辛かった気管挿管#2 呼吸悪化で集中治療室へ
息子が生後1か月の時、呼吸不全で再入院し、セカンドオピニオンの結果、病名と手術が変更になった話の続きです。
この話は、
・病院からの治療説明に不安のある方
・お子さんの病状に不安のあるママパパ
・セカンドオピニオンを受けようか迷っている方
このような方たちの力に少しでもなれたらと思い、17年前のことを思い出して書いています。
■経管栄養と酸素装着
今こうして振り返ってみても、この時は毎日が暗闇にいるような気持ちでした。
気管挿管となる前の話になります。
まず、生まれた大学病院に生後1ヶ月で再入院してほどなく、口からの哺乳が不良ということで、経管栄養になりました。
経管栄養=鼻にチューブを入れて、そこからミルクを入れる、ということです。
まず、これがショックでした。
ある朝、面会に行くと、子供の鼻にチューブが入れられていたんです。
子供は細い声で泣いていました。
それを見て私は驚き、私も泣きたい気持ちになりました。
「生まれてから今まで口から飲めていたのに、どうして……」という気持ちでした。
私自身、産後間もなかったので、ホルモンバランスが不安定で、ちょっとしたことで動揺する状態ではあったと思いますが、今振り返っても無理はないと思います。
そして程なく、鼻には酸素チューブも追加で装着されました。
■当初の病名
この時ついていた病名は「喉頭軟化症」です。
喉頭(のどの前の方にある空気の通り道)が未成熟で柔らかいため、息を吸った際につぶれてしまい、空気の通り道である気道が狭くなってしまう症状です。
再入院時に、耳鼻科外来で喉頭ファイバー検査をした結果、喉頭軟化症の所見があったとのことでした。
検査時は、私が子供と一緒に病棟から降りて、耳鼻科外来に行きました。
耳鼻科の先生は「こんなに小さい子の検査するの? ファイバーできるかなあ」などと言いながら、私が抱っこしている息子の鼻の中へカメラを入れました。
おとなしくて、普段ほとんど泣かない息子ですが、これにはビックリして細い声で泣き続けました。
今でも思い出すと胸が潰れる思いです。
本当に可哀そうでした……
■大部屋から集中治療室へ
再入院して経管栄養と酸素装着となり、2週間ほど経ちましたが、呼吸状態は改善しませんでした。
ただ、一時は経管栄養+酸素で退院の話も出て、ケースワーカーの方に、自宅周辺の在宅看護ステーションを紹介してもらう所まで話が進んでいました。
それがある日、呼吸状態がかなり悪くなり、息子は大部屋から集中治療室へ移されました。
私はその時、付き添い入院していて、私自身が身体的にも精神的にも疲れ切っていました。
集中治療室への移動で付き添い不可となり、自宅から面会になったので身体は楽になりましたが、
「子供はこれからどうなってしまうのか」
「本当に家に帰れる日がくるのか」
そのことばかりが頭の中にありました。
呼吸状態は悪化を辿るばかりで、不安は増す一方でした。
集中治療室に移って最初の数日は鼻マスクの人工呼吸器を装着していましたが、とうとう口の中に管を通して呼吸器に繋ぐ気管挿管となりました。
■挿管処置に時間を要したのは…
私は病室の外に出され、子供の周りには沢山の医療者が集まりました。
処置の最中、何度か先生が私の所へ来て、
・管を舌で押し戻そうとする力が強く、なかなか管が入らない。
・準備した管だと子供の喉には入らないので、もっと細い管でやってみる
などと説明がありました。
子供は全身で挿管されることを拒否しているように感じ、胸が締め付けられる思いでした。
それはそうです。
生きるために必要な処置であっても、自分の口の中に管が通されれば、拒絶反応して当たり前です。
どのくらい時間が経ったか覚えていませんが1時間くらいでしょうか。
処置が終わり、私は病室へ通されました。
頭や腕を固定され、身動きの取れない子は私を見ると、ツーッと涙を流しました。
「どうして…?」
と目で訴えているようでした。
この時の子供の顔は忘れられません。
私が一生背負っていかなければならない、哀しみの表情でした。
この時点で、まだ私は挿管されることの辛さは理解していませんでした。
ただ、「気管挿管することで呼吸が楽になる」という病院側の説明を信じるしかありませんでした。
