人のことを恨みはじめたら暇な証拠
2026年8月2日(日)朝の6:00になりました。
今日は、遠足の下見に行きます。
どうも、高倉大希です。
子どものころは、暇が苦痛だったのですが。
大人になってからは、暇を感じなくなりました。
忙しくて時間がない、とかそういう話ではなく。
空いた時間を暇だと思わなくなった、と言うのが適切な気がします。
暇をつぶす手段が増えた、とも言えるかもしれません。
暇を楽しめるようになった、とも言えるかもしれません。
なぜ暇は搾取されるのだろうか?そらは人が退屈することを嫌うからである。人は暇を得たが、暇を何に使えばよいのか分からない。このままでは暇のなかで退屈してしまう。だから、与えられた楽しみ、準備・用意された快楽に身を委ね、安心を得る。
あの人のせいで、うまくいかない。
あの人のせいで、損をした。
あの人のせいで、苦虫を噛んだ。
あの人のせいで、人生がおかしくなった。
人のことを恨みはじめたら、暇な証拠。
どこかで耳にしてからというもの、ずっと記憶に残っている言葉です。
努力しても解決がないと嘆いている人は、そのために、「自分の努力が足りないからだ」と不必要に自分を責めたり、「こんなに努力しても解決しないのは、××が悪いからだ」と考え、他人や組織やいろんなものを恨んでみたり、要するに自分の苦しみを倍加させている、ということである。
人のせいにできるってのは、それはそれでよいことなのかもしれません。
そのおかげで立つことができるのなら、それでもよいのかもしれません。
でも、ずっと人を恨み続けるというのは。
いくらなんでも、しんどいよなと思います。
恨みにすがって、恨みを手放せなくなるというのは。
いくらなんでも、辛いよなと思います。
子どもたちは、人間関係を自分で磨き直す力を持っている。にもかかわらず、大人が「やめなさい」「謝りなさい!」などとすぐに介入するので、人間関係を自力で修復する機会を奪われ、かえって恨みを募らせることにもなるのだと。
人のことを、恨みそうになったなら。
暇をつぶす豊かさを、取り戻さなければなりません。
そんな相手に、自分の人生をくれてやるのは。
あまりにも、もったいない。
人のことを恨みはじめたら、暇な証拠。
どうか、恨まずに済みますように。
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— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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