授業研究法
何十年も前に行った教育実習、そして新任1年目から担任として子どもの指導に当たった遠い昔を思い出している。
子どもとどう接してよいかすらわからず、只の素人がいきなり教育現場に投げ出されるわけである。
子どもに指導しろと言われても、まともなことができるはずもない。
だから、当時は実習の指導教諭や隣の学級の先生のしていることを見よう見まねで毎日体当たりするしかなかった。
周りの先輩教師からは「すぐに子どもを指導できるようになるわけでもないから」と慰められ、一人前になるには時間がかかると声をかけていただき、悩みを聞いてもらったが、最後は担任としての自分が何とかするしかなかった。
が、その手立てがわからなかった。
当時は、「こうすればこどもがこう動く」「こうすれば子どもにこんなことが身に付く」というように、すべて教師が立てた計画に子どもを合わせるような発想しかなかったように思う。
でも、迷路のような行き当たりばったりの毎日で、今日は何とか少しはまともな指導がしたいと思う私には、そうするしか方法はなかった。
子どもが教材と出会って何を感じるのか、どう学ぶのかと考えないわけではなかったが、授業にはねらいがあり、身に付けさせなければならない力があって、最後はそこに行きつかなければならないと考えると、やはり教師主導の授業に陥っていたのではないかと思う。
子どもの学びを中心に据えた授業といいながら、やはり教師の指導が中心に据えられていたのではないかとかつての自分振り返っている。
その後、いくつかの学校を経験し、自分の授業に対する見方や考え方もだんだんと積み重なり広がっていったようには思うが、授業研究の中心はやはり、「発問は」「授業の流し(構成)は」「板書は」といった教師の指導技術が自分の関心や研究の対象であったように思う。
子ども中心の授業と言いながら、実は、学んでいる子どものことはほとんど問題とせず、教師の指導の在り方ばかりを問題にしてきた感じがする。
最近『これからの授業研究法入門』(秋田喜代美編)という書籍に出会った。
授業が子ども一人一人に成立しているか、子どもがどう育っているのか、このことを見ていくためには、私たちに子どもの目線に立って子どもの学びを見るという視点がなければならない。
いくら教師の指導技術を磨き、そこを問題にしたとしても、子どもがどう学んでいるのかは見えてこない。
本書は、授業をどう見るのか、とりわけ子どもがどう学んでいるかを見るために、私たち教師が授業を見る際に持つべき視点について示唆を与えてくれている。
本書から学んだことをもとに書いてみたい。詳しくは次回以降書いていきたい。
