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羽田競馬場 (二代目)【7月3日 今日は何の日】(羽田特別出張所) #390

※本記事は
 Otapedia 公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
 公開しています。
 無断転載・改変・商用利用を禁じます。
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※史料に基づき記述していますが、
 必要に応じて
 考察が入る場合があります。


新たな候補地

1932年 (昭和7年) 
鈴木御台場町を
候補地に選択した。

しかし、
干潮時には
わずかに地面が見えるような
海面であったという。


候補地の考察

鈴木御台場町が
選ばれた理由を示す記録は
確認されていない。

ただ、
初代羽田競馬場に
近接していたことや、
上記のような
未開の場所で
広い用地を
確保しやすい環境が
あったことが
背景としてうかがえる。


羽田競馬場(二代目)

約5か月間に及ぶ
埋め立て工事を行い
1932年 (昭和7年) 6月に完成し、
翌7月3日開場した。

東京府畜産奨励会によって運営され
毎年春秋の二回開催され
初代羽田競馬場をはるかにしのぐ
総面積約100,000坪
1周1マイル(約1,600m)
幅員30m
当時の地方競馬場
最大級の競馬場であった。


羽田競馬場開催(二代目)

東京府馬匹畜産組合連合会は
大きな馬見所を建設し
同7月3日から3日間
第一回の競馬を開催した。

写真:羽田競馬場(二代目)航空写真
左上3分の1あたりが穴守稲荷神社他
出典:国土地理院 1936.06.11撮影

売上日本一を記録

当時の地方競馬
日本一の売り上げを記録し、
競馬の普及に貢献した。


軍馬資源保護法

1939年 (昭和14年) 
「軍馬資源保護法」
が施行され、
競馬を取り巻く環境は
大きく変化した。


羽田競馬場最後の開催

1939年 (昭和14年) 
の秋季開催(7月23~26日)
をもって廃止された。

廃止の理由を明らかにする記録は
確認されていない。


羽田競馬場跡地

跡地の一部は
日本特殊鋼の敷地となり、
戦時中には
高射砲陣地が設けられた。


羽田競馬場の系譜を受け継ぐ競馬場

廃止後は
八王子競馬場へと引き継がれ、
その後
1950年 (昭和25年) 5月
大井競馬場が開場し、
東京の地方競馬は
新たな舞台へ移った。


羽田競馬場の名

羽田競馬場は姿を消したが、
大井競馬場で開催される
3歳ダート三冠レース
「羽田盃(JpnI)」として
受け継がれている。


おわりに

Otapediaは、
羽田盃を
「大田区無名の呼称」
「大田区未顕彰の地域遺産」
として
羽田競馬場(2代目)を
「大田区無名の風景」
「大田区未顕彰の地域遺産」

として
羽田競馬場(2代目)
が廃止された
7月26日を
「大田区記憶の日」
として記録します。

Otapediaは、
大田区の記憶を
未来へ遺すという
理念のもとに活動しています。

私たちは、
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。

人々の活動や風景、
残された痕跡は姿を消しても、
地域に刻まれた軌跡を
未来へと伝えていきます。

記事内で使用している
独自の顕彰は、
Otapedia独自の呼称」であり
大田区公式の認定ではありません」。


出典 
 1.『羽田競馬会沿革史』中田中 編 1935年 
 2.『大田区の文化財 第十九集』119p 写真で見る郷土のうつりかわり       
  (風景編)大田区教育委員会 
 3.『羽田競馬場(初代)』競馬場跡地マイマップ 
 4.『羽田競馬場(二代目)』競馬場跡地マイマップ

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