンフレットが
溢れ出ていた。
「どうして今日なんだろうね」
涙が溢れて止まらなかった。玄関に散らばった旅行会社のパンフレットと私の持つ旅行券。
「お母さんごめんね、ごめんね。もっと早く・・」
この涙はずっと覚えていたい。
恩返しは、思った時にやること。後回しにしないこと。人は誰でもいつでも生きていてくれると思わないこと。
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