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移ろいゆく季節を感じ始めています。ふんわりと子育ての時間をふり返ってみました

先日、京都永観堂の「みかえり阿弥陀像」について触れた記事を、3行日記で書きました。
ふと思い出して、書きました。

初めて拝観したとき、後ろを振り返る、優しくも揺るぎないその佇まいから、目が離せなくなりました。

仏像としては大きくないはずなのに、静かに辺り一面が照らされているような感覚の中で、

振り返ってもらえない
見てもらえない
気にかけてもらえない

そんな子どもの頃の気持ちが溶けていくような気がして、やっぱり自分は後ろを振り返る気持ちを忘れないでいようと思いました。誰かを見放したり置いていきたくないと思いました。

高校の修学旅行のことでした。

それから大人になり、
いつしか母になりました。


初めての育児はわからないことだらけで、誰もが少なからず大変な思いをすると思います。

それでも、育てやすい子と、育てにくい子って、いるのだろうと思っています。


苦労自慢をしたいわけではありませんが、長男は育てにくい部分がありました。手がかかる、と言うのでしょうか。

生まれて程なくして気づきました。
とにかく泣く。離れると泣く。
この世の終わりみたいに泣くから、泣き声を聞くくらいなら抱っこしてる方が楽でした。

泣いてるからって、すぐに応えなくてもいい
少しくらい放っておいてもいい
抱き癖がつく
甘えん坊になる

そういう意見があることは知っていました。

それでも、私は応えたかった。


正直、イライラしてしまうことも多かったです。

どうして、こんなに泣くのか。
どうして、1人で寝ててくれないのか。
どうして、家事をする時間もくれないのか。
どうして、ひと息つくことも許してくれないのか。いったい、何がそんなに気に入らないのか。

こんな風に思ったこともたくさんありました。

それでもやっぱり、応えたかった。

泣くから、抱っこする。
抱っこしたら泣き止むから、そのまま抱っこする。

だって、できるお世話は全部してるのです。
それでも泣くなら、もう仕方ない。
求めてるものがあるなら、応えたいと思いました。

長男を膝に乗せたまま、座椅子に何時間も座っていることもありました。境界線なんてなくなるくらい、座椅子も自分も長男もすべて一体化して、そのまま石像にでもなってしまいそうでした。


泣き方って赤ちゃんによって違うのだと思いますが、彼は、とにかくよく通る声で泣きました。少し低くくて厚みのある声をお腹の底から叩き出す。離れていても振動を感じるくらいでした。障子や襖は少し揺れていたんじゃないかと思います。

そして、ちょっとやそっとじゃ諦めない。
泣き続ける。

だから、根負けしたと言えば、そうなのかもしれません。


でも、同じくらい抱きとめたかった。


彼が生まれた頃、世の中は不安だらけでした。それまでの当たり前が崩れて、安心や絆や繋がりを求める人が多かったように思います。

そんな空気に呼応するかのように、恐怖心をまといながら、この世に生まれてきた。

とにかく不安、とにかく離れたくない、とにかく一緒にいたい。

そう強く伝わってきました。
少し感受性が強い子だったのかもしれません。
世の中の空気や、親である私の本音さえも拾い上げているようでした。

そんな子を放っておくことができなくて、私は長男と濃密な時間を過ごすこととなりました。


数年後、少し世の中が明るさを取り戻し始めた頃、次男が生まれ、とても驚きました。

勝手に1人で寝てくれる。
目覚めてる間も、ご機嫌に過ごせる。
すぐに泣いたりしない。

わりと育児書通りの順序で育ってゆき、あまり動きたがらなかった長男の赤ちゃん時代とはずいぶん様子が違いました。

大きくなってからも、どことなく次男の方が自立心が強い気がします。でも、長男も意志が強いのです。赤ちゃんの頃から、やりたいことやりたくないことが、ハッキリしていました。

その小さな身体に、大き過ぎる意志と、やはり大き過ぎる不安を持って生まれてきて、身動きが取れなくなっているようにも見えました。だから、どうにかしてあげたかった。

次男の方がバランスが取れていたようにも思いますが、引き留める力が小さいぶん、一度加速したら止まらない。もしかしたら、そんな彼を引き留めようと必死になりすぎていたかもしれません。


自分の育児を振り返ると、「包み込む」ことをしてきた日々だと思うのです。

包み込めなかったこともいっぱいあったし、もう包みたくないと投げ出しそうになったこともあるし、取りこぼしてしまうものを拾い集めるのに疲れることも、たくさんありました。

それでも、包み込みたかった。
守りたくてしかたなかった。

「みかえり阿弥陀像」のように、常に子どもたちに目をやり、温かな空気で包み込みたくて、もがいてた。

そんな時間だったと思っています。


その世界から、二人が少しずつ飛び出そうとしているのを感じています。

それぞれのやり方で、それぞれのスピードで。

私にはnoteという自己表現の場ができ、仕事にも少しずつ比重を置きつつあります。

お互いに、外の世界へと向かってゆく。

季節が移ろいゆくように、この春の訪れを皮切りにして、少しずつ具現化していくのではないか。

そんな予感があります。



こちらの記事の答え合わせです。


髪の毛を短くしました。

自分の思いを素直に伝えて、短くて切ってもらいました。

鏡に映る自分にまだ慣れなくて、くすぐったくて、それでいて、しっくりきているようにも感じる。

みんな、変化の波に乗り始めているのだと思いました。

もう私が振り返る場所には子ども達はいなくて、遥か先へと向かっているのかもしれない。

今度は、後ろから温かく見守ろうか。
それとも、自分もさらに遠くを目指してみようか。

お互いに振り返った時に、笑い合えたのなら、いい気がします。家庭の中に安心感を残したまま、冒険に出る。


あの小さかった頃の記憶や時間の積み重ねが、それぞれの心の中にあって、冒険のお守りのような存在になってくれたらいいなと思っています。

読んでくださり、ありがとうございました。
心穏やかな素敵な1日となりますように。



▼3行日記は、こちらです

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