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明治維新シリーズ|第9話 なぜ日本は産業革命を短期間で実現できたのか

~ 江戸時代の蓄積を近代産業へ転換した秘密 ~

日本はゼロから近代国家を作ったわけではない

明治維新後の日本を見ると、多くの人はこう考える。
「日本は欧米から技術を輸入し、一気に近代化した」
確かに、明治政府は積極的に海外技術を導入した。

蒸気機関。
鉄道。
近代工場。
西洋式軍備。
法律制度。
教育制度。

多くのものを欧米から学んだ。
しかし、ここで重要な問いがある。
なぜ日本は、同じ時代に近代化を進めようとした多くの国の中で、
短期間に産業国家へ成長できたのか。

単純に技術を輸入しただけなら、成功するとは限らない。
機械を購入しても、それを扱う人材がいなければ動かない。
工場を建設しても、生産管理できる人間がいなければ維持できない。
制度を導入しても、それを運用する社会基盤がなければ機能しない。

つまり、
産業革命とは機械の問題ではない。

人と組織の問題

なのである。


江戸時代は本当に「遅れた時代」だったのか

近代化以前の日本について、かつては、
「江戸時代は閉鎖的で、発展が遅れていた」
という見方があった。

しかし、現在ではその評価は大きく変わっている。
江戸時代の日本には、近代化の土台となる多くの要素が存在していた。
例えば、

教育。
商業。
技術。
物流。
金融。

これらは、すでに高い水準に達していた。
つまり明治日本は、
何もない状態から産業国家を作ったのではない。
江戸時代に蓄積された資産を、
近代産業という新しい形へ変換したのである。


江戸時代の教育水準が産業化を支えた

産業革命に必要なものは何か。
機械だけではない。
それを理解し、操作し、改善する人材である。

明治日本には、その基盤が存在していた。
江戸時代には全国各地に、寺子屋が広がっていた。
寺子屋では、

読み書き。
そろばん。
商業計算。
文章作成。

など、実生活に必要な能力が教えられていた。
もちろん、現代の学校制度とは違う。
しかし、庶民層まで文字を読む文化が広がっていたことは、
近代化において大きな意味を持った。

工場で働く。
技術書を読む。
作業手順を理解する。
帳簿を管理する。

こうした能力は、産業社会に不可欠だった。


実は知られていない重要な要素

日本の産業化を支えた最大の資産は、
「技術を受け入れる文化」だった。
新しいものを拒絶する社会では、海外技術は定着しない。
しかし日本には、

海外から学び、
自分たちで改良する

という文化が存在した。
これは明治時代に突然生まれたものではない。
江戸時代から続く職人文化や商人文化の中にあった。

例えば職人は、
同じ商品を大量生産するだけではなかった。

常に、

どうすれば品質を高められるか。
どうすれば効率化できるか。

を追求していた。
この改善思想が、近代工業化と非常に相性が良かった。


江戸時代の職人技術が工業化へつながった

産業革命というと、

機械化。
大量生産。
工場制。

というイメージが強い。
しかし、初期の工業化では、熟練した人材が極めて重要だった。
明治初期、日本が育成した工場では、

西洋式機械 ✕ 日本の職人技術

という組み合わせが生まれた。

例えば製糸業。
日本の近代産業を代表する分野だった。
単に機械を導入しただけでは、高品質な生産はできない。

繊細な作業。
品質管理。
現場改善。

こうした能力が必要だった。
日本は、江戸時代から存在した職人能力を近代工場へ移植したのである。


官営工場は「利益」より「人材育成」が目的だった

明治政府は、初期段階では積極的に工場を建設した。
代表的なものが、官営模範工場である。

なぜ政府が自ら工場を作ったのか。
理由は単純な利益目的ではない。
民間にはまだ近代産業を運営する経験が不足していたからである。

政府は、

工場を作る。
技術者を育てる。
経営ノウハウを蓄積する。
そして民間へ移転する。

という役割を担った。
これは現代企業でいう、

研究開発部門。
新規事業部門。
人材育成部門。

に近い。


富岡製糸場が象徴したもの

その代表例が、富岡製糸場である。
1872年に設立された富岡製糸場は、
日本の近代産業化を象徴する存在だった。

しかし、本当の価値は建物や機械ではない。
重要だったのは、
西洋技術を学び、日本人が運営できる仕組みへ変換したこと
である。

外国人技術者から学ぶ。
日本人技術者を育てる。
全国へ技術を広げる。

この流れによって、日本全体の産業能力が高まっていった。


日本の成功は「コピー」ではなく「融合」だった

ここで、第3話のテーマともつながる。
日本の近代化の特徴は、
西洋をそのままコピーしなかったことである。

制度は学ぶ。
技術は導入する。
しかし、日本社会に合わせて再設計する。

これは明治維新全体に共通する特徴だった。

欧米型制度。
日本の組織文化。
江戸時代からの技術蓄積。

これらを組み合わせて、
日本型近代化を作ったのである。


官営工場の本当の役割は「利益」ではなかった

明治政府が初期に作った官営工場について、多くの場合、
「政府が産業を育成した」と説明される。

しかし、その本質は単なる工場建設ではなかった。
明治政府が不足していたもの。
それは、

近代産業を運営できる人材と経験

だった。
江戸時代の日本には、商業能力も技術力も存在していた。
しかし、

蒸気機関を使う。
大量生産を管理する。
工場組織を運営する。
海外市場へ販売する。

という経験は不足していた。
そこで政府は、まず自らが実験台となった。

工場を作る。
技術を導入する。
人材を育てる。
経営ノウハウを蓄積する。
そして、その能力を民間へ移転する。

つまり官営工場とは、
単なる製造施設ではなく、
日本産業を育てるための学校だったのである。


富岡製糸場が残した最大の成果

前述した富岡製糸場。
現在では世界遺産として知られているが、その価値は建物だけではない。
本当に重要だったのは、

「近代工場を日本人が運営できることを証明した」

という点である。
当初、日本は外国人技術者を招いた。
しかし目的は、外国人に依存することではなかった。

日本人が学び、
日本人が運営し、
日本全国へ広げる。

これが目的だった。
実際、富岡製糸場で育った技術者たちは、
全国の製糸工場へ移り、日本の産業発展を支えていった。

つまり、
一つの工場が、日本全体の産業人材育成につながったのである。


官から民へ――日本産業の大きな転換

しかし、政府がすべての産業を運営し続けることはできない。
国家には限界がある。
政府の役割は、

制度を作る。
基盤を整える。
安全保障を担う。

ことである。
一方、企業の役割は、

市場を見る。
商品を作る。
競争する。
利益を生み出す。

ことである。

そこで明治政府は、次第に官営事業を民間へ移していく。
この流れが、

官から民への移行

である。
ここで第8話の渋沢栄一の話とつながる。

国家が産業の土台を作る。

民間企業が成長する。

市場競争によって産業が発展する。

この循環が始まった。


三井・三菱など企業集団の成長

近代日本の産業発展を語る上で重要なのが、
企業集団の形成である。
代表的なのが、
三井グループや、三菱グループである。

彼らは単なる商社ではなかった。

金融。
鉱業。
造船。
貿易。
製造業。

など、多方面へ事業を展開した。
なぜ、このような企業集団が生まれたのか。

理由は、
近代産業には総合力が必要だったからである。

工場だけでは足りない。
資金が必要。
物流が必要。
販売網が必要。
技術開発が必要。

一つの会社だけでは対応できない時代になった。
そこで、複数の事業を組み合わせる経営が発展した。


日本製造業の強みは「改善文化」だった

明治日本の産業発展を考える時、もう一つ重要な要素がある。
それは、改善文化である。

日本企業の強みとして後に世界から評価される、

品質管理。
現場改善。
継続的改善。

という考え方。
その源流は、江戸時代の職人文化にあった。
職人は単に決められた作業を繰り返す存在ではなかった。

どうすればより良いものを作れるか。
どうすれば無駄を減らせるか。
どうすれば品質を高められるか。

常に考えていた。
この文化が、近代工場の現場改善へ受け継がれた。


実は知られていない重要な要素

日本の産業革命の成功理由は、
「政府が優秀だったから」だけではない。
また、「西洋技術を導入したから」だけでもない。
本質は、

過去の社会資産を、新しい時代の仕組みに変換できたこと

である。
江戸時代の、

教育。
職人技術。
商業文化。
地域ネットワーク。
信用制度。

これらを破壊するのではなく、近代産業へ再配置した。
これは第4話の廃藩置県とも共通している。
明治政府は古いものを全否定しなかった。
使える資産を見極め、新しい役割を与えた。


なぜ日本は短期間で工業国家になれたのか

19世紀後半、日本は欧米列強と比較すれば、
経済規模では大きな差があった。
しかし、成長速度は非常に速かった。

その理由は、
ゼロから始めなかったからである。
江戸時代に、

人材。
技術。
商業経験。
社会秩序。

が蓄積されていた。
明治政府は、それらを近代国家の方向へ集中させた。
つまり日本の近代化とは、

古い日本を捨てた改革ではなかった。
古い日本の中にあった能力を、
新しい時代に適応させた改革だった。


現代企業への接続

企業経営でも、同じ原則が存在する。
会社改革というと、多くの場合、
「古いものを捨てる」ことだと考えられる。
しかし、本当に重要なのは、

何を残し、
何を変え、
どのように再配置するか

である。
長年培った、

技術。
顧客基盤。
社員の経験。
企業文化。

これらは過去の遺産ではない。
正しく活用すれば、未来の競争力になる。
逆に、過去の成功をそのまま守ろうとすれば、時代とのズレが生まれる。
明治日本が成功した理由は、

江戸時代を否定したからではない。
江戸時代の資産を、近代国家の力へ変換したからである。

これは企業改革でも同じである。
変革とは、

過去を壊すことではない。
過去に眠る価値を見つけ、
未来で使える形へ変えることなのである。


次回予告

明治維新シリーズ|第10話
なぜ明治日本は海外へ進出したのか
~ 列強時代に生き残るための国家戦略 ~

近代国家として成長した日本。
しかし、世界は帝国主義の時代だった。
欧米列強が海外へ勢力を拡大する中、
日本はなぜ国外進出という道を選んだのか。
それは単なる領土拡大ではなく、
小国が大国競争の中で生き残るための国家戦略だった。
富国強兵とは何だったのか。
日本はなぜ日清・日露戦争へ向かったのか。
明治国家の次なる経営判断を分析する。


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