蒲田菖蒲園 「蒲田の父」 鈴木卯兵衛:横浜植木創業と桜の伝道師【前編】(蒲田東特別出張所) #35
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1.【前書き】
「蒲田菖蒲園があったからこそ、
今の蒲田がある」
——そう言っても、
決して言いすぎではありません。
明治時代後期、
まだ田園風景の広がるこの地に、
ある男が事業の未来の可能性を見出しました。
蒲田はその事業が誕生がきっかけで、
街のかたちを変えていく
大きな原動力となりました。
その名は鈴木卯兵衛。
日本で初めて園芸植物の輸出事業を成功させ、
日本の植物を世界へと広めた実業家です。
中でも特筆すべきは、
1912年(大正元年)に
ポトマック河畔へと届けられた
6,000本超の桜苗。
“桜外交”という歴史的プロジェクトを
実現させ、
翼を広げた桜は今もなお、
日米友好と文化交流の象徴として
世界中の人々を魅了し続けている。
彼が開いた「蒲田菖蒲園」は、
多くの人を呼び寄せ、
駅の招致につながりました。
それをきっかけにさまざまな企業が進出して、
ひとつの街を築いていきました。
私は彼の足跡を辿るなかで、
鈴木卯兵衛こそ「蒲田の父」
と呼ぶにふさわしい人物だと、
強く感じています。
その名が歴史の表舞台に刻まれることは、
なかったかもしれません。
しかし彼は、
確かにこの街を動かした一人であり、
「Otapedia」は、鈴木卯兵衛氏を
「大田区の隠れた名誉区民」として、
登録したいと考えています。
これから彼の功績について
語りたいと思います。
2.【蒲田を創った男 鈴木卯兵衛という人物】
鈴木卯兵衛(すずき うへえ)
1852年(嘉永5年)5月28日に生まれ [出典1]
1910年(明治43年)11月23日に
没しました。[出典2]
出身地は千葉県です。

出典:『人事興信録』初版(明治36年4月発行)
3.【横浜園芸業界の立役者 カール・クレーマー】
1867年(慶應3年)
ドイツ人
カール・クレーマー(Carl Kramer)は、
来日し、横浜居留地63番地に居を構え、
クレイマー商会を設立、
植物貿易を開始しました。
彼は、日本の植物をヨーロッパに紹介した
初期の園芸商の一人とされています。
「横浜園芸の父」といえる人物です。
1872年(明治5年)
『日本のユリ、蘭、楓、種子等のリスト』
というカタログを発行して、
日本産植物を輸出した。
なかでも「ササユリ」に注目して
自分の名前を冠した新種の
「リリウム・クラメリ」を
カタログの目玉として
美麗さを紹介しています。
クレーマーは、明治初期の日本において
プラントハンター(植物収集家)
としての顔以外にも、
教育者、農地開拓者など、
日欧の園芸交流に尽力しました。[出典2]
クレーマーの存在は、
そんな時代の到来の幕開けとなりました。
4.【日本の園芸貿易を拓いたルイス・ベーマー】
ルイス・ベーマー
(Louis Boehmer, 1843-1896年)
ドイツ リューネブルクに生まれる。
宮廷庭師の下での修業や
西洋での経験を経て、
明治初期のお雇い外国人として来日し、
1872年(明治5年)来日
まずは東京・青山の官園を拠点に、
日本の近代農業技術者の育成に
貢献しました。
1874年(明治7年)
北海道に渡り植物相調査旅行を行い、
ホップの自生を発見したことが
後のサッポロビールの開業に繋がるなど、
北海道の近代農業発展に
多大な貢献をしました。
野菜や花卉、果樹や穀類など
多くの有用な作物を短期間で
北海道に定着させ、
その後の発展の基礎を築いた
ベーマーの業績は、
賞賛に値します。
1882年(明治15年)
開拓使の廃止にともない、
横浜に移り住んだベーマーは、
この地で輸出入園芸業の、
横浜ベーマー商会を設立します。
本格的温室を建設し
日本産植物の輸出と並行して
西洋花卉の輸入培養を行いました。
[出典5]
この会社の設立は、
日本の園芸業界の発展を、
加速させるものとなりました。

百花繚乱「横浜植木物語」
~花と緑で世界を結んだ先駆者の歩みを追憶~より転載
5.【卯兵衛と横浜植木商会の百年の歩み】
1882年(明治15年)
卯兵衛は下総国より立身出世を夢見て
横浜へ上京。
ベーマー商会の仕入れ担当(番頭)
として入社します。
日本贔屓で情誼に厚かったベーマーは、
自社の名義を活用し、
卯兵衛らによるアメリカへのユリ根輸出を、
後押ししました。[出典5]
1890年(明治23年)2月7日
こうして、外国人が主導していた、
日本の園芸植物の輸出を、
自分たちの手で行うという、
強い志を抱いた卯兵衛は、
園芸や貿易に通じる21名とともに[出典6]
有限責任横浜植木商会を創業しました。
日本人主体の本格的園芸輸出組織が
誕生しました。
同月、サンフランシスコ支店開設され、
これが海外展開の第一歩となりました。
※取締役飯島秋三郎が支店長として
赴任する。
※一部文献に1880年設立との
記載もありますが、
本稿では1890年創業としています。
[出典13]
1891年(明治24年)6月1日
日本初の植物貿易会社、
株式会社横浜植木商会を設立。
1893年(明治26年)
商号を「横浜植木株式会社」に
改称しました。
同年、シカゴで開催された
米国コロンブス世界博覧会に、
盆栽と日本庭園を出品し、
高い評価を得ました。
1895年(明治28年)8月10日
臨時総会にて、
サンフランシスコ支店の閉鎖が決定する。
1897年(明治30年)
確実な品種と優良な苗を生産するため、
磯子菖蒲園開園。
鉄砲百合とともに
アメリカで人気のあった花菖蒲を、
栽培するために開園しましたが、
海外からの更なる需要の高まりにより、
敷地が手狭になり、
新天地を求めることになります。
1898年(明治31年)12月
ニューヨーク事務所開設。
1903年(明治36年)3月
蒲田菖蒲園開園とともに
磯子菖蒲園閉園しました。
1907年(明治40年)2月
ロンドン支店開設。
草花種子を国内で販売開始。
1910年(明治43年)
英国日英博覧会に盆栽を出品。
名誉大賞を受賞。
1910年(明治43年)11月23日
鈴木卯兵衛病没する。
1911年(明治44年)2月16日
第41回定時総会にて、
浜吉が2代目社長に就任する。
[出典12]
※他文献では濱吉との表記もありますが、
横浜植木株式会社による「浜吉」として
表記します。

百花繚乱「横浜植木物語」
~花と緑で世界を結んだ先駆者の歩みを追憶~
より転載


出典:『人事興信録』第4版(大正4年1月発行)

出典:『人事興信録』第4版(大正4年1月発行)
(1915年(大正4年)10月23日79歳逝去[出典14])
6.【ワシントンD.C.への桜寄贈:横浜植木の果たした重要な役割】
横浜植木株式会社の輝かしい歴史の中で、
最大の偉業の一つとして語り継がれるのが、
ワシントンD.C.への桜の寄贈です。
1912年(明治45年)
第27代大統領ウィリアム・タフト夫人の
ヘレン・タフトの後押しにより
東京市尾崎行雄市長が
ワシントン州のポトマック川に、
桜を寄贈しました。
その際、横浜植木株式会社が手掛けました。
培ってきた「知見」と
「長年の実績」を駆使して、
16日間の長きにわたる輸送にも耐え、
すべての検査に合格した
健康な桜の苗木合計6,000本を
アメリカのワシントンD.C.とニューヨークに
送り届けることに成功しました。
※最終的にワシントンへは3,020本が送られ
植樹される
これは、横浜植木株式会社の
蓄積したノウハウが、
日米友好の象徴となる桜並木の実現に
大きく貢献したのです。
今日その場所は、
世界的な桜の名所として、
多くの人々に親しまれています。
7. 【大正時代以降の横浜植木株式会社】
その後も数々の展覧会などに出展し
多くの評価を得ました。
また、事業拡大にも積極的に取り組み、
その歩みを確かなものとしていきました。
今日も当時と同じ横浜市南区に本社を置き、
「種苗」「園芸」「造園」を通じて、
「緑で空間をデザインする」という
理念のもと
世界でも活躍をし続けています。
#36 蒲田菖蒲園(蒲田)
蒲田の父・鈴木卯兵衛が
咲かせた未来【後編】では、
駅開業から企業進出のお話になります

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本記事は、地域の記憶を未来に残すための
デジタルアーカイブです。
引用の際は出典明示と事前連絡をお願いします。
1 『人事興信録』初版(明治36年4月発行)
2 明治初期の園芸をめぐる異文化交流 小風真理子 著
3 横浜植木株式会社 「企業情報ページ」
4 かまにし 第20号 平成18年6月1日
5 ルイス・ベーマー Wikipedia
6 公益財団法人 神奈川産業振興センター
12 横浜植木株式会社ご担当者様への取材に基づく 2025年7月3日
13 愛知豊明花き地方卸売市場
14 神奈川県植物研究史補遺( 2 )
ヘッダー写真:
蒲田菖蒲園 大田区立郷土博物館 提供
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