バイオプロセス論文を読む CHO細胞株開発の進化 その5
みなさん、こんにちは。
現在、医薬界では抗体医薬品が全盛期を迎えているように思います。その抗体医薬品を製造するためには、抗体を効率的に産生するCHO細胞株を開発する必要があります。その際に、目的の抗体遺伝子をCHO細胞のゲノムに組み込むのですが、その遺伝子の導入方法に進化が起きています。その技術進化について、”The new frontier in CHO cell line development: From random to targeted transgene integration technologies”という論文で詳しい説明がなされています。論文のURLは以下の通り。
https://doi.org/10.1016/j.biotechadv.2024.108402
このNoteの投稿では、この論文を少しずつ着実に読み進めて行き、最終的にはその技術進化について理解することを目的としています。今日はその5回目の投稿で、2.1 Clonal characteristics of CHO cells after random transgene integration(ランダム遺伝子導入後のCHO細胞のクローン特性)という項を読んでいきます。なお、過去の投稿のリンクは以下に貼り付けておきます。
バイオプロセス論文を読む CHO細胞株開発の進化 その1|辻 融 Ph.D | Biopharma & Sales Development
バイオプロセス論文を読む CHO細胞株開発の進化 その2|辻 融 Ph.D | Biopharma & Sales Development
バイオプロセス論文を読む CHO細胞株開発の進化 その3|辻 融 Ph.D | Biopharma & Sales Development
バイオプロセス論文を読む CHO細胞株開発の進化 その4|辻 融 Ph.D | Biopharma & Sales Development
それでは今日のところを読んでいきましょう。以下が全訳です。
2.1 ランダム遺伝子導入後のCHO細胞のクローン特性
RTI(Random Transgene Integration)を用いた細胞株開発では、発現カセットが宿主細胞ゲノムへ無秩序に導入され、トランスフェクションおよび選択のプロセスによって、非常に不均一な細胞プールが生成されます(Pilbrough et al., 2009)。前述の通り、CHO細胞はクローン間で大きなばらつき(inter-clonal variance)を示し、それにより表現型が著しく多様化します(Pilbrough et al., 2009)。その結果、性質が大きく異なるクローンを区別する必要が生じ、それには数千のクローンを分取し、それぞれを個別に培養して評価する必要があります。
この表現型の多様性は遺伝的多様性に基づいており、両刃の剣として働きます。すなわち、大きな利点をもたらす一方で、所望の特性を持つクローンを見つけ出すために、広範なスクリーニング作業の必要性を生じさせます(Jamnikar et al., 2015)。
直線化された発現プラスミドが宿主ゲノム内の複数の部位にランダムに挿入されることで、遺伝子セットの発現が予測困難となり、特定の遺伝子がダウンレギュレーションされたり、アップレギュレーションされたり、あるいは完全にサイレンスされる可能性が生じます。こうした変化は、トランスフェクトされた細胞内で生じる組換えイベントに起因します(注1)。このような現象により、10 g/Lという高い組換えタンパク質生産量と速い増殖速度を示す高生産性のクローン細胞株が得られる場合もありますが、一方で、発現された組み換えタンパク質の品質特性(注2)には多様性(ばらつき)が見られることがあります(Wang et al., 2017b)。
注1)トランスフェクションにより外来DNAをCHO細胞に導入すると、そのDNAが宿主のゲノムに統合される過程で、様々な“意図しない再構成”が起こることがあります。このような再構成・再配置・断片化などの一連の現象が「組換えイベント」です。

注2)組み換えタンパク質の品質特性とは
医薬品の安全性・有効性・安定性に影響を及ぼす、測定可能かつ管理すべき製品の性質。ICH Q6Bでは、これらは「仕様(specifications)」を設定する際の基準となると明記されています。
以下に具体例を示します:





なぜ“品質特性”が重要なのか?
製造プロセスによって品質特性は変化し得る
(例:細胞株の違い、培地、温度、培養時間)
品質特性の変化は、有効性の低下、副作用リスク(例:免疫原性)、規制違反・ロットリジェクトに直結する。そのため、CLD(細胞株構築)やプロセス開発段階で、titerだけでなく品質特性も厳密に評価する必要があるのです。
さて、続きを読んでいきましょう。
たとえば、ランダムにトランスフェクトされたクローン細胞株における組換えタンパク質の生産性はガウス分布に従っており、商業生産に適したレベルで組換えタンパク質を作れるクローンは、全体の中でもほんの1〜2%程度しか存在しません。(Tihanyi and Nyitray, 2020;Yang et al., 2022)。そのため、生産性や増殖性を評価するには、数百ものクローンをスクリーニングする必要があります。しかも、トップクラスの生産性を示すクローンであっても、予め想定された品質プロファイルを兼ね備えた抗体を産生するとは限りません。
それにもかかわらず、RTIによって生じるこのような不均一性には利点もあります。それは、多様な細胞プールの中に、所望の特性を備えた幾つかのクローンが含まれている可能性が高いという点です(Yang et al., 2022)。
産業界ではRTIベースのCLDワークフローの最適化に多大な努力が払われているものの、依然としてこのプロセスは非効率で、手間と時間を要するのが現状です。さらに、トランスフェクションおよびランダム導入によってDNAに二本鎖切断が生じ、それが不完全に修復されることで点突然変異や配列変異が生じるという問題もあります(Tihanyi and Nyitray, 2020;Zhang et al., 2020a)。
RTIのもう一つの欠点は、直線化された発現プラスミドがコンカテマー(concatemers)として宿主細胞のゲノムに導入されやすい傾向にある点です(Clappier et al., 2023)。コンカテマーとは、同一のDNA分子が連結されており、それが同一のゲノム部位に統合されるものです。これらの繰り返し配列は、遺伝子再編成や組換えのホットスポットであり、導入遺伝子コピー数の消失を引き起こす要因ともなります(Clappier et al., 2023;Rajendran et al., 2021b)。CHO細胞は遺伝的に不安定であることがよく知られており(注3)(Jamnikar et al., 2015)、コンカテマーはこの不安定性を助長します。すなわち、当初は高い組換えタンパク質生産能を示すクローンであっても、増殖特性の変化や製品品質属性のばらつきが時間とともに現れるリスクが高まるのです(Kim et al., 2011;Paredes et al., 2013)。
また、高レベルの外来遺伝子発現は細胞にとって大きな負担となるため、発現レベルが低いクローンの方がより多くの成長資源を保持し、増殖の速いクローンとして、他のクローンを凌駕する可能性があります。その結果、細胞集団全体の性能が時間とともに低下する恐れがあります。さらに、コピー数の喪失のメカニズムは完全には解明されていないため、あるクローンが導入配列を維持できるかどうかを予測することは難しく、その安定性を評価するには、時間を要する安定性試験を実施しなければなりません(Jamnikar et al., 2015)。
遺伝的不安定性に加えて、RTIベースのCLDアプローチでは、表現型の不安定性にも悩まされます。すなわち、細胞株においては導入遺伝子のコピー数が一定であるにもかかわらず、組換えタンパク質の発現量が時間とともに低下していく現象です(Kim et al., 2011)。このような現象には多様な経路が関与しており、予測も制御も困難です。特に、プロモーターのメチル化やヒストン修飾といったエピジェネティックな変化が関与しており、それによってプロモーターのアクセシビリティや活性が変化し、結果的に組換えタンパク質発現の持続性が著しく低下します(Jamnikar et al., 2015;Veith et al., 2016)。先行研究でも報告されているように、モノクローナル細胞株の生産性低下の主因はプロモーターのメチル化であるとされています(Osterlehner et al., 2011;Yang et al., 2010)。とりわけ、表現型の細胞株不安定性は、商業生産には適さないと判断されるため、CLD(細胞株構築)におけるクローン選別プロセス全体の中で、細胞株が候補から除外される主な理由の一つとなります。
注3)CHO細胞の遺伝的不安定性とは?
CHO細胞は以下の点で遺伝的に不安定とされています:
染色体異常
染色体数がばらばらで、欠失・重複・転座などが頻繁に起こる。導入遺伝子の再構成・脱落
外来DNAが断片化されたり、時間とともにコピー数が減少したりする。表現型の変動
プロモーターのメチル化などによって、遺伝子発現量が変化しやすい。
この不安定性のため、生産性や品質が長期間にわたって安定しないリスクがあります。
そのため、製造には厳格なクローン選別と安定性試験が必要とされます。
最後に、今日の項を簡潔にまとめます。
RTI法では発現カセットがランダムに導入されるため、クローン間で表現型が大きくばらつく。
高生産性のクローン(例:10 g/L)は得られるが、品質特性の一貫性には課題が残る。
高性能クローンは全体の1〜2%程度であり、さらに品質要件を満たすものはごくわずか。
多コピー導入やコンカテマー形成が起こりやすく、遺伝的・表現型の不安定性の原因となる。
長期培養での発現低下は、**遺伝子のサイレンシング(例:プロモーターのメチル化)**によることが多い。
結果として、RTIによる細胞株開発は非効率で、手間と時間がかかる。
以上です。次回は、2.2. Advancements in RTI-based CLD workflows(RTIベースの細胞株構築ワークフローの進展)について紹介したいと思います。
それではお付き合いありがとうございました。
