出雲大社は纒向
私は奈良県在住で主に地図から古代史を読み解いてみようと試みる、ただの素人おじさんです。でも、素人だからこその自由な視点があり、それが歴史の解明につながる部分があるのではないかと思っています。
前回の記事では箸墓古墳は宇佐の亀山を大和に再現したものであることを検証しましたが、今回はタイトルの通り出雲大社と纒向の関係性を検証しましょう。
纒向遺跡建物群

日の出日の入りマップという便利なサイトで確認したところ、この画像のように、纒向遺跡の大型建物跡の場所は冬至の日の出が三輪山、夏至の日の出が龍王山の方向を示していました。
建物群の真南に箸墓古墳があり、建物群から夏至の日の出の方向には景行天皇陵があるという配置になっています。つまり、建物群と箸墓古墳及び景行天皇陵は太陽信仰に関連していることが伺えます。
そして前回の検証から、箸墓古墳は宇佐神宮であると思われることから、被葬者は宇佐の出身者でかつ太陽信仰にまつわる人物と考えられます。少し卑弥呼のにおいがしてきましたね。
なお、箸墓古墳の最高地点の真北はJR線の東になり、私有地となっているその地点からだと、冬至夏至のラインがきれいに山を通ることになりますので発掘ができれば何か出てくるかもしれません。
纒向と出雲
建物群のすぐ近くに箸墓古墳に先行する纒向型前方後円墳が5基存在します。100m前後の当時としてはかなりの大型古墳です。

三輪山は大神神社の御由緒で確認できますが、大国主と同一視されています。そうです、大国主の前に有力者5人の墓があるということになり、画像のとおり出雲大社御本殿の大国主神と別天津神五柱という形と同じ配置になっています。(ですから、纒向型前方後円墳の被葬者は別天津神であると言えるのではないでしょうか。)
出雲大社の大国主神は北・東・南を板仕切りで囲われていますが、纒向周辺も同じく三輪山の北には龍王山、東には巻向山、少し離れた南には御破裂山という三輪山より標高の高い山があり、その視界を遮られていると言えます。
出雲大社は東西南北が正確ではなく、やや傾いています。
そして、その傾きが東西軸を揃えた纒向遺跡建物群の軸の傾きと一致しています(画像の赤線)!。
ここまで一致しているからには断言してよいでしょう。出雲大社御本殿は纒向です。
出雲大社の謎がひとつ解けましたね。大国主神が西向きの理由は三輪山だからであり、纒向周辺が西に開けているから三輪山に祀られる大国主も必然的に西向きになっているからだということです。
では三輪山の大国主はどこを見ているのでしょうか。
上記画像のとおり、岩屋峠を指しています。岩屋峠は三輪山より標高が低いことから、山の向こう側を見ていることになります。山の向こうは大阪平野が広がり、その先にある淡路島の伊弉諾神宮の位置を指しています。




出雲大社=纒向という目で見てみると南側の山は板仕切りにしか見えませんよね。
出雲大社旧御本殿
出雲大社の御本殿の高さは現在24mであり、昔は48m、太古の昔は96mあったと言われています。
旧御本殿の復元模型がいくつかあるようですが、私は階段部分の長さが金輪御造営差図に書かれた109mでフロアレベルが30m、千木までの高さが48mのものが正解と考えます。
御本殿が纒向の様子を現わしているのであるならば、このスロープが三輪山=大国主神を示していると考えます。
長さ109mに対し高さ30mという比率が三輪山と同じだからです。
次の画像を出雲大社旧御本殿の図面と比べていただくとピッタリ一致することがわかりますが、権利関係がわからないので図面の画像は載せないことをご了承ください。

三輪山の大国主は山の向こう側を見ていますが、出雲大社御本殿の大国主神がいらっしゃる場所から西方向(やや南寄り)はどうでしょうか。
国土地理院の標高図を使って確かめてみたところ、標高96mを超える場所はありませんでした。


太古にあったとされる96mの御本殿は三輪山と同じく山の向こう側を大国主神が見ていることになるので、実在した可能性がでてきます。96mの高さに到達するためには、三輪山の比率で長さが346m必要となりますが、グーグルマップ上の計測にはなりますが、出雲大社の大国主神がいらっしゃる場所から松の参道の三の鳥居までの長さは360mほどあるため、条件を満たしているのです。96mの巨大神殿が技術的に実在したかどうかはわかりませんが、少なくとも用地は準備していたということになります。実在したと思った方がロマンがありますね。
