「正解」をなぞるのをやめたとき
高校3年生のとき、読書感想文の全国コンクールで表彰された。
周りが『こころ』や『だからあなたも生きぬいて』について書いている中で、私は『秋元康の恋愛論』を選んだ。
担任に「全国だぞ」と言われたときも、正直実感がなかった。
「あれで?」と思った。
昔、美輪明宏が、石原慎太郎の作品が芥川賞に選ばれたときに「あれは障子ち◯ぽに真面目な審査員のおじさんたちが度肝を抜かれただけなのです」と評していたが、どこかそれに似たものじゃないかとすら思った。
「なんか異質なのが出てきたぞ」
「高校生が恋愛論を語っているぞ」
——それだけだったんじゃないか、と。
ああ、私も障子ち◯ぽなんだと。
でも今なら、少し違う見方もできる。
あのときの私は、ひどい失恋をしていた。
誰にも言えない気持ちを抱えたまま、先達たちの恋愛本を読み漁っていた。
失恋について、少しだけ書いておきたい。
私は小学生の頃から、ずっと同じ人が好きだった。3回告白して6回フラれた。
小さい頃をブラジルで過ごした子で、小学生のときに転校してきた。
「ブラジル語しゃべって」と無邪気にせがんだ、あの日からずっと好きだった。
中学に入ってからは他の運動部の誘いは全部断って、彼と同じ剣道部に入った。
がむしゃらに練習して、初段に受かったとき、
「初段受かったよ!」
そう言った私に、彼は笑って言った。
「俺、小学生からやってるのに落ちたんやけど。おまえってまじむかつく。」
やることなすこと、全部裏目に出ていた。
周りは「ユリ子の彼氏はいつもサッカー部主将」と言っていたけれど、仲が良かっただけで私はずっと、別の人を見ていた。
高校に入って、彼は痩せて、そして変わった。
優しかった面影は消えて、とっかえひっかえ女の子を変えるようになった。人を傷つける人じゃなかったのに。
「昔の〇〇が好きだった」
そう言ったとき、彼は少しも迷わず言った。
「お前まじうざい。モテるのに俺に執着してるところ。俺を勝手に神格化してるところ。」
——そこで、片思いは終わった。
自分でも、ばかみたいだと思った。
けれどそのとき、私はある一文に救われた。
秋元康の本に書かれていた言葉だった。
「ずっと片思いでも、おばあちゃんになるまでその人を思い続けるのは、それは立派な恋愛だし素敵なことだ」
正しいかどうかは、わからない。
でもあのときの私には、その言葉が必要だった。
それだけは、確かだった。
だから、救いをくれたあの一冊について書かずにいられなかった。
「高校生らしいか」も「読書感想文らしいか」も
一切考えていなかった。
ただ、自分に必要だった言葉について書いただけだった。
小学生の頃から、読書感想文はずっと選ばれてきた。
おそらく無意識に、「選ばれやすい題材」と「正しい書き方」をなぞっていたのだと思う。
中学のときの国語の先生は、少し変わっていた。
みんな作文が嫌いだったからだろうか、「嘘を書いてもいいんですよ」と言った。
当時は、その言葉の意味がよくわからなかった。
作文なのに、嘘を書いていいのかと。
けれど今ならわかる。
あれは、事実を正しく並べることよりも、
自分の中にある“本当”に触れろという意味だったのだと思う。
正しく書くことをやめた時に結果がついてきた。
皮肉な話だ。
そして今、ふと思う。
——noteも同じなのかもしれない。
振り切れたらいいのかもしれない。
いつか誰かの喉元を射抜けたらいい。
5ヶ月ぶりの投稿が、よりによって『障子ち◯ぽ』という不穏なワードから始まってしまい、大変申し訳ございません。
実はこの間から咳が止まらず、自分の咳の衝撃に体が耐えきれず疲労骨折するという、看護師にあるまじき『ポンコツな負傷』をしておりました。ようやく骨も筆も少しずつ動くようになってきましたので、リハビリがてら再開したいと思います。
今回の記事には、自分が書いた以上のものを受け取ってくださるコメントが多く、正直なところ驚きと同時に、とても勉強になりました。
「正解をなぞる」というテーマについても、さまざまな視点から言葉を返していただき、自分一人では辿り着けなかった解釈に触れることができたと感じています。
中でも、みやびさんが記事の中で丁寧に言語化してくださった内容には、大きく頷かされる部分が多くありました。
自分の中にあった曖昧な感覚が、別の角度から輪郭を与えられたように思います。
書くことは、自分の内側に触れる作業でもありますが、同時に、誰かの言葉によって更新されていくものでもあるのだと、あらためて感じました。
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