京浜急行 “海森線” の記憶 (京浜急行) #245
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面白そうな講義
Web検索していたら
「第10回 郷土学習講座
鉄道の発達と大森の変化」
講師 佐藤渉 氏
会場 大森東図書館
第10回ということは
9回までは
どんな講義だったのか
とても興味深い。

大森東図書館
会場の様子
17名で
男性が多く
見たところ50歳以上の方が
多数であったように
見受けました。

中央が佐藤渉講師
大森東図書館
講義のテーマ
黒船襲来から始まって
平和島駅を中心に
開業当時の京浜電気鉄道の
駅やその周辺成り立ちや
現在に至る講義でした。

京浜電気鉄道
1901年 (明治34年) 2月1日
六郷橋~大森停車場間が開業
当時は
併用軌道の俗に言う
「チンチン電車」でした。
現・大森海岸(八幡)駅からは
直角に進路を変え
現・JR大森駅方向へ向かって
走っていました。

沿線の歴史
駅名の変遷
大森海岸(おおもりかいがん)駅
↑ 1933年(昭和7年)7月1日
海岸(かいがん)駅
↑ 1904年(明治37年)5月8日
八幡(やわた)駅
1901年(明治34年)2月1日
海岸(かいがん)駅(廃止)
1904年(明治37年)5月8日
大森八幡(おおもりやはた)駅(廃止)
↑ 1944年(昭和19年)11月10日
↑ 1943年(昭和18年)6月30日(休止)
八幡(やわた)駅
↑ 1904年(明治37年)5月8日
停車場道(ていしゃばみち)駅
1901年(明治34年)2月1日
(臨)大森海水浴場(おおもりかいすいよくじょう)駅(廃止)
1929年(昭和4年)月日不明
1926年(大正15年)月日不明
平和島(へいわじま)駅
↑ 1961年(昭和36年)9月1日
学校裏(がっこううら)駅
↑ 1904年(明治37年)頃(時期不明)
澤田(さわだ)駅
1901年(明治34年)2月1日
大森町(おおもりまち)駅
↑ 1952年(昭和27年)12月15日(復活)
大森山谷(おおもりさんや)駅
↑ 1949年(昭和24年)6月30日(廃止)
↑ 1945年(昭和20年)以前(休止)
山谷(さんや)駅
1904年(明治37年)5月8日(移設)
1901年(明治34年)2月1日
路線の変遷
開業当時は
あくまでも
大森停車場が本線でしたが
1907年(明治37年)5月8日
現在の本線が
八ッ山橋駅まで開通すると
海岸~大森停車場駅間は
大森支線となりました。
大森支線の通称
京浜電気鉄道内では、
海岸駅と大森停車場駅
だったことから
「海森線」と
呼ばれていたそうです。
大森支線内での事故
1924年(大正13年)
5月26日 21:57頃
海岸停留所から大森停車場駅
に向かう電車の運転手が
発車して45mのところで
電動機の異臭(油のにおい)に気づき
電車が動いたまま
運転台から頭を出し
点検をしたところ
電柱に後頭部を打ち
運転手は転落。
運転手は、
負傷しながらも
何とか追いかけたが
止められずに
運転手なしで
大森停車場駅終端まで
走っていき、
終点の車止めに衝突。
その衝撃で負傷者が出た。
その後被害者は
安田病院に運ばれ
応急診療後、
入院及び帰宅した。
大森停車場駅構内の構造変化(考察)
当初
大森停車場駅は
ループ式を使って
折り返しを行っていた。
しかし、
1912年(大正2年)
当時の地図を見ると
線路は二股に別れ
一方は、
駅の地図記号
もう一方は
線路が途切れて
描かれている。
この構造の変化は、
当時行われていた
貨物輸送の影響によるものと
考えられる。
つまり、
乗客の乗降用ホームと、
貨物の積み下ろしや
待避のための側線(待避線)とが
明確に分離された構造へと
変化していったのではないか。
もし1924年(大正13年)
事故当時
ループ式のままだった場合
ループを折り返して
海岸停留所まで
戻っていたはずである。


大正2年10月10日発行
を基に作成

ループ部分(写真左側が京浜東北線)
後にループ内は
白木屋大森分店になる
その後の海森線(考察)
1904年に
現在の本線が開通後も
1937年(昭和12年)3月8日まで
存続した。
Otapediaでは
その理由について
以下のように考察してみる。
① 当時の本線は
品川駅と名乗っていたが
実際は
現・北品川駅までの
延伸であり
国鉄・品川駅に
乗り入れるのは、
1933年(昭和8年)4月1日
までかかったこと。
この間、
大森停車場(現・JR大森駅)
との接続は、
依然として重要な結節点であり、
“海森線”の役割は完全には
終わっていなかったのではないか。
② 大森海岸周辺の
観光・歓楽地としての価値
当時の大森海岸駅周辺には、
花街や温泉、
八幡海岸海水浴場といった
多くの行楽・歓楽施設が
集まっていた。
“海森線”は、
それらの施設へ向かう
アクセス路線としての役割を
担っていた可能性がある。
賑わいを支える交通インフラとして、
この支線は地域の“裏動脈”として
機能していたのではないか。
以上が
Otapediaの
大森支線が
長きに渡って
存続した理由と考える。
最後に
講師独自の見解なども
織り交ぜながら
楽しい2時間でした。
構成なども
とても参考になり
生かしていければいいなと
思いました。
これからは
こういった講義にも
積極的に参加していきたいですね。

出典
1.『鈴木写真変電所』大森支線 (海森線) の変遷
2. Bing マップ
ヘッダー
3.大田区 『沿線の歴史 高松𠮷太郎氏撮影』 史跡パネルより
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