十二星座物語(エピソード③)
三番目の星の部屋からは、都会の喧騒の中で自分を失くしていくフリーのライター、双子座の限(げん)が、突如迷い込んだ古い洋館。そこには自分にそっくりだけれど、性格がまるで正反対の聖(ひじり)の存在があった。現実社会の波に呑まれそうになりながらも、懸命に自分探しをする限を、聖は救いたいと思うようになる。互いの存在に生きる希望を見出し、それぞれの道を歩む二人の物語。
移ろいゆく万華鏡
6月の雨は突然、大きなその粒を落とし、乾いた足元にドット柄を付けていく。程なく辺りは灰色に塗りつぶされ、バサバサと音を立てて降り続く。 ゲリラ豪雨はもうこりごりだ。この季節は思考が湿気で鈍る、最も忌々しい時期だ。雨の中、舌打ちして走り出す。
「ちっ。また、傘置いてきちまった」
限は頭にカバンを乗せて、雨を避けながら、大きな溜息をついた。
6月生まれ、双子座の限は、都内で実家の酒屋を手伝いながら、フリーのライターとして生計を立てている。
昔から、救いようのないほどの雨男で、彼が外に出ると、必ずいっていいほど雨が降る。小学校の運動会も、中学校の修学旅行も、ことごとく雨。生まれたのが6月だからしょうがないかと、半ば諦めモードで今日まで生きてきた。雨は最強の相棒…と言いたいところだが、近頃の限は、その名のとおり、思いどおりにならない雨の洗礼に、我慢が限界点を超えていた。
とりあえず、雨宿りできるところはないかと、水溜まりを避けながら裏通りの方に目をやると、わずかに一か所だけ、陽だまりのような光が咲いている道が、目の中に飛び込んできた。限はそちらに導かれるようにふらりと進んだ。
いつの間にか、限は路地裏の石畳の奥にある、蔦に覆われた古い洋館の前に辿り着いた。ちょうど紅いレンガに縁どられた軒先へと、救いを求めて逃げ込む。
濡れた髪をタオルで拭きながら、顔を上げた限は、目の前に広がる光景に息を吞んだ。そこは、まるで時が止まったような、圧倒的な紫陽花の咲く庭だった。 その庭の奥、雨に濡れて、みずみずしい青を放つ花の傍に、一人の男が立っていた。 萌黄色のレインコートに身を包み、フードから覗く両の目の上に、短く真っすぐに整えられた前髪がとても印象的だった。その人物は、限を見てクスっと笑った。
「雨宿り?それとも、泥棒?」
その声は細く、子供のような幼い響きを持っていた。限は、その男の顔を見て驚愕した。
「え!?俺?誰?」
自分そっくりの顔をした人物が目の前にいる。鏡を見ているかのようなその男の出現に、限は狐につままれたような顔で、ぽかんと口を開けたまま、その場に立ち尽くした。
「やあ。よく来たね。とりま、雨宿りへようこそ!!」
なぜだろう。初めてなはずなのに、この男は警戒心もなく自分を受け入れ、どうしてそんな満面の笑みで笑うのか。その瞳の奥には、どこか少女のような純真さも併せ持っているように見えた。
「あ、いや、すみません。雨、降って来たもんで。それにしても綺麗な紫陽花の庭ですね」
「この花は、水と土が仲良しだと美しく咲くんだよ」
そう言ってくるりと向きを変えたかと思うと、萌黄色の君はそこら中に咲く紫陽花を縫うように、洋館の裏の方へ歩いていく。限はふと我に返って、引き返そうと試みたが、思いとは裏腹に、身体はその後に続いて歩いていた。
洋館の裏庭にあるドーム型の温室には、目にも鮮やかで爽やかなハーブたちが所狭しと並んでいる。萌黄色のコートを脱いでハンガーにかけた男は、限に向かってこう尋ねた。
「君、何て名前?なんだか疲れた目をしてるね」
「限。無限の限。でも、今は限界の限だな。雨にうんざりでゲンナリだ」
「わはは!なにそれ!面白い自己紹介だね」
「君はここの住人?」
「まあ、そんなとこかな。都会の空気を浄化してるんだよ。紫陽花たちがひどく汚れた空気を吸ってくれてるんだけどね」そう言ってまた笑った。
いつの間にか雨は止んで、雲間からわずかに太陽の光が射していた。
限はその時、自分の足元に真っ白なレース生地で装飾された万華鏡が転がっていることに気付いて、そっと拾い上げ、中を覗き見た。
「いろんなカタチのマルや三角が、転がりながら繋がって、まるでお花のカタチみたいになってさ、それが隣の部屋の鏡に映って、またお花が増えて、転がって繋がって…新しい模様ができるんだ。これってすごく不思議じゃない?」
万華鏡の世界は、この世で最も美しい摂理だと、その人は言った。
万華鏡をこれほどまじまじと覗いたのは何年ぶりだろう。こんな小さな筒の中で、転がりながら彩りを変える不思議なミラー。ふと、我に返った限は、その人に尋ねた。
「君、名前は?」
「聖。女の子みたいな名前だよね?」そう言って、またケラケラと笑いながら、その細く白い指でハーブを摘み取ると、慣れた手順で温かなハーブティーを振る舞ってくれた。
💐
限は自分のことが嫌いだった。都会に生まれ育ち、誰かが決めた枠の中で、ただ生かされている。取り立てて才能があるわけでもなく、誰も自分のことなんて見ちゃいない。自分が何者なのか。その問いが解けぬまま、毎日を無駄に繰り返している。そしていつのまにか、気付けばもう長い間、笑うことを忘れてしまっていた。しがないライターをやっているが、周りと比べられる社会にも嫌気がさし、思うように書けなくなっていた。
「創造の泉って知ってる?次から次へと新しいアイデアが湧きだしてくるところ」聖はそう言って、限が持っていた万華鏡をさくっと奪い取った。
「これ見てるとね、その泉が時々顔を出すの。ほら、溢れ出る水の精たちがはっきり見えるでしょ!」
聖はまたにっこり笑って、ウインクしながら、限に万華鏡を渡して話を続けた。
「人間たちも見えない糸で繋がってるんだよね。今日この場所で、限と会えたことは、雨がその糸を結んで繋いでくれたからさ。だから今ここに生きてることは決して無駄じゃない。限、僕を見つけてくれてありがとう」
「僕を見つけてくれて…ありがとう…か」
限は帰宅後、無我夢中でペンを走らせた。いつも灰色に見える都会の景色が、こんなに色鮮やかに輝く瞬間を、もう何年も忘れていた。万華鏡の中に見えた「創造の泉」が、どうしようもなく頭の中に溢れて止まらなかった。悩み、苦しんだ時間が嘘のように、あっという間に一つの作品が完成した。
数日後、限はまた、あの裏通りに面した古い洋館を訪ねた。すると、先日まで青く光っていた紫陽花は見事に変身し、美しい赤紫と桃色に衣替えしていた。玄関のチャイムを押すと、ゆるくカーブした栗色の髪を、ピョンピョンと弾ませて、聖が飛んでやってきた。
「やっぱ女の子だった?」
「いいや。男だけどね。うっしっし」
おどける聖に、思わず限もニヤっと笑みがこぼれる。
「今日、庭の紫陽花の色が変化してたけど…」
「あ、あれね。雲や雨の色が、空の機嫌で変わるように、花たちも色を変えるんだ。そう!僕も同じ。日によって雰囲気が変わるのだ!」
聖は「女性」として生まれたが、その心は常に「男性」であることを望んでいた。あるいは、そのどちらでもない、もっと自由な存在でありたかった。 彼にとって、この紫陽花の庭は、誰からも定義されない、唯一の自由な場所であり、彼の中で変化していくキャンバスそのものだった。
限は聖の、そのウィットでユーモラスな姿に次第に惹かれていった。限自身も、自分の中の「二面性」には薄々気付いていた。 社会に合わせて仮面を使い分け、本当の自分を隠して生きてきた。 そこへ、顔はそっくりだけど、自分とは正反対の聖が現れ、性別という枠さえも超えて、自分自身をありのまま表現しようとする姿に、限の心は大きく揺れ動いた。同じ時間を生きていて、なぜこんなにも違うのか?聖の屈託のない笑い声が切なく響き、羨望の眼差しを向けながら、嫉妬さえも抱いた。
「僕ね、家族居ないんだ。もともと施設に預けられてたから」
「俺も両親が自営業でさ、店やってたからいつも一人だったよ」
二人は、雨の音に包まれながら、互いの孤独を分かち合う。
「君はいいよな。自らの生きる場所を見つけて、自由に生きられて…」
限が聖の頬に触れると、彼女は一瞬、少女のような顔で赤面したが、すぐに笑って口笛を吹きながら顔を背けた。
🌼
梅雨明けが近づいたある日。 限が洋館を訪れると、聖は真っ白な紫陽花の前に立っていた。 聖も白いTシャツに真っ白なデニム姿。これまでで最も自然体なその姿に、かえって醸し出される女性らしい魅力と、人間としての真の美しさを感じた。彼が持つ確かな軸がそうさせているのだろう。
「限。僕は、ここを去るよ。もともと、ここでの仕事はこの時期だけなんだ」
聖は、限に一輪の白い紫陽花を渡して言った。
「紫陽花の色は、土の酸性度で変わる。でも、この白だけは、何色にも染まらないんだよ」
聖は、誰かの望む男性や女性になるのではなく、「何色にも染まらない白」である唯一無二の自分として生きることを決めたのだった。
「限のおかげで、楽しい思い出ができたよ」
「ねえ、また会える?」
限の問いに、聖は何も言わないまま、今までで一番美しく清らかな笑顔ではにかんだ。
6月最後の日、降り続いた雨が止み、空に虹が架かる頃、聖は姿を消した。 限の心には、聖が残した白い紫陽花のように、揺るがない強い決意が深く根付いた。鏡に映る自分を見つめながら、分離していた自分の中に、白い紫陽花が戻って来た感動を、物語として創造し続けることを胸に堅く誓った。
転がり続け、形を変えていく万華鏡のように、二度と同じ模様には、きっと出会えないのだろう。それでも、いつか、どこかで。
双子座の二面性。それはまさに陰と陽。笑ったかと思えば、次の瞬間、突如涙に暮れる。様々な表情が顔を出す。これは風の星座特有の「フットワークの軽さ」であり、同時に知的な賢さでもあると考えます。
自分の魅せ方を知っている。生きながらにして身に着けた「知性の高さ」と「コミュニケーション能力」により、人と上手く関わることが得意な人物です。また、普段とは違った姿を見せる、いわゆる「ギャップ」がその人の魅力であるということ。それを体現している星座だとも言えます。
次の四番目の部屋では、そんな人と人が集まって創る「家」という小さな枠組みの中で、蟹座の支配星である「月」と共に物語が展開されます。
#創作大賞2026
#ファンタジー小説部門
#双子座第3ハウス
