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明治維新シリーズ|第8話 なぜ渋沢栄一は「日本資本主義の父」と呼ばれるのか

~ 国家から企業社会へ移行した日本経済の設計者 ~

国家を作った次に必要だったもの

明治維新によって、日本は大きく変わった。

政治制度が変わった。
軍隊が変わった。
教育制度が変わった。
通貨制度も整えた。

しかし、ここで明治政府は次の課題に直面する。
それは、

「国家が整っただけでは、国は豊かにならない」

という現実だった。
国家には、

税金を集める。
軍隊を維持する。
法律を作る。

という役割がある。
しかし、国民の生活を豊かにするには、

商品を作る。
サービスを提供する。
雇用を生む。
利益を再投資する。

という民間経済の力が必要になる。
つまり、近代国家は、
政府だけでは完成しない。
政府と企業が両輪となって動く仕組み
が必要なのである。


なぜ江戸時代の商業力を近代企業へ変えられたのか

ここで、多くの人が誤解する。
明治日本の経済発展というと、

「西洋から新しい制度を輸入した」

と考えがちである。
しかし、実際には違う。
日本には、すでに江戸時代から高度な商業文化が存在していた。

江戸。
大坂。
京都。
全国の城下町。

そこには、

商人。
職人。
問屋。
金融業者。

が存在していた。
大坂には米の先物取引に近い仕組みも存在し、
世界的にも高度な市場経済だった。

つまり日本には、
「商売をする文化」はすでにあった。

不足していたのは、
「近代企業を運営する制度」だった。


江戸時代の商人と近代企業家の違い

では、何が違ったのか。
江戸時代の商人は、「家業」を中心としていた。

例えば、
代々続く商店。
一族経営。
主人と奉公人による組織。

これは安定した社会では非常に優れた仕組みだった。
しかし、近代産業では限界がある。

大規模工場を作る。
鉄道を建設する。
海外貿易を行う。
大量の資金が必要になる。

一つの家の資産だけでは対応できない。
そこで必要になったのが、

株式会社制度

だった。


株式会社とは「個人の限界を超える仕組み」

株式会社の本質は何か。
単に会社の形ではない。
本質は、

社会全体から資金と能力を集める仕組み

である。
一人の資産家だけではできない事業でも、
多くの人が少しずつ資金を出せば可能になる。

現代では当たり前だが、当時の日本では新しい考え方だった。
会社とは、

創業者個人の所有物 ではなく、
社会から資源を集めて成長する組織 になる。

この発想を日本へ広げた人物が、渋沢栄一だった。


渋沢栄一は最初から「資本主義者」ではなかった

ここが非常に重要である。
渋沢栄一は、最初から近代企業家だったわけではない。
若い頃の渋沢は、むしろ幕府を批判する側だった。

農家に生まれたが、
商業や経済に関心を持ち、尊王攘夷思想にも影響を受けた。
しかし、人生を大きく変える出来事が起こる。

それが、欧州視察である。


欧州で見た「国家と企業の関係」

1867年、
渋沢は、幕府の使節団の一員としてフランスへ渡る。
そこで彼が見たものは、日本とは全く違う社会だった。

鉄道。
銀行。
株式会社。
近代工場。
巨大な産業システム。

特に衝撃を受けたのが、
民間企業が国家発展の中心になっている姿だった。

日本では、政治を動かすのは武士だった。
経済を担う商人は、社会的地位が低かった。
しかし欧州では、

企業家。
銀行家。
技術者。
投資家。

が国家成長の重要な担い手だった。
渋沢は理解する。

近代国家を作るには、
政府だけでは足りない。
民間の力を育てなければならない。


実は知られていない重要な要素

渋沢栄一の本当の功績は、
多くの会社を作ったことではない。
もちろん、彼は多くの企業設立に関わった。
しかし、本質は別にある。

それは、

日本に「企業という社会システム」を導入したこと

である。
会社とは利益を追求する組織である。
しかし、社会に貢献しなければ長期的には存続できない。
この考え方が、

「道徳経済合一説」

につながる。


利益と社会貢献は両立できるのか

当時、利益を追求する商業活動は、
「金儲け」として低く見られることもあった。

武士階級では、
利益よりも名誉。
商売よりも政治。

という価値観が強かった。
渋沢は、そこに新しい考え方を持ち込んだ。

企業は利益を上げる必要がある。
しかし、その利益は社会を豊かにするために使われるべきである。

企業の成功と社会の発展は矛盾しない。
むしろ、社会に必要とされる企業こそ長く成長する。

これが渋沢の経営思想だった。


明治政府から民間経済へ

ここで明治維新全体の流れを見ると、非常に大きな転換点がある。
初期の明治政府は、国家を作ることに集中した。

軍隊。
教育。
行政。
金融。

これらは政府主導で整備された。
しかし、国家の基盤ができた後は、
民間が経済を成長させる段階へ移る。
つまり、

国家建設

産業社会建設

への転換である。
渋沢栄一は、その橋渡しをした人物だった。


明治政府から民間経済へ

ここで明治維新全体の流れを見ると、非常に大きな転換点がある。
明治維新の初期段階で、政府が最優先したことは、

「国家そのものを作ること」

だった。

政治制度。
行政組織。
軍隊。
教育。
金融制度。

これらは、近代国家として必要な基盤だった。
しかし、国家の基本構造が整った後、次の課題が生まれる。
それは、

「この国家基盤を使って、誰が経済を成長させるのか」

という問題だった。
政府だけでは、産業を発展させることはできない。

工場を作る。
商品を開発する。
市場を拡大する。
雇用を生む。

こうした役割を担うのは、民間企業である。
つまり日本は、

国家建設の時代 から
産業社会建設の時代 へ移行しようとしていた。

渋沢栄一は、まさにその転換点に現れた人物だった。
彼の役割は、単に会社を作ることではない。
政府が作った国家基盤の上に、

「民間企業が成長する仕組み」

を構築することだった。


第一国立銀行が作ったものは「銀行」ではなかった

明治政府が近代国家を作るために必要だったもの。
それは、

政治制度。
軍隊。
教育。
通貨。

だった。
しかし、ここまで整えても、まだ一つ不足していた。
それは、

資金を社会全体へ循環させる仕組み

である。
国家が通貨制度を作っても、お金が動かなければ経済は成長しない。

企業が生まれる。
産業へ投資する。
技術を発展させる。
雇用を作る。

そのためには、資金を集め、必要な場所へ届ける金融機関が必要だった。
そこで誕生したのが、第一国立銀行である。
そして、その設立に中心的な役割を果たした人物が渋沢栄一だった。


銀行とは「お金を預かる場所」ではない

現代では、銀行というと、

預金する場所。
融資を受ける場所。

という理解が一般的である。
しかし、渋沢が理解していた銀行の本質は違った。
銀行とは、

社会に眠っている資金を集め、
未来の産業へ投資する仕組み

だった。
つまり銀行は、経済成長のエンジンだったのである。

優秀な技術者がいる。
新しい事業アイデアがある。
しかし資金がなければ、それは社会に広がらない。

銀行は、「資本」と「可能性」をつなぐ存在だった。


株式会社制度が変えた日本人の働き方

渋沢栄一が広めたもう一つの重要な考え方が、
「株式会社制度」である。

株式会社の最大の特徴は、
個人の限界を超えられることだ。
江戸時代の商売は、

家。
一族。
信用関係。

を中心に発展していた。
これは非常に強い仕組みだった。
しかし、近代産業では規模が違う。

鉄道を作る。
製鉄所を建設する。
大量生産工場を作る。
海外貿易を行う。

これらには、一人の資産では対応できない。
そこで必要になるのが、

多くの人が資金を出し、
多くの人材が参加し、
社会全体で企業を成長させる仕組み

だった。
株式会社とは、

「個人の力を社会の力へ変換する制度」

なのである。


なぜ渋沢栄一は500以上の企業に関わったのか

渋沢栄一は、生涯で500以上の企業や事業に関わったと言われる。

銀行。
鉄道。
製紙。
紡績。
電力。
ホテル。
教育。
福祉。

しかし、ここで重要なのは、
「たくさん会社を作った」ことではない。
彼の目的は、日本経済全体の基盤を作ることだった。

一つの会社だけを成功させるのではなく、
企業が次々と生まれる環境を作ろうとした。

これは現代で言えば、
つの製品を作る経営者ではなく、
産業エコシステムを設計する経営者に近い。


官営事業から民間経済への移行

明治初期、日本の産業育成は政府主導だった。
なぜなら、当時の日本には近代産業を担う企業が
まだ十分に存在しなかったからである。
政府は、

製糸工場。
造船所。
鉱山。
鉄道。

などを整備した。
しかし、国家がすべての産業を運営することには限界がある。
政府には、

外交。
防衛。
教育。
社会制度。

という本来の役割がある。
産業を持続的に発展させるには、民間企業の力が必要だった。
そこで明治政府は、

官から民へ

という流れを進めていく。
この転換を支えたのが、渋沢栄一のような民間経済の担い手だった。


実は知られていない重要な要素

渋沢栄一の思想で最も重要なのは、
「利益を否定しなかったこと」である。

当時、日本社会には、
利益を追求することへの抵抗感が存在した。
特に武士階級の価値観では、

商売よりも公共。
利益よりも名誉。

という考えが強かった。
しかし渋沢は違った。

利益は悪ではない。
社会に必要な商品やサービスを提供した結果として得られる利益は、
社会発展の原動力になる。

ただし、
利益だけを目的にしてはいけない。
企業は社会に貢献する存在であるべきだ。

これが、道徳経済合一説である。


企業は社会の公器である

渋沢栄一の考え方は、現代経営にも通じる。
企業の目的は、利益を上げることだけではない。

顧客に価値を提供する。
社員を成長させる。
取引先と共存する。
社会を豊かにする。

その結果として利益が生まれる。
この考え方は、現在の

企業の社会的責任(CSR)。
ステークホルダー経営。
サステナビリティ経営。

にもつながる。
渋沢は100年以上前に、
企業と社会の関係を考えていたのである。


明治維新の本当の完成は「企業社会」の誕生だった

ここまでの明治維新シリーズを振り返ると、流れが見えてくる。

第4話
廃藩置県によって、政治組織を統一した。

第5話
徴兵制によって、軍事組織を再設計した。

第6話
教育制度によって、未来の人材を育成した。

第7話
円によって、経済の共通基盤を作った。

そして第8話
渋沢栄一によって、民間企業が成長する仕組みを作った。

つまり明治維新とは、政治革命ではなかった。
国家という巨大組織を、
近代経済社会へ転換する経営改革
だったのである。


現代企業への接続

現代企業でも、同じ転換点が存在する。
創業期の会社では、

社長の能力。
創業者の情熱。
個人の判断力。

それが会社の成長を支える。
しかし、企業が一定規模を超えると、それだけでは限界が来る。
必要になるのは、

組織。
制度。
資本。
人材。

という、個人の能力を超えた経営システムである。
つまり、

「個人の力で成長する会社」から、
「組織の力で成長する企業」への転換である。

渋沢栄一が日本社会にもたらしたものは、
単に多くの会社を作ったことではない。
本質は、
日本の経済を、

「個人商店中心の社会」から、
「社会的企業システムが成長を担う社会」へ転換したことである。

企業とは、創業者一人の能力で永続するものではない。
多くの人材、資本、知恵を集め、社会に価値を提供する仕組みである。

渋沢栄一が作ろうとしたのは、
日本経済の成長を支える「企業社会の基盤」だった。


次回予告

明治維新シリーズ|第9話
なぜ日本は産業革命を短期間で実現できたのか
~ 江戸時代の蓄積を近代産業へ転換した秘密 ~

明治日本は、ゼロから産業国家を作ったわけではない。
江戸時代に蓄積された商業文化、職人技術、教育水準、物流網。
それらをどのように近代産業へ転換したのか。
日本が短期間で製造業国家へ成長できた理由を、
組織経営の視点から分析する。


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