蒲田町役場の火災 (蒲田東)【2月17日 今日は何の日】#241
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蒲田町役場所焼失と被害
1930年 (昭和5年) 2月17日 11時頃
蒲田町役場において
(現・損保ジャパン 日本興和蒲田ビル
蒲田5-24-2 付近)
火災が発生した。
2月という季節もあり、
暖房用煙突の過熱が
原因となった。
執務中の出火のため、
職員たちは消防組を協力して
消火活動と書類の搬出に努めた。
しかし、火の回りが早く
多くの書類が失われた。
※当時は
現・消防庁が存在せず、
消防業務は、
警察が兼務していた。
建物の被害
建物は
引き続き使用できないほどの
損傷を受けた。
仮移転先
蒲田菖蒲園があった
現・蒲田小学校
(蒲田1-30-1)
の雨天体操場施設が
仮庁舎として
使用されました。
新庁舎建設の委員
同年5月28日の町会において
・新田吾郎氏
・望月昭雄氏
・吉田直治氏
・小島富次郎氏
・木會小源次氏
・本竹定吉氏
・石井礒五郎氏
・山縣外男氏
・並木岩吉氏
・鈴木筆三郎氏
・加藤周蔵氏
の11名が建築委員に選出された。
当時の町会は
町政の意思決定機関であり、
彼らは蒲田町の町政を担う
有力者層であったと考えられる。
建築委員会はこののち、
新庁舎建設計画に着手する。
新たな移転先
蒲田町新宿町359番地
466坪の土地に
建設されることが決定した。
新庁舎建設の議論
当初は
「木造2階建て」
となるはずであったが、
時代の流れに合わせて
鉄筋コンクリート造を
用いた工法を
主張する者も出て
会議はまとまらなかった。
1年3か月の議論の結果
1931年 (昭和6年) 9月4日
町会において
上記委員のほか
全量会議員も
建築委員に選定して
当初の通り「木造建築」で
建設されることとなった。
その後の建設予定
同10月15日地鎮祭を執行
10月20日着工
12月28日竣工
新庁舎の完成
12月29日
上記新宿町359番地の
新築移転した。
蒲田町役場から蒲田区役所へ
1932年10月1日
蒲田町は東京市に編入され、
蒲田町役場は「蒲田区役所」として
新たな役割を担うこととなった。
蒲田区役所時代の
第二次世界大戦中にも、
2度の空襲を受け
移転を余儀なくされている。
最後に
Otapediaは
蒲田町役場の
火災が起こった
2月17日を
「大田区記憶の日」
として登録します。
大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡を
未来へと伝えていきます。
これらの呼称は
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
蒲田町史
朝日新聞縮刷版 昭和5年2月
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