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意志は態度の中に宿る ― フランクル回想録を読んで


ヴィクトールフランクルといえば夜と霧が有名ですね。5年前くらいに読んだ記憶があります。

自叙伝は興味があったので、あと読みやすそうだったので購入。
フランクルの人生を辿っていると、「愛」という言葉の意味を、あらためて考えさせられる。

苫野一徳氏は『愛』の中で、「愛とは意思であり、それを育てあげる意思である」と書いていた。

フランクルの生涯は、その言葉を実際に生きた人だったのではないかと思う。

彼は、アメリカへ亡命し安全な場所で生きる道も選べた。それでも家族への想いからウィーンに残り、過酷な運命を引き受けた。
収容所では何度も死の淵に立たされながら、それでも「没収された原稿を書き直したい」という思いを手放さなかった。

そして、その意思は自分一人のためだけではなかった。
絶望している人に声をかけ、その人の中に残っている可能性を支えようとしていた。

感情としての優しさだけではなく、「それでも人を大切にしようとする意思」。
そこに、自分は本当の愛の姿を見る。

フランクルは、人間の奥底には、本能だけではなく、意味や価値を求めようとする精神の働きがあると考えた。
彼はそれを「無意識のロゴス」と呼んだ。

どんな状況でも、状況に対してどう応答するかを選ぶ自由は残されている。

この感覚は、森博嗣氏の語る「徹底した客観視」や、「他者に依存しすぎず、自分の自由と責任で立つ」という姿勢にも、どこか通じているように感じる。

感情に飲み込まれそうな時でも、静かに自分を見つめ続ける理性。
その小さな理性が、人間の尊厳を支えているのかもしれない。

そして不思議なのは、フランクルという他者の人生を読んでいるはずなのに、気づけば自分自身の人生を振り返っていることだ。

「どんな状況でも、自分の人生の意味を決める主権は、自分にある」

彼の生き方は、そんな問いを静かに投げかけてくる。

お前は、どんな意思を持って生きていくのか。
何を大切にし、何を育てていきたいのか。

人生の意味は、どこか遠くにある正解ではなく、
目の前の状況に対して、自分がどんな態度を選ぶかの中にあるのだと思う。

人生はこちらに問いを投げかけ続けている。
そして、その問いにどう応答するかを決めるのが、自分の意志なのだろう。

その意志の中には、
「誰かや何かを大切にしたい」という愛も含まれているのだと思う。

絶対的な正解が見えない世界でも、
人間の限界を知った世界でも、
身近な人を想うことや、
今ここにある微かな心地よさを選び取ること。

その小さな意思の中に、確かな意味が宿る。

だからこれからは、
「これが自分の出したい手だ」と思えるものを、
一つずつ静かに選んでいきたいと思う。

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