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楽団に大失恋した話

私は大失恋しました。
ひとりの人ではなく、吹奏楽団に、です。
大失恋したのは振られたからではなく、転勤を理由に私が振ったからです。

“失恋とはアイデンティティ、そして自分が思い描いていた未来の自分の喪失である”

全国転勤の私は、所属してもいつかその組織を抜けなければならない未来が見えていたはずでした。
だから、毎回楽しい!幸せ!というポジティブな思いになるたび、
それは一過性のもので、当たり前ではないと、言い聞かせていたつもりでした。
それが逆に、ありがたみを強めていたのかもしれません。

いざ、通えない場所に転勤となり、
自分で定めた最後の演奏会が終わってから2晩、
ずっと涙が止まりませんでした。

中高の部活で厳しめの吹奏楽部に所属していた私は、
担当していたピッコロやフルートの演奏以上に、
誰かと一緒に楽譜を3次元にすることが好きで、
大学生や社会人になっても吹奏楽を続けたいと思っていました。

しかし、大学は遠くに通うことにしたため部活をするほど余裕はなく、
就職した会社はシフト制で決まった曜日の練習に行くことは叶わず、
高校のときに淡く期待した吹奏楽団への所属は諦めていました。
ただ、社会人3年目に配属された部署が土日休みだったため、これ幸いとばかり近隣の吹奏楽団を探したところ、
憧れだった金管が上手なバンドに見学に行くことができたのです。

行ってみると金管どころか木管も、誰もがソロを任されるほどひとりひとりのレベルが高く、良い意味で震えました。
それが大恋愛のはじまりでした。

全国転勤の身で、会社以外の居場所が見つかるとは思っていませんでした。
正確には、見つけてはいけないと思っていました。
人の家にお邪魔するのが苦手なのに、何度もホームパーティに誘ってくださり、転勤してからは練習のたびに毎週のように泊めてくださる方が現れるなんて、想像もしていない未来でした。

部活なら同期はみんな同じタイミングで引退なのに、
転勤になる私だけいなくなるのがこんなに寂しいなんて、
次のコンクールや演奏会があることがわかっているのに、
私だけ出られないのがこんなに切ないなんて、
最後の演奏会を迎えるまで、
想像が、覚悟が、足りていませんでした。

演奏会のアンコール、最後の曲は「ベイ・ブリーズ」。
真島俊夫さんが、亡くなった岩井直溥さんに捧げ作った、これぞ吹奏楽!という楽しい曲。
リハーサルではぐっと我慢していたけれど、
本番、ピッコロやクラリネットの先輩方を見たら涙ぐんでくださっていて、
幸せで、辛かった。
トランペットソロも金管セクションも打楽器も素晴らしくカッコよく、
ここが私の所属している楽団です!と自慢したくなり、それが叶わなくなることが実感され、上手なほど嬉し悲しい涙になりました。

曲中は私が泣きそうなのを見て全然目が合わなかった(後から聞いた)指揮者が、カーテンコールで出てきたときにコンマスでもないフルート2ndの私に握手を求めてくださいました。
客席には全く意味がわからない演出だったと思うけれど、とっても胸がいっぱいになったと同時に、後ろの団員がざわついたのも含め、涙がこみ上げてきて、早く暗転して~としか思えませんでした。

指揮者にはよく、何を間違えて入ってきたのと冗談めかして言われていました。
誰を知っているわけでもなく、ひとりで門を叩いたから。
本当に間違えたのかもしれない。
今思い返したってバグのような、夢のような3年弱。
12月の演奏会は母が遠征してくれ、その時、一生の思い出だねと言われたけれど、
本当にその通りで、いつまでも、眩しすぎるくらいキラキラと輝き続ける濃密な時間だったと思います。

次の異動がしたくなくなるような、錘になるような関わり方は正直やめておこうと最初は思っていました。
楽しく吹奏楽をやれたらいいと。
でも、この楽団の皆さんは、先に色々「くれる」方々でした。
もらってしまったら返したくなる、そんな連鎖で、ここが私の居場所だと思えるところになりました。
仕事がしんどいこともたくさんあった期間ではあったのだけれど、職場と関係のない人たちに会える、息をつける、そんな場所があったから、仕事も頑張れたんだと思います。

本当は、いてもいなくてもいい存在でい続けるつもりでした。
それが、いつの間にか大穴を開けることになってしまって申し訳ないけれど、
そんなに惜しまれることが嬉しくもある、複雑な心境です。

今すぐにでも帰りたいけれど、楽団の皆さまへ直接こんな長文を送るわけにはいかないので、
インターネットの海へボトルメールとしてそっと浮かべます。

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