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【DAY2:ティラミス】あれだけ流行ったのに、なぜ口にするのが恥ずかしくなったのでしょうか

昨日は、麻辣湯の行列を見ながら、一つの問いを立てました。 このブームは、5年後も残っているのでしょうか。

今日は、その問いに一つ目の答えを返します。 題材は、ティラミスです。

ティラミス、最後に食べたのはいつでしょうか。 かつてはどこの店にもあったのに、今はめったに見かけません。

なぜあれほど広がり、そして静かに消えていったのでしょうか。 そこに、残るブームと消えるブームの分かれ目が見えてきます。 そしてこの分かれ目は、自分の発信が残るか消えるかにも、そのまま重なります。

なぜ、どこにでもティラミスがあったのか

ティラミスが大流行したのは、1990年でした。 火付け役は、雑誌『Hanako』の特集だと言われています。

ただ、ティラミスが単独で広がったわけではありません。 その少し前から、イタめしブームが始まっていました。 イタリア料理を、おしゃれな外食として楽しむ流れです。

その大きな波に、ティラミスはうまく乗りました。 広がったのは、専門店だけではありません。 デニーズのようなファミレスにも、コンビニの棚にも、次々と並びました。

雑誌をめくれば、特集が組まれていました。 気づけば、どこでも食べられるデザートになっていました。

ここまでは、昨日の麻辣湯の広がり方とよく似ています。 新しくて、写真にもなって、話題にもしやすいものでした。 この三つがそろうと、ブームは一気にふくらみます。

なぜ、約2年で口にしなくなったのか

ところが、その勢いは長くは続きませんでした。 ブームが始まって、夏を二回ほど越えたころです。 ティラミスは、急に古いものとして扱われはじめました。

不思議なのは、味が落ちたわけではない点です。 レシピは、何も変わっていません。 おいしさそのものは、少しも損なわれていません。

それでも消えたのには、別の理由があります。 多くの人にとって、ティラミスは味ではありませんでした。 新しいものを知っている、という話のネタでした。

「ティラミスを食べた」と言えること自体に、価値がありました。 おしゃれなスイーツを知っていると、周りに見せられます。 今の話題を、自分はもう試したと語れます。

ここで一つ、補助線を引いておきます。 人に見せるための消費を、顕示的消費と呼ぶことがあります。 本来は富や地位の誇示を指す言葉ですが、ここでは話のネタとしての見栄に広げて使っています。

ティラミスは、舌ではなく見栄で消費されていました。 だから、見栄が成り立たなくなった瞬間に、口にされなくなりました。 味ではなく、話のネタとして消えていったのです。

全員が知った瞬間に、話す理由がなくなりました

最初は、ティラミスを知っている人が少なかったからこそ効いていました。 「ティラミスって知っていますか」と言えば、それだけで会話が弾みました。 まだ食べていない人の前で、少しだけ先を行っている気分になれました。

ところが、コンビニでも買えるようになった頃から空気が変わります。 全員が知ってしまうと、「知っている」ことに意味がなくなりました。

そこから先に起きたのは、もっと微妙な変化でした。 「ティラミスが好き」と口にすること自体が、気恥ずかしくなったのです。

流行に乗っている自分を、見せたかったはずでした。 でも流行が一巡した瞬間に、空気が裏返りました。 「まだそれ言っているの」という目線が、うっすらと漂い始めました。

味は変わっていません。 でも、話のネタとして消費されたものは、ネタとして古びた瞬間に口にしづらくなります。

おいしいままなのに、ただ気恥ずかしくなって、誰も名前を呼ばなくなったのです。

この気恥ずかしさには、身に覚えがあります。 自分の発信でも、同じ感覚を味わったことがあるからです。

流行りが古びた瞬間を、現場で何度も見てきました

飲食の現場に15年いると、この光景には覚えがあります。

新しいメニューが入ってくると、最初は物珍しさで注文が集まります。 しばらくすると、ぱたりと頼む人が減っていきます。

味の問題ではありませんでした。 もう話題にならないから、という理由で、自然と選ばれなくなっていたのです。

僕はその変化を、厨房の奥から何度も見てきました。 メニュー表に残っているのに、誰も指を止めなくなる瞬間があります。 こちらが良いと思って出したものほど、その光景は少しこたえました。

あの瞬間の空気は、ティラミスが会話から消えていった流れとよく似ています。

話のネタで終わる発信は、流行と一緒に消えていきます

この構造は、SNSの発信にもそのまま当てはまります。

新しい言葉やツールを、いち早く紹介する投稿があります。 知っていることを見せる発信は、最初はよく伸びます。 僕も、その手応えを何度も味わってきました。

実を言うと、以前の僕はそこに乗っていました。 話題のジャンルに乗れば伸びる、と思っていたからです。

昨日の記事でも書いたとおりです。 大きく伸びた投稿でも、自分の言葉として残るものは、ほとんどありませんでした。 通り過ぎていく人の数だけが、増えていきました。 流行りが過ぎた後に読み返すと、正直、少し恥ずかしくなりました。

知ってる自慢で集めた反応は、ティラミスと同じです。 その話題が当たり前になった瞬間に、急に色あせます。 昨日まで先頭だった話が、今日には遅れた話になります。

一方で、残った発信もあります。 noteで書いた有料記事「帰宅後15分AI文章仕込み術」は、10部完売しました。 たった10部です。 派手な数字ではありません。

それでも、顔の見える10人に届いた手応えがありました。 この10人は、流行りのジャンルに引き寄せられたわけではありません。 調理師として15年立ってきた現場の話と、帰宅後の15分という手触りに、手を伸ばしてくれた人たちでした。

流行り言葉に乗ったのではなく、自分の台所から出た言葉でした。 だから、流行が過ぎても、気恥ずかしくなりません。

流行りの言葉は、誰が書いても同じ顔になります。 現場の手触りは、書いた人の数だけ違う顔になります。 古びるのは前者で、残るのは後者です。

「知っている」「話題に乗っている」を見せる発信は、伸びると思っていました。 でも、話のネタとして消費される発信は、ティラミスと同じです。 流行が古びた瞬間に、口にするのが気恥ずかしくなって消える側に回ります。

自分の発信は、流行りが過ぎても、口にして恥ずかしくならないでしょうか。

流行に乗るだけで終わらせず、現場から出る価値を残していく方法があります。 その再現性のある残し方は、連載の最終日に有料の記事で扱います。

明日の題材は、マリトッツォです。 半年ほどで急に広がり、急に消えていったグルメの話をします。

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