十二星座物語(エピソード②)
次なる部屋は、生まれたばかりの赤ん坊が、触れるものには「カタチがある」ということを知っていく部屋。犬のような鋭い嗅覚を持つ女性。彼女の五感センサーの鋭さは、これからその人に起きる出来事も予知してしまうほど。彼女の働く精油専門店にやって来た、見ず知らずの客にも、死の匂いを嗅ぎ分ける。第二の部屋、5月生まれの牡牛座、環(たまき)の物語。
Sense of “D”
ここは12の星の2番目の部屋。視覚、聴覚、味覚、触覚、そして嗅覚という五感すべてで、自分という器を感じ取っていく「感性」の部屋。その部屋の扉を開けた人物は、そっとそこに「祈りと鎮静の薫り」を置いていく。自らの命の音をフルに使い、人々の生きる時間を美しく彩るために…。
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「私はここにいる(善悪を嗅ぎ分けるな)」
「SO-HAM(ソーハム)」
5月生まれの環は毎朝、起きるとすぐに瞑想をするのがステイタスだ。胡坐をかいて、両側の肩甲骨を翼に見立て、その両手を羽ばたかせながら、そっと元の位置に収める。そして両手の親指と人差し指でムドラー(印)を作り、囁くように、独自のマントラで心を落ち着ける。思考が出てきたら、すぐに「ソーハム」と唱えて、無の中心に戻る。それを繰り返し行うことで、自然と頭の中が空っぽになっていく。
瞑想が終わると、環は決まってラベンダーの薫りのお香を焚き、お気に入りのグアテマラの豆をミルで挽いて、ゆっくりとカップに落としながら、テーブルの上に飾られたブルーローズの水を入れ替える。
甘さ控えめの林檎のコンポートを鍋で煮詰め、米粉で焼き上げたパンケーキの上にそっと乗せ、上からシナモンを振りかける。朝摘みのブルーベリーとオレンジを器のまわりに盛り付けて、朝食が完成する。美しいものに囲まれていると、なんとも言えない幸福感に包まれ、心が満たされる。
環は街の中心地に近いところの、少し高台にあるアロマ関連の専門店に勤めている。環が昔から通っていたこの店の店主が、移転をきっかけに、彼女の鋭い嗅覚を見込んで、新店舗に彼女をアロマセラピストとして誘い入れたのだ。
窓の向こうには、新緑の緑が風にさわわと騒めき、鳥たちが軽やかに歌っている。淡い桜色のネイルが、あたたかな光に反射して光沢を帯びていく。派手でもなく、かといって質素でもない。その瑞々しい指先が、春限定の新商品のオイルを並べている時、一人の客が店内に入ってきた。
その瞬間、彼女の鼻のセンサーが一気に覚醒し発動する。それは例えるなら、極端に冷たく、そして抗いようのないほど重い、熟しすぎた百合と古い銀貨を混ぜ合わせたような、独特な芳香が鼻をつく。
「いらっしゃいませ」
環はその特異性のある「匂い」にできる限りの平静を装い、業務に集中した。その男性は何かを探すように辺りを見回している。
これは紛れもなく濃厚な死の香調。死神の宿るノートが、音もなく降りてくる感覚を、環は確かに感じとった。
この客に残された時間は…それは、察するにあと3日ほどか…。
環は以前にも何度か、「死の匂い」を経験したことがある。彼女の祖母は海に潜るプロだった。海女で泳ぎが得意な祖母は、嵐が来る日、どうしても孫に美味しい魚を食べさせたいと海に潜った。その日は波も高く、周囲は反対したが聞き入れなかった。環は必死になって引き留めたが、祖母は笑って海に入っていき、帰らぬ人となった。
死の匂いに対して、人間の力では、もはやどうすることもできない。無理に引き止めても、運命は形を変えて襲いかかってくる。事故を回避させれば、何か別の病が見つかり、病を回避させても、また別な形で事件は起こる。死神が決めた期限に、人間は成す術がないのだ。
環にできること。それはただ、その最期を「整える」ことだけだった。
「何かお探しですか?」
「静かで落ち着いて物事に集中できる、優しい香りってありますか?」
男は静かにそう言った。
彼女が選んだのは、サンダルウッドの深い静寂に、微量のベルガモット、そして彼自身の死の匂いを包み込むような、カモミール・ローマンの甘く優しい香りをチョイスした。
死の匂いは、それ単体では恐ろしいほど闇だ。しかし、適切な香料と調合すれば、植物や花たちが持つ生命力と調和し「生を全うした証」として昇華される。
環は店の奥で、彼のために調合した香水を、静かにムエットに染み込ませ、男に手渡した。男はすぐに自身の鼻先で、その試香紙を軽く揺らし、香りを確かめる。
「あー。これは…絶妙にいい香りですね。とても落ち着きます」
男はこの上なく幸せな表情を浮かべ、にっこりと笑った。
「ありがとうございました。またのお越しを…」
環はその男の背中に深く礼をして、そっと呟く。
「天使たちよ、尊き魂を共に護り給え」
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その三日後、この店の近くの交差点で、車と人との衝突事故があり、一人の男性が亡くなったと知らされる。あの男性だ。現場に駆けつけた警察官や救急隊員は、口を揃えてこう語った。
凄惨な事故になるはずの現場には、なぜか血が一滴も流れておらず、亡くなった男も穏やかな表情を浮かべていた。そこにはまるで、天国から舞い降りた使者が、そっと振り撒いたような、清らかで優しい花の香りが漂っていた。男は静かにその時を迎え、その肉体は苦しむことなく、一瞬にして死を受け入れたようだったと…。
環は静かに手を合わせ、空を仰ぎ見る。すると遠い空から、突然、わずかに小さくだが、至高の音階が彼女の耳に飛び込んできた。その時、環はふと子供の頃に聴いた、あの時の「音」に思いを馳せていた。
天使が舞い降りてきたかのような、そう、例えるなら、高い「シ」の音だ。
彼女の実家は、大きな河川の近くにあり、夜になると、海と川とが交わる場所で波が飛沫をあげた。堤防のコンクリートに打ち付ける川の水が、こぷんこぷんとうねりながら響く。窓にはすりガラス越しに川面のきらめきが美しく波打って揺れていた。
五月にしては珍しく寒かった夜、寝付けずにその音を聴いていた時、なぜかその日だけ、波音に重なるように、小さな鈴の音が、しばらくの間続いていた。きっとどこかで誰かがまた、空に昇って行ったのだと、子供ながらにそう感じていた。
環はふと我に返り、目の前に置かれた懐かしいピアノの扉をそっと開く。
彼女は震える指で、鍵盤に人差し指をそっとのせて、息を吐くとともに、その音を響かせる。
彼女は寸分の狂いもなく、音階でそれを捉えていく。天使の4097ヘルツにはほど遠いが、これは紛れもなく、怒涛の暗闇に響く命の終焉、光の中の「死」の音であった。
空には下弦の月が物寂しく頭を垂れていた。しばらく聴こえていた小さな鈴の音はいつの間にか消え、漆黒の時の中へ、月が静かに沈んでいった。
環はその夜、夢を見た。あの男が鏡の中にいる。美しく穏やかな目でこちらを見ている。環は真っすぐに歩み寄り、その鏡に手をかざすと、彼は優しい笑みを浮かべながら小さく口を開いた。
「清らかなカタルシスを…ありがとう」
環はアロマキャンドルに燈を灯す。彼女の祈りは天に届けられた。蝋燭の灯はこの部屋の中に、この部屋は色とりどりの花が咲く庭の中に、そっと敷き詰められた箱庭の、その中に。
天はいつも、環の心の中に確かにある、小さな宇宙なのだから…。
牡牛座という星座は「五つの感じるセンサーでできている」と言っても過言ではない。まさにその感性と感覚が働く生き物。そして世界に物質として形を残していく錬金術師です。美しいものが大好きで、自分を肯定する力も強く、「好き」に囲まれていると幸せを強く感じます。頑固な一面もありますが、周囲の空気を読んだり、相手の気持ちを慮ることを得意としています。自分の直感を信じて行動できるかが、大きな鍵となります。
二つ目の星の部屋が、物質に触れていく幼い子供ならば、次に現れる三番目の部屋では、外から入って来る情報に反応し、自我の目覚めと他者との関係について知っていく部屋。遊びを通じて学んでいく子供時代といったところでしょうか。
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