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東日本大震災から15年、あの日々を忘れない。|仙台のホテルでの記憶と、あなたを想う気持ち

2011年3月11日14時46分
東日本大震災

当時私は仙台市内のビジネスホテルに
勤務していました。

15年前の明日。明日で15年。
あれから15年も経つのか・・・
月日が経てば忘れていくこともあるけど、
あの日の出来事、
あの日からの一日一日、
あの時の気持ちは忘れられない。

忘れない。

ちゃんと私の中にある。
きっとこれからも永遠に。

(2026年3月10日に綴りました)


いつもの時間が突然消えたとき


あの日は遅番。
出社して間もなく1時間が経とうとする頃、
会議室を利用中のお客様から一本の電話。

追加の椅子を頼まれ、

いつものように会議室へ向い、

いつものように
会議室横の収納扉の鍵を開け、

いつものように
予備の椅子に手を掛けた頃・・・

今までに感じたことのない
揺れが起きました。


ホテルは免震構造。

とても特殊な揺れ方をします。
まるで大荒れの海の上にいるようでした。
大きく身体が左右に揺さぶられ、
なんとか両手で扉に捕まり
立っているのが精一杯。
揺れはとても長く感じました。

その時、
先輩が猛ダッシュで
私の後ろを駆け抜けていき、
非常階段のドアを開けようとしているのが
見えました。

先輩は私よりず〜っと華奢な女性。

“助けなきゃ、先輩が飛ばされちゃう!”

必死に扉の鍵を閉め、私もダッシュ。

なんとか2人がかりで
非常階段のドアを開けて
避難経路を確保。

会議室から驚いて飛び出てきた
お客さまの安否を確認し、
すぐに走って事務所に戻りました。


戻るとそこは別世界・・・


ついさっきまで居た事務所とは
ガラリと変わり、
モニター1つ付いていない・・・・・

全てのシステムがダウン。
宿泊中のお客さまが在室なのか不在なのか、
ソレさえも事務所内で分からない・・・

すぐに清掃の方達にも協力頂き
お客様やスタッフの安否確認、
建物の損傷確認が行われ、
程なくして全員の無事を確認。

そしてなんと、
あんなにとんでもない揺れだったのに
客室はTV1つ倒れることなく無事。
免震構造の凄さを実感しました。


仙台駅の封鎖、どんどん人が・・・


そうこうしているうちに、
ホテルのフロントやロビーは
宿泊予定だった方や帰れなくなった方、
様々なご事情で避難して来た方達で
溢れていきました。

本部と連絡が取れない。
電気もつかない、お湯も出ない、
食事もない。

限られたスタッフしかいない・・・

そんな状況でホテルを開放して良いのか。
避難所に移動頂いたほうが
安全かもしれない。
様々な難しいことを
支配人達が協議している中、
私達はロビーにいる方達を中心に
毛布やカイロを配り始めました。

不思議なもので、
日頃から
役割が決まっていたわけでもないのに
スタッフ全員、
自らやるべき事を淡々としていました。


寒さじゃない、この震えは・・・


その時、
一組のカップルが目に止まりました。

“女性が震えてる”
咄嗟に駆け寄り「宜しければ、どうぞ」と
カイロを渡そうとしましたが、
女性はガタガタ震えたまま
ぼんやりと外を眺めていました。


“こんな時に雪が降るなんて・・・”
季節外れの雪が降り出しとても寒かった・・・

“違う、この方は恐怖で震えてるんだ”


カイロをお連れ様に渡しながら
そのことに気付いて、

“きっと長くなる・・シッカリしなきゃ”

初めてそう強く思いました。


暗闇のチェックイン、お客様の誘導


その後、
お客様の受入れを決断。

夕方から、
暗闇の中で懐中電灯を照らしながらの
チェックイン開始。

非常階段で客室へのご案内がスタート。

客室に入りきれなかった方達は、
フロント周辺を開放。
毛布などで暖を取って頂きました。


その頃にはようやく私達も
制服の上にコートやダウンを羽織り、
限られた人数で
推定300人近い方達の安全を守るため、
ワタワタと目の前に広がる膨大なタスクに
ただただ追われていました。


自覚出来たのは数日後・・・


地震当日、スタッフのほとんどが
家族の安否が分からない状況・・・
だけど、誰も弱音を吐いていなかった。

そんな私達が、
津波が起きたと知ったのは
真夜中に事務所で流れていたラジオを
少しだけ聞いた時です。

でも正直、やる事に追われて
甚大な被害が出ていると自覚したのは
震災から確か2日後か3日後。
電気が復旧し、
夜勤明けで観た朝のTV番組でした。
(急遽、勤務していたメンバーでシフトを組み
いつの間にか私は夜勤に変わっていました。)


毎日が未知のことばかり


電気が復旧した時は本当に嬉しかった。
いかに“灯り”が
私たちの生活を支えてくれているか。

これほどまでに痛感したのは初めてでした。

それからも毎日、色んなことがありました。
各方面から
家族を探すたくさんの電話の対応。

ロビーで起きた喧嘩の仲裁。

後輩に八つ当たりしてしまったお客様に
一言もの申してしまったこと・・・w

やっと帰れるお客様からの
温かい差入れの数々。


そして満足な対応が出来なかったのに
「助けてくれてありがとう」
声を掛けてくれたこと。


思い出すと今でも鼻がツンとします。


当たり前にある小さな幸せを噛みしめる


今まで私は
あまり積極的に震災について
話して来ませんでした。

私の家族や親戚は皆、山沿いに住み無事。
当時の同僚の中には
大切な親戚を津波で亡くされた方がいる。

だから
“こんなに大変だったの”と
言える立場にないと想っていました。

でも、
あの日、ガタガタと震えて
言葉が出なかった女性の姿は
今でも鮮明に覚えています。

とってもお節介だけど・・・w
今でも毎年、

“あの方は無事に帰れたのだろうか”
“元気にしてるかなぁ”と思い出します。


あの方が
何気ない日々の有難さを教えてくれた。


電気がついて
水が流れて
ガスが使える。
寒さや暑さをしのげる。

当たり前の毎日が当たり前に過ごせる。

電車やバス、車などで
どこかへ出掛け
当たり前のように帰る場所がある。


それって、
とってもとっても嬉しいことですね♡


あの経験があったからこそ
今も眠りにつく時にふと、
“温かい布団に包まれて幸せだなぁ”と、
小さな幸せを噛みしめられる。



だから私は忘れない。

そして語る。言葉を紡ぐ。



あの日、突然全てを失った方達。

生活が一変した方達。

様々な生きづらさを感じた方達。

突然逝くことになった方達。

未だに家族の元へ帰ることが出来ない方達。

ずっとずっと帰りを待っている方達。



心を寄せています。
あなたのことを想っています。



最後まで読んで下さり
ありがとうございます。

せめて今だけ
一瞬だけでも
全ての人や動植物、地球が
心穏やかに過ごすことが出来ますように♡


          HICO♡POI(Peace of I)



◇┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◇ 

自己紹介をそっと置かせて頂きます。
宜しければ、ご覧頂けたら嬉しいです。

◇┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◇


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