原村立春梅園 幻の梅園 (蒲田西特別出張所) #39
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【前書き】
現在の大田区多摩川2丁目に、
かつて「原村立春梅園」がありました。
蒲田梅屋敷に次いで開園したこの梅園は、
明治時代に開園し、
多くの来園者で賑わいました。
今ではその姿を留めていませんが、
地域の歴史を語る上で欠かせない存在です。
残念ながら今ではその姿を留めない
この梅園の足跡を辿ってみましょう。
ー免責事項ー
一部筆者の見解を
掲載しております
【図1 旧版地形図×現況図比較】

(歴史的農業環境閲覧システム提供)
Google Maps(©Google)に重ねた比較図
中央の「梅」が原村立春梅園
左下の「梅」は小向梅林(御幸梅林)
作成:Otapedia(かえる11号)🗺️
※古い地図と現在図には位置のズレがあるため
おおまかにご覧ください
【梅園創設者 原清次郎(はら せいじろう)】
現存する文献が乏しく、
詳細は不明です。
【梅の実を採る他の開園だった】
1883年 (明治16年)
原村の名主原清次郎は、
蒲田周辺において
梅の実の生産が
盛んであったことに倣い、
およそ2,000坪 (およそ6,600㎡)
という広大な土地に
300株の梅樹を植えて
開園しました。
当初は梅の実の収穫を目的に
栽培していましたが、
開花時期になると近所の人々が
花を見に集まるようになりました。
清次郎は、
敷地内に500坪の池を掘り、
あずまやを建て、
原村梅園として
一般に開放しました。
やがて毎年
数千人の見物客が訪れ
対岸の小向梅林と並んで
梅の名所となりました。[出典7]

大田区立郷土博物館 所蔵
【梅園を拡張】
その後伴田六之助の
別邸となってからは、
3,000坪に拡張、
紅梅や白梅を増殖し、
さらに
池や小高い丘を築造。
茶屋や売店まで揃えました。
この拡張が大当たりして
大勢の見物客が来園しました。
ある時は、すし屋が出張し
三斗の米 (45Kg) が
必要になるほど
大盛況となりました。[出典1]
【梅園の開園時期】
毎年2月10日の紀元節から
3月末まで一般公開されました。
【浮世絵に描かれるほどの名所】
1884年 (明治17年)
月岡芳年 (つきおかよしとし) の
「全盛四季春 荏原郡原村立春梅図」のなかで、
対岸川崎の小向梅林 (御幸梅林) と並んで、
原村梅園が梅の名所として紹介されました。
この梅園が広く知られ、
人々に親しまれていた証しと言えるでしょう。
※月岡芳年 (1839‐1892) 浮世絵師

月岡芳年
大田区立郷土博物館 所蔵

出典:近代日本の肖像 国立国会図書館
【梅園がたどった歴史】
1893年 (明治26年)
以降梅園の所有者は変っていきました
1893年~外交官近藤氏
1895年~品川の質店「三浦屋」西賀氏
1896年~伴田六之介(伴田土地合資会社)[出典2]
※所有者が変っていった理由は不明ですが
梅園は姿を変えず
賑わいを見せていたようです。
梅園の終焉
1936年 (昭和11年)
工業化のあおりを受け
用地として没収されました。
50年続いたこの園の梅の木は
残念ながらすべて伐採されたようです。
[出典1]
【梅園を支えた人物】
幸島桂花 (さしま けいか)
1830年 (天保元年) ‐1899年 (明治32年) 6月16日
原晴次郎の後援者であり、
日本橋室町の算盤商を営んでいました。
遠江国の出身で、
本名は岩井庄助。
江戸の算盤商、
幸島市右衛門の養子となり、
家業を継ぎました。
また、俳諧を甘雨亭介我に学び,
はじめ「綾守」、
のち「桂花」と
号を改めています。
彼の支援が、梅園の開園と維持に
大きく貢献したとされています。[出典4]
【「原村」の地名と原清次郎に関する考察」】
橘樹郡 (川崎市) の小杉原家は、
その広大な土地の所有を示す
逸話が残っています。
川崎大師へ参詣する際に
他人の土地を踏まずに行けた
と伝えられており [出典6]
これは、彼らの所有地が
広範囲にわたっていたことを
示唆しています。
多摩川は昔から「暴れ川」として知られ、
現在までに幾度もその流れを変えてきました。
その証拠に、
現在の大田区矢口には「古市場」という地名が、
また川崎側には「上沼部」という地名が
今も残っています。
これらの地名は、
かつて多摩川が流路を変える前の旧流域や、
かつては対岸の位置に属していたことを示唆します。

多摩川小学校近く
「古市」富士見歩道橋
原村立春梅園があった場所は、
その名の通り「原村」という地名でした。
上記の逸話や多摩川の変遷を考慮すると、
小杉から大師へ向かう途中にある「原村」に
多くの原姓の者が居住しており、
これが地名の由来となった
可能性も考えられます。
さらに、
梅園の創設者である「原清次郎」も、
この小杉原家の流れをくむ人物である
可能性も指摘できます。
これは、地域の歴史を紐解く上での
一つの興味深い考察として掲載します。
【現在の状況】
跡地に残されていた3つの石碑が
多摩川二丁目児童公園
(大田区多摩川2‐13) にあり
当時の面影を伝えています。
明治天皇御製碑
天皇陛下が詠まれた
和歌 (御製) を刻んだ石碑
「梅の花咲けるを見れば降る雪に
/冬こもる身のはつかしきかな」
文学博士 前田彗雲写
芭蕉句碑
「梅香にのつと日の出る山路哉」
幸島桂花拝書
立春を過ぎて残る寒い朝。
梅の香が匂う山路には、
何の前触れもなく
朝日がひょっこりと昇ってくる。
という意味だそうです。
立春梅碑
亀戸梅園の臥竜梅と並ぶ
名木があったことを示す石碑

大田区立郷土博物館 所蔵



大田区立郷土博物館 所蔵


残念ながら整備はされていないようです
【最後に】
Otapediaは
原清次郎を
「大田区無名の偉人」に
幸島桂花を
「大田区陰の功労者」に
原村立春梅園を
「大田区未顕彰の地域遺産」として
登録します。
大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡を
未来へと伝えていきます。
これらの呼称は
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。
今回も私が遺したい
大田区の1ページを
かたちにしてみました。
あなたも梅香を求めて
ふらっと街歩きをしてみませんか?
参考文献
1. かまにし17 第7号 平成15年3月1日発行
2. 蒲田地方と梅屋敷 北村正治著
3. 歴史的農業環境閲覧システム提供
4. 大田区役所 原村 梅園 関連石碑
5. コトバンク 幸島桂花
6. 第2章 御幸公園の梅林 (小向梅林)
7. 株式会社 原マネージメント 原家の歴史
8. 花香るおおたの梅林 ~愛でられる花々~
大田区立郷土博物館 令和5年度企画展
出典
Google Mapと歴史的農業環境閲覧システム提供による
場所の比較
写真
1.原村梅園 聴雨亭 大田区立郷土博物館 所蔵
2.原村梅園 梅林の一部 大田区立郷土博物館 所蔵
3.月岡芳年「荏原郡原村立春梅図」大田区立郷土博物館 所蔵
4.原村梅園 明治天皇御製碑 大田区立郷土博物館 所蔵
5.原村梅園 立春梅 大田区立郷土博物館 所蔵
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