丸子信号場 開設【5月20日 今日は何の日】(田園調布特別出張所・鵜の木特別出張所) #333
※本記事は
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占領軍管理下の三菱重工丸子工場
戦後、
トラクター生産日本一を誇っていた
三菱重工丸子工場は、
生産を禁止された。
1949年 (昭和24年) 末より
使用不能戦車の修理工場として
戦車の搬入が行われた。
使用された機関車
C58やD51また8620号機が使用され
昼夜搬入が行われた。
当時の品鶴線
24時間過密ダイヤの路線で
短時間であっても
上下線を止めての
出入線作業は困難を極めた。
丸子信号場 開設
この問題を解決するため
1950年 (昭和25年) 5月20日
丸子信号場が開設され
品鶴線 下丸子三菱重工引込線が
誕生した。

左は目蒲電鉄乗越橋架道橋 8k628m62
撮影:Otapedia
朝鮮戦争勃発
1950年 (昭和25年) 6月25日
~1953年 (昭和28年) 7月27日
信号場開設から
約1か月後に勃発した
朝鮮戦争により
大量の戦車が
搬入されるようになった。
朝鮮戦争休戦協定
1953年 (昭和28年) 7月27日
が締結されると
戦車の搬入も減少した。
日本語による正式名称は、
「朝鮮における軍事休戦に関する
一方国際連合軍司令部総司令官と
他方朝鮮人民軍最高司令官および
中国人民志願軍司令員との間の協定」
品鶴線下丸子三菱重工引込線
休戦協定と同時に
引込線も休眠状態となった。
占領軍の管理終了
1956年 (昭和31年) 6月30日
三菱重工丸子工場の
管理が終了すると
引込線は使用されなくなった。
丸子信号場 廃止
1957年 (昭和32年) 7月17日
用途がなくなったため
廃止された。
現在の三菱重工引込線
引込線が通っていた
土手の築堤は、
東海道新幹線建設時まで
残っていたとされるが、
大きな遺構は残っていない。

草ぼうぼうでわかりにくいが
奥のエンゼルハイム田園調布南あたりに線路があったか?
撮影:Otapedia

木陰でわからないが池田文化会館まで遊歩道になっている
撮影:Otapedia

現在では春に二十一世紀桜が咲き誇り
区内屈指の桜の名所となっている
撮影:Otapedia
最後に
Otapediaは、
三菱重工丸子工場を
「大田区無名の企業」
として
かつての
品鶴線下丸子三菱重工引込線を
「大田区無名の風景」
として
丸子信号場と
品鶴線下丸子三菱重工引込線と
丸子工場跡地
モニュメントを
「大田区未顕彰の地域遺産」
として
丸子信号場が開設された
5月20日と
廃止された
7月17日を
「大田区記憶の日」
として記録します。
大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡を
未来へと伝えていきます。
これらの呼称は
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
1. Wikipedia『丸子信号場』
2. Wikipedia『朝鮮戦争』
3. Wikipedia『朝鮮戦争休戦協定』
4.『鉄道廃線跡を歩く VII』宮脇俊三 編集
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