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明治維新シリーズ|第7話 なぜ日本は新しい「お金」を作ったのか

~ 円・金貨・銀貨・藩札を統一した国家金融改革 ~

国家を作るには「共通の血液」が必要だった

明治維新によって、日本は新しい国家へ生まれ変わろうとしていた。

政治制度を変えた。
藩を廃止した。
軍隊を作り直した。
教育制度を整えた。

しかし、国家を本当に一つに動かすためには、
もう一つ必要なものがあった。
それは、

全国で共通して使える「お金」

である。

国家にとって通貨とは、単なる交換手段ではない。
人間の身体に血液が必要なように、
経済活動を循環させる国家の基盤である。

企業でも同じである。

優秀な人材がいる。
良い商品がある。
市場もある。
しかし、資金管理の仕組みや信用制度がなければ、企業は成長できない。

国家も同じだった。
明治政府が次に取り組んだ改革。
それは、

日本全体を一つの経済圏にする金融改革

だった。


なぜ江戸時代の貨幣制度では近代国家になれなかったのか

ここで重要なのは、
江戸時代の日本が「お金のない社会」だったわけではない
ということである。

むしろ逆だった。
江戸時代の日本は、世界的に見ても高度な商業社会だった。

江戸。
大坂。
京都。
各地の城下町。

そこでは、

米市場。
金融取引。
商人による信用制度。
全国物流。

が発達していた。
大坂は「天下の台所」と呼ばれ、全国の商品が集まる巨大市場だった。
江戸時代の日本には、すでに経済活動を支える能力が存在していた。

問題は、
その経済を支える「お金の仕組み」が、
近代国家向けではなかったことだった。


江戸時代の日本には三種類のお金が存在した

江戸時代の貨幣制度を理解するには、
まず「三貨制度」を理解する必要がある。
江戸幕府は主に三種類の貨幣を流通させていた。

金貨

代表的なものが、小判である。
金貨は主に江戸を中心とした東日本で多く使われた。
大きな商取引や武士の給与などでも利用された。

銀貨

銀貨は主に大坂を中心とした西日本で使われた。
代表的なものに、
丁銀、豆板銀 がある。
商人取引や西日本の商業活動では銀が重要な役割を果たした。

銭貨

庶民の日常取引で使われたのが銅銭だった。
代表的なものが、寛永通宝である。
食料品などの日常的な売買では、銭貨が利用された。


実は日本国内に「二つの経済圏」が存在していた

ここで重要な点がある。
江戸時代の日本では、
全国どこでも同じ貨幣が同じ価値で使われていたわけではない。

東日本では金貨中心。
西日本では銀貨中心。

つまり日本国内には、

金を中心とした経済圏 と
銀を中心とした経済圏 が存在していた。

現代で例えるなら、
国内に複数の決済基準が存在している状態である。
江戸時代の平和な社会では、それでも大きな問題にはならなかった。
なぜなら、人々の生活圏や経済圏は現在ほど
一体化していなかったからである。
しかし、世界と競争する近代国家になるには問題だった。


貨幣制度の分散は「地方分権型経済」だった

ここで、第4話の廃藩置県との共通点が見えてくる。
江戸時代の政治制度は、
幕府と藩による分権型システムだった。

そして経済制度もまた、
地域ごとの特色を持つ分散型システムだった。

これは江戸時代には合理的だった。
各地域が、

自分たちの事情に合わせて経済活動を行う。
商人が地域間をつなぐ。
幕府が大枠を管理する。

これは安定社会には適していた。
しかし、世界が変わった。

産業革命後の世界では、
国家単位で大量生産し、
国家単位で貿易し、
国家単位で競争する時代になった。

そのためには、

一つの市場。
一つの通貨。
一つの信用基準。

が必要だった。


開国によって日本の貨幣制度の弱点が露呈した

江戸時代、日本は長く鎖国政策を取っていた。
しかし1853年、ペリー来航をきっかけに国際社会へ組み込まれていく。
そこで大きな問題が発生した。

それが、金銀比価の違い だった。

当時、日本国内と海外では金と銀の価値の比率が異なっていた。
世界では、金と銀の交換比率がある程度決まっていた。
しかし日本では、独自の比率で金銀が交換されていた。

その結果、
海外商人にとって、日本の金は非常に安く手に入る状態になった。
外国人商人は、日本で銀を使って金を取得するという取引を行った。
その結果、日本国内の金が海外へ流出する問題が起きた。

これは単なる貨幣問題ではない。
国家資産の流出問題だった。


実は知られていない重要な要素

明治政府が通貨改革を急いだ理由は、
「便利なお金を作りたかったから」ではない。

本当の目的は、
日本という国家の信用を作ること だった。

国家は、
軍隊だけでは維持できない。
産業だけでも発展できない。
金融基盤がなければ、国家経営は成立しない。

外国と貿易する。
海外から資金を調達する。
国内産業へ投資する。

そのすべての基礎になるのが通貨への信用だった。


藩札というもう一つの問題

さらに明治政府が解決しなければならなかった問題があった。
それが、『藩札』である。

江戸時代後期、多くの藩は財政難を解決するため、独自の紙幣を発行した。
藩札は、地域経済を支える役割を果たした。
例えば、

米と交換できる。
藩内で使用できる。
商人との取引に利用できる。

これは一種の地域金融システムだった。
しかし問題は、信用が藩ごとに違う ことだった。

薩摩藩の藩札。
長州藩の藩札。
仙台藩の藩札。

それぞれ発行主体が違う。
つまり、日本国内に多数の「信用単位」が存在していた。
近代国家として海外と競争するには、この状態を変える必要があった。


明治政府が目指したものは「新しいお金」ではなかった

ここで重要なことがある。
明治政府が作ろうとしたものは、
『単なる新しい貨幣』ではなかった。
本当に作ろうとしたものは、

日本全国が同じ価値基準で動く経済システム

だった。

廃藩置県が、政治の統合 であったなら、
新貨制度は、経済の統合 だった。

政治と経済。
この二つが統一されて初めて、日本は近代国家として動き始める。


「円」の誕生は、日本経済を一つにする国家改革だった

1871年、明治政府は、新貨条例 を制定した。
これによって、日本の近代的貨幣制度が始まる。
中心となったのが、

「円」

である。
現在では当たり前の存在だが、円の誕生には大きな意味があった。
それまでの日本では、

地域によって使われる貨幣が違う。
金と銀の価値基準が違う。
藩ごとに紙幣の信用が違う。

という状態だった。
そこに、『全国共通の貨幣単位』を導入した。

これは単なるお金の変更ではない。
日本という国家を、

一つの経済圏へ統合する改革

だったのである。


なぜ「円」という名前が選ばれたのか

では、なぜ新しい通貨の名前は「円」になったのか。
当時、日本では新しい国家にふさわしい貨幣名称が検討された。
その中で採用された理由の一つが、

「円形の硬貨」

という分かりやすさだった。
また、当時の国際的な貨幣制度では、
丸い銀貨や金貨が世界各国で流通していた。

日本も世界経済へ参加するため、
海外から理解されやすい制度を目指した。
つまり「円」という名前には、

国内統一 と
国際化 という二つの意味が込められていた。


通貨改革は「国家信用」の設計だった

ここで重要なことがある。
お金の価値は、紙や金属そのものでは決まらない。
本質は、

「その国がどれだけ信用されているか」

で決まる。
例えば、同じ紙でも、
国家への信用があれば通貨になる。
しかし、信用が失われれば紙切れになる。
これは企業でも同じである。

会社の株価。
ブランド価値。
取引信用。

すべての根底にあるものは、
「この組織は約束を守る」という信用である。

明治政府が作ろうとしたものは、
円という貨幣ではなく、
日本国家への信用システムだった。


金本位制を目指した日本

新貨条例では、当初、
金本位制 を意識した制度設計が行われた。

金本位制とは、
通貨価値を金によって保証する仕組み である。

19世紀後半の世界では、
多くの先進国が金を基準に国際金融を構築していた。
なぜなら、
国際貿易には共通の価値基準が必要だったからである。

国家間で商品を売買する。
海外から機械を輸入する。
外国企業と取引する。

そのためには、

「日本のお金は世界でどれくらいの価値なのか」

を明確にする必要があった。


しかし、現実は簡単ではなかった

明治政府の金融改革は順調に進んだわけではない。
当時の日本には、まだ十分な金準備がなかった。
さらに、世界では金本位制と銀本位制をめぐる競争が続いていた。

日本は国際金融の大きな変化の中に入っていったのである。
そのため、実際には銀本位制へ移行する時期もあった。
重要なのは、

「最初から完璧な制度を作った」

ことではない。
世界環境を見ながら、制度を修正し続けたことである。
これは明治維新全体に共通する特徴だった。


実は知られていない重要な要素

明治政府の金融改革で最も重要だったのは、
貨幣そのものではない。
それを支える制度だった。

通貨を発行する。
銀行を作る。
企業へ資金を供給する。
投資を促進する。

つまり、
近代経済を動かす金融インフラを整えたのである。

国家が発展するには、
お金を作るだけでは足りない。
お金が循環する仕組みが必要になる。


国立銀行制度が日本の産業化を支えた

1872年、
明治政府は国立銀行条例を制定する。
ここでいう「国立銀行」は、現在の日本銀行とは意味が違う。
民間資本による銀行制度を整備するためのものだった。

その中心人物となったのが、渋沢栄一である。
渋沢は、銀行を単なる金融機関とは考えなかった。

銀行とは、

社会に眠る資金を集め、
必要な産業へ投資する仕組み

だと理解していた。
これは第8話へつながる重要なポイントである。

国家が制度を作り、
民間が経済を成長させる。

この役割分担が、近代日本の発展を支えた。


通貨統一が産業革命を可能にした

なぜ「円」の誕生が産業発展につながったのか。
理由は単純である。
経済活動の規模を大きくできたからだ。

全国共通の通貨がある。

全国で同じ価格基準ができる。

商取引が容易になる。

投資が活発になる。

企業が成長する。

つまり通貨統一は、経済の土台作りだった。

現代でも同じである。
企業グループが成長する時、

会計制度。
資金管理。
評価基準。

を統一する必要がある。
バラバラの基準では、大きな組織は動かない。
明治政府は国家規模で、それを実行したのである。


廃藩置県と通貨統一は同じ改革だった

ここで、第4話とのつながりが見えてくる。

廃藩置県。
これは、政治の統一だった。

新貨制度。
これは、経済の統一だった。

そして徴兵制は、軍事の統一。
教育制度は、人材の統一。

つまり明治維新とは、
一つひとつの改革が独立していたのではない。
国家という巨大組織を、

政治。
軍事。
教育。
金融。
産業。

すべての面から再設計するプロジェクトだった。


現代企業への接続

企業経営でも、成長段階では同じ問題が起きる。

創業期

事業拡大

複数拠点化

大企業化

この過程で必要になるのは、

共通ルール
共通評価
共通会計
共通資金管理

である。

優秀な部門が複数存在していても、それぞれが別々の基準で動けば、
企業全体の力にはならない。
明治政府が行った通貨改革とは、

国家版の経営管理システム構築

だったのである。


明治維新は「信用を作る改革」だった

第4話では、
日本という組織を一つにした。

第5話では、
人材を未来へ再配置した。

第6話では、
未来の人材を育成する仕組みを作った。

そして第7話では、
経済を動かす信用基盤を作った。

国家とは、
土地でも、
制度でも、
建物でもない。

最終的には、
人々が信頼して動ける仕組みである。
通貨とは、その信用を目に見える形にしたものだった。

明治政府が作った「円」は、
単なる新しいお金ではない。
それは、

近代日本という国家への信用証明書

だったのである。


次回予告

明治維新シリーズ|第8話
なぜ渋沢栄一は「日本資本主義の父」と呼ばれるのか
~ 国家から企業社会へ移行した日本経済の設計者 ~

国家制度を整え、通貨を統一した日本。
しかし、国家だけでは経済は成長しない。
次に必要だったのは、民間企業が成長する仕組みだった。
なぜ渋沢栄一は、銀行・株式会社・企業倫理という
日本経済の基盤を作ることができたのか。
そこには、「国家の力」から「民間の力」へ移行する、
次の経営改革があった。


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