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【最終回】辛かった気管挿管#6 手術から抜管、そして退院へ

「辛かった気管挿管」シリーズですが、いったん完結となり、1か月以上が経ちました。

今回は最終回です。

転院した小児病院での手術から抜管、退院までの話です。

私がこの話の中でお伝えしたいのは、

セカンドオピニオンの有無で、あなたの大切な人の予後が変わることがあり得る、ということです。

それは、あなた自身の人生を大きく変えることになるかもしれません。

このシリーズを通して、セカンドオピニオンの大切さについて、改めてお届けできればと思います!

【これまでのお話】
生後1か月で呼吸不全となり、出産した大学病院に再入院となった息子。

気管挿管されて人工呼吸器に繋がれた息子は、「喉頭軟化症」と診断され、手術(気管切開)をすることになりました。

しかし、小児病院のM先生(呼吸器内科医)へセカンドオピニオンに行ったところ、息子の病名は「舌根のう胞」であることが判明。

気管切開の手術は必要なくなり、のう胞切除をすることになりました。

息子はM先生の勤務する小児病院へ転院。

私はM先生にに息子を託すことになりました。

辛かった気管挿管#1~#5

息子が挿管され、鎮静させられてから3週間。

大学病院から救急車に乗った息子と私、挿管中の息子の管を押さえ続けてくれた大学病院の先生の3名は、小児病院へ到着しました。

正面入口では、有難いことにM先生が待っていてくれました。

息子はすぐさま病棟へ移され、大学病院の先生が小児病院のスタッフへ情報の引継ぎをしてくれました。

病院間での引継ぎが終わると、M先生は私のところにやってきて、

「今後は手術を担当する呼吸器外科に引き継ぎます」

と言いました。

M先生は呼吸器内科医なので、手術をするのは外科の先生になります。

夕方になると呼吸器外科のY先生が現れました。

Y先生はその場で喉頭ファイバーをしてくれました。

「あったあった。のう胞、ありましたね」

あっけないほど、すぐに舌根のう胞を見つけてくれました。

大学病院の耳鼻科の先生は見つけられず、病名も喉頭軟化症のまま、気管切開が予定されてしまったというのに……。

Y先生に、のう胞を見つけてもらってホッとする一方、大学病院でのことを思い出すと、複雑な気持ちもありました。

もちろん、転院前に大学病院で撮影したCTで「のう胞らしきものがある」という事前情報がある上で、Y先生は喉頭ファイバーしている訳だけど……。

それでも大学病院がCTをしてくれることになったのも、M先生がセカンドオピニオンで「舌根のう胞の可能性が高いから、大学病院でCTチェックした方がよい」とアドバイスしてくれたから。

そう思うと、やはりM先生にセカンドオピニオンを受けたことが、息子の予後を変えるきっかけになった訳です。


術後のペロペロキャンディー器具

その数日後、息子はのう胞を切除する手術を受けました。

手術としては1時間ほどで、難しい手術という訳ではないとY先生から説明を受けました。

全身麻酔の手術ですが、気管切開のように喉にメスを入れる訳ではなく、「舌を引っ張り出して、舌の奥にある『のう胞』の周囲を切開して、中の液体を出す開窓術」です。

簡単に言うと「膿を潰して出す」イメージだそうです。

術後、病棟に戻ってきた息子ですが、まだ挿管されていました。

のう胞が気管を塞ぐほど大きくなっていたため、のう胞を切除しても、喉の浮腫みは残っている。

このため、術後すぐ抜管しても浮腫みで喉が閉塞してしまい、呼吸困難は解消されない。

浮腫みを取る薬剤を投与しながら、様子を見て抜管すると説明を受けました。

ただ、大きな変化としては、挿管する管が経口ではなく経鼻になり、口元がフリーになりました。

ヨダレが沢山出るようで、息子の口の中には、渦巻き型のペロペロキャンディーのような持続吸引器具が入っていました。

口が自由に動かせるようになった息子は、この器具をずっとペロペロと舐め続けていました。

まるで、おしゃぶりを思い出すように。

「早く口から飲ませてあげたい」

私はそう願いました。


抜管しても哺乳不良、呼吸不安は続く

喉の浮腫がなくなってくると、気管と管との間に隙間ができるようになり、そこから時々声が漏れるようになりました。

挿管されてから聞けなくなっていた息子の声を、再び聞くことが出来ました。

そして、それは抜管が可能となったサインでもありました。

そして迎えた抜管の日。

私が病棟を訪問すると、息子が目を開けてニコニコ笑っていました。

「笑ってる! 管もなくなっている!」

息子の鼻からは管が取れ、鎮静もなくなっていました。

身体拘束も終わり、私は1か月ぶりに、息子を抱っこすることができました。

この時点で息子は生後3か月でしたが、元々約2キロの低出生体重児で生まれた息子。

挿管されてからの栄養は点滴のみだったため、体重は増えず、この生後3か月の時点で3キロしかありませんでした。

再び息子を抱っこでき、とても嬉しい反面、あまりに小さくて軽くて、早く口から栄養を取らせてあげたいと思いました。

抜管した日にX線TV検査をして、胃の通過障害がないことを確認し、鼻に経管栄養のチューブは入れたまま、少しずつ口からのミルクを再開することになりました。

けれど、舌をペロペロ動かすものの、なかなかゴックンできない息子。

頑張れ、頑張れ……

頑張って飲んで……!

息子の心拍が上昇し、アラームが鳴りました。

看護師さんがやってきて、言いました。

「お母さん、お子さん疲れちゃっているので、少し休みましょう」

そんなことが数日続きました。

また、時には、自分で呼吸をすることを忘れてしまうこともあるようでした。

人工呼吸器を長く装着していた場合は、そういうこともあるそうです。

酸素飽和度が急に落ちて、センサーが鳴り、看護師さんが慌ててアンビューバック(手動の人工呼吸器)で対応してくれたこともありました。

呼吸がうまくできない……

再び挿管することになったら……、またあの苦しい吸引を子供にさせるようなことになったら……

そう思うと、恐怖でしかありませんでした。

哺乳不良、呼吸不安定な時期は、一定期間続きました。

ただ、外科的治療は終了したため、この後、息子はM先生の呼吸器内科へ転科し、病棟を移動することになりました。


病棟で新型インフルエンザ発生

呼吸器内科の病棟へ移ってからも、息子の状態は一進一退でした。

鼻には酸素チューブを装着し、退院の見通しはたっていませんでした。

ただ、在宅を目指し、私は在宅担当の看護師さんから、経管栄養とモニターの取り扱い操作を教えてもらっていました。

そんな時、息子の入院する呼吸器内科病棟で新型インフルエンザの患者が出たのです。

急遽、病棟閉鎖となり、動けるお子さんたちは次々と退院していきました。

残ったのは息子と、もう一人、人工呼吸器をつけたお子さんでした。

新型インフルエンザを発症した場合の致死率は、小児で高くなると報道されていました。

私は居ても立っても居られなくなり、M先生に「退院させてください!」と訴えようとしました。

あいにくその日、M先生は不在だったため、別の若い先生がM先生に連絡を取り、退院の許可を得てくれました。

その頃は酸素はほぼ不要となっていたため、私が経管栄養の手技さえ対応できれば、帰れる状況だったのです。

私は息子を抱え、経管栄養の機材一式とモニター類を抱え、タクシーに乗り込んで、逃げるように家に帰りました。

あっけない退院でした。


後日談…。 再発で、またもやセカンドオピニオンすることに

退院後は主治医(M先生の部下)から毎日連絡をもらい、息子の様子を伝え、ミルクの飲む量を少しずつ増やしていきました。

しばらくは経口と経管を併用していましたが、自宅に帰って2週間ほどして、経口のみで大丈夫そうとのことで、経管チューブは不要となりました。

私は電話での主治医からの指示どおり、息子の鼻から経管チューブを引き抜きました。

ちょうどその時期、地域の4か月検診(BCG接種)があって、退院後すぐの時期ではあったけど、何とか間に合って行くことができました。

周囲の4か月の赤ちゃんは皆、健康そうでプクプク。

一方、病み上がりの息子は、ゲッソリしていて、明らかに浮いていました。

これだけのことがあったんだもの、仕方ない。

命が助かり、気管切開をすることもなく、こうして他の子と一緒に4か月検診を受けられて良かったんだ、と思いました。

ちなみに、後日談となりますが、息子はこの1年後に、また舌根のう胞が再発したんです!

再度、小児病院で切除しましたが、その前に、今度は東大の有名な先生にセカンドオピニオンを受けました。

その東大の先生は、

「再発はよくあること。その度、切除をするのが望ましい。他の手術方法の選択は適切ではない」

とアドバイスしてくれました。

私は納得し、安心した上で、小児病院に再手術をお願いしました。

それ以降、再々発は起きていません。


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