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明治維新シリーズ|第5話 なぜ日本はわずか数十年で軍事大国になれたのか

~ 江戸時代の武士を近代国家の人材へ転換した組織改革 ~

最も難しい改革は「人」を変えることだった

明治維新によって、日本の政治構造は大きく変化した。
大政奉還によって政権は幕府から朝廷へ戻った。
廃藩置県によって約270の藩は廃止され、
一つの中央集権国家へ再編された。
しかし、国家を本当に変えるためには、
最後に残された最大の課題があった。

それは、

人の役割を変えること

だった。
組織改革で最も難しいものは、制度変更ではない。
制度は法律で変えられる。
組織図も一日で書き換えられる。
しかし、人間の意識や役割認識は簡単には変わらない。
企業でも同じである。

新しい経営方針を発表する。
組織を再編する。
新しい評価制度を導入する。
しかし、社員が以前と同じ考え方、
以前と同じ行動を続ければ、会社は変わらない。

明治政府が直面した問題も同じだった。
260年間、日本社会の中心に存在した
「武士」という人材制度をどう変えるのか。
これは単なる軍事改革ではなかった。
日本最大級の人材改革だったのである。


武士は「戦う人」ではなく「国家を運営する人」だった

現代の私たちは、武士という言葉から刀を持った戦士を想像する。
しかし、江戸時代後期の武士は、単純な軍人ではなかった。
なぜなら260年間、大規模な戦争を経験していなかったからである。

戦争がない時代に、武士の役割は変化した。
戦う能力よりも、

行政能力。
管理能力。
教育能力。
財政能力。

が重要になった。
武士は藩の役所で働いた。

年貢を管理した。
法律を運用した。
藩校で教育を行った。
外交交渉を担当した。

つまり、江戸時代の武士とは、

日本社会を動かす管理職層

だったのである。
現代企業で例えるなら、
軍人というより、

経営幹部、
管理職、
行政担当者、
専門職人材、

を兼ねた存在だった。
だからこそ、明治政府にとって武士の扱いは難しかった。
能力が低かったから改革したのではない。
むしろ、
優秀だったからこそ、どう新しい国家へ移すかが問題だった。


なぜ明治政府は武士中心の軍隊を作らなかったのか

ここで一つの疑問が生まれる。
明治維新を成功させた中心人物は、ほとんどが武士だった。

西郷隆盛。
大久保利通。
木戸孝允。
伊藤博文。
山県有朋。

彼ら自身が武士だった。
ならば、「武士を中心に近代軍隊を作ればよかったのではないか」
と思うかもしれない。
実際、幕末には薩摩藩や長州藩など、近代的な軍備を整えた藩も存在した。

しかし、明治政府はそこに限界を見ていた。
理由は一つ。

近代国家の戦争は、
一部の専門家だけでは戦えない時代になっていたからである。


世界は「武士の時代」から「国民国家の時代」へ変わっていた

19世紀の世界では、大きな変化が起きていた。
産業革命である。

工場による大量生産。
鉄道による高速輸送。
近代兵器の大量配備。

国家の経済力そのものが軍事力になる時代だった。
そして軍隊も変化した。
以前の戦争では、
王や貴族が雇った専門兵士が戦う形が一般的だった。
しかしフランス革命以降、欧州では新しい考え方が広がった。

それが、国民軍 である。

国家を守るのは、一部の身分階級ではない。
国民全体が国家を支える。
この考え方である。
明治政府が見た世界は、すでにこの方向へ進んでいた。


武士制度は悪かったのではない

ここで重要なことがある。
明治政府が武士制度を解体したからといって、
武士制度が間違っていたわけではない。

これは非常に重要な視点である。
徳川幕府時代には、武士制度は非常に合理的だった。

平和な社会では、
・少数の教育を受けた管理者
・身分による役割分担
・長期的な組織文化

は大きな強みになる。
しかし、環境が変わった。
世界が求める国家能力が変わった。

戦国時代の武将型人材。
江戸時代の行政官型人材。
近代国家の国民型人材。

必要とされる能力が変化したのである。
つまり問題は、「武士が悪かった」ではない。

問題は、

過去に成功した人材モデルが、未来の環境では合わなくなったこと

だった。


徴兵制とは軍事制度ではなく「国家人材制度」だった

1873年、明治政府は徴兵令を公布した。
これによって、日本は近代的な徴兵制度へ移行する。

一般的には、
「武士に代わって農民が兵士になった」
と説明されることが多い。
しかし、これは本質ではない。
徴兵制の最大の意味は、

日本人全体を国家の担い手に変えたこと

だった。
江戸時代、人々の帰属意識は藩にあった。

薩摩藩の人間。
長州藩の人間。
会津藩の人間。

それぞれの地域組織への所属意識が強かった。
しかし近代国家では、
藩ではなく国家が単位になる。

徴兵によって、
異なる地域の人々が同じ軍隊に入り、
同じ規律を学び、
同じ国家意識を形成する。

軍隊は戦闘組織であると同時に、

国家教育機関

でもあったのである。


実は知られていない重要な要素

徴兵令で最も大きな変化を受けたのは、農民ではない。
実は、武士自身だった。
なぜなら、それまで武士だけが持っていた「国家を守る役割」が、
国民全体へ開放されたからである。
これは武士にとって、誇りの否定にも感じられた。

「自分たちは何百年も国家を守ってきた」
「なぜ突然、誰でも兵士になれるのか」

という思いが生まれた。
しかし明治政府が行おうとしたことは、
武士の価値を否定することではなかった。
むしろ逆だった。

武士が持っていた、
規律。
責任感。
公共意識。
組織への忠誠。

そうした能力を、
一部階級だけのものから、
国民全体へ広げようとしたのである。
これは、人材の破壊ではない。

人材能力の民主化

だった。


武士を変えるためには「仕事」だけではなく「生活基盤」を変える必要があった

徴兵制によって、明治政府は軍事制度を変えた。
しかし、それだけでは武士問題は解決しなかった。
なぜなら、武士とは単なる職業ではなかったからである。

武士とは、
仕事。
身分。
社会的地位。
収入。
誇り。

すべてが一体化した存在だった。
現代企業で例えるなら、
ある部署を廃止するだけではなく、

社員の給与制度、
役職制度、
評価制度、
会社文化、
すべてを変更するような改革である。

だから明治政府が直面した問題は、
「武士を軍隊から外す」ではなかった。
本当の問題は、

武士という社会システムを、近代国家の中でどう再設計するか

だった。


秩禄制度は江戸時代最大の人件費システムだった

江戸時代、武士の生活は「禄(ろく)」によって支えられていた。
簡単に言えば、藩から支給される給与である。
武士は土地を直接所有して農業を行うのではなく、
主君から与えられる米によって生活していた。

これは江戸時代の社会制度としては合理的だった。
なぜなら、武士は農業をするのではなく、

行政。
治安維持。
政治運営。
を担当する専門職だったからである。

現代企業で言えば、
会社が専門職社員に給与を払い、その社員が本業に集中する仕組みに近い。
しかし、近代国家になると問題が発生した。

全国の武士へ給与を払い続けるには、
国家財政への負担が大きすぎたのである。
しかも、新しい国家には、

軍隊。
教育。
産業。
鉄道。
外交。

など、莫大な投資が必要だった。
つまり明治政府は、

「過去の人件費」と
「未来への投資」の選択を迫られた。


秩禄処分とは「人件費改革」だった

明治政府は段階的に武士への給与制度を縮小し、
最終的に秩禄処分を実施した。
これは武士にとって非常に大きな変化だった。

260年間、「武士であること」によって
保証されていた生活基盤が失われたからである。

ここで重要なのは、
明治政府が武士を否定したわけではないということだ。
むしろ逆だった。

明治政府は武士の能力を必要としていた。
だから多くの武士は、

政府官僚。
軍人。
警察官。
教師。
企業経営者。

へ転身していった。
つまり、
武士制度は消えたが、
武士の能力は消えなかった。


実は知られていない重要な要素

明治維新の成功理由として、あまり語られないものがある。
それは、
武士階級を完全排除しなかったこと である。

革命によって旧支配階級を一掃する国は多い。
しかし明治政府は違った。
能力を持つ人材を、新しい制度へ移した。
例えば、

大久保利通。
西郷隆盛。
伊藤博文。
山県有朋。

多くの明治政府の中心人物は武士出身だった。
また、旧士族の中からも、

官僚。
軍人。
教育者。
実業家。

として活躍する人材が大量に生まれた。
これは非常に高度な組織改革である。
古い組織を壊す時、
古い人材まで捨ててはいけない。

必要なのは、

「人を変える」ではなく、
「人の役割を変える」ことなのである。


西南戦争は「改革への反対」だけでは理解できない

1877年、西南戦争が起こる。
旧士族最大の反乱であり、西郷隆盛が率いた最後の戦いだった。

一般的には、
「新政府に反対した士族の反乱」と説明される。

しかし、それだけでは本質を理解できない。
西郷隆盛自身は、明治維新の中心人物だった。
幕府を倒した側であり、
新しい国家を作った側である。

では、なぜその西郷が政府と戦うことになったのか。
そこには、

改革を進める側の論理 と
改革によって失う側の論理 の衝突があった。


西郷隆盛と大久保利通の違い

西郷隆盛と大久保利通。
二人は幼なじみであり、明治維新を成功させた最大の功労者だった。
しかし、国家の未来を見る視点が違った。

西郷は、「人」を重視した。
武士の誇り。
人間関係。
共同体。
道義。
を大切にした。

一方、大久保は、「国家」を重視した。
制度。
財政。
産業。
軍事。
を優先した。

どちらが正しいという問題ではない。
大きな組織改革では、必ずこの対立が起きる。

過去への責任と、
未来への必要性。

その間で判断しなければならない。


日本が軍事大国になれた本当の理由

では、なぜ日本はわずか数十年で近代軍事国家になることができたのか。
答えは、

武士を捨てたからではない。
武士の能力を国家全体へ拡張したからである。

武士が持っていた、
規律。
責任感。
学習能力。
組織への忠誠。
管理能力。

これらを、
一部階級だけのものから、
国民全体の能力へ変換した。

そして、

徴兵制度。
教育制度。
官僚制度。
産業制度。

が、それを支えた。
つまり明治政府が作ったものは、

「武士に代わる軍隊」ではなかった。
武士的能力を持つ近代国家 だったのである。


現代企業への接続

この明治政府の改革から、企業経営者が学ぶべきことは多い。
企業が成長すると、必ず過去に成功した人材や制度が存在する。

創業メンバー。
古参社員。
成功した営業モデル。
強い組織文化。

しかし、環境が変化すると、
それらがそのまま未来の成功につながるとは限らない。
重要なのは、
過去を否定することではない。
過去の強みを、未来に合わせて再設計することである。

明治政府は、
武士を敵にしなかった。
武士の能力を新しい国家へ移植した。
だから日本は短期間で近代国家になることができた。


明治維新最大の人材改革

廃藩置県とは、
270の藩という組織を一つに統合する改革だった。
そして徴兵制・士族改革とは、
身分によって固定されていた人材構造を、
能力を活かす国家人材システムへ変える改革だった。

国家改革で最も難しいものは、
制度を変えることではない。
人が持つ過去の成功体験、
誇り、
役割意識、
それらを未来へ向けて変えることである。

明治政府が成功した最大の理由は、
古いものを破壊したことではない。
古い時代に培われた能力を、新しい時代の力へ変換したことだった。


次回予告

明治維新シリーズ|第6話
なぜ明治政府は教育を国家戦略の中心に置いたのか
~ 人材投資こそ国家成長の源泉だった ~

軍隊を作るだけでは近代国家にはなれない。
必要なのは、未来の国家を支える人材を大量に育てることだった。
なぜ明治政府は、財政が厳しい中でも教育を最優先したのか。
そこには、現代企業にも通じる
「人材投資」という国家経営の思想があった。


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