サンタクロースを疑った日から――『からくり夢時計』と12歳の心
とにかく、現実ばっかりの大人にはもう、うんざりなんだ。
私は、いつから大人になってしまったのだろうか。いつから将来を見据えた現実的なことばかり、考えるようになってしまったのか。
――みんな子供の時期があったはずなのに、どうして大人は子供の気持ちが分からなくなってしまうんだろう?
そう考えていたのに、自分だって気が付いたら大人になってしまっていたのだ。自分でも気が付かないうちに「そちら側」に行ってしまった私の心に、冒頭の一言は深く刺さった。
これは、小学6年生である主人公の聖時(せいじ)のモノローグだ。この本を初めて読んだのは、ちょうど聖時と同じ年の頃。それから10年以上経った今読み返すと、こんなにも12歳の揺れ動く心が描かれていたのかと驚いた。
本書のキーワードは、「夢と現実」。
あなたが「サンタクロースの正体」を知ったのはいつだろうか。聖時は小学4年生の時に知り、それ以来「現実ってのは、そういうものなんだって。」と諦念を抱きつつ、心のどこかでファンタスティックな世界を思い描くことをやめられない。そんな男の子だ。
ちなみに、私がサンタクロースの正体に気が付いたのも、これまた聖時と同じ頃。上の兄弟が中学生になった年に、その兄弟だけサンタクロースからのプレゼントが来なくなったことで悟った。夢から醒めなさい、という現実を突き付けられたかのような絶望感。それでも、非現実的なことが起こらないかなと空想するのはやめられない。タイムスリップしたり、特殊な能力に目覚めたり、箒で空を飛びたいと本気で考えていたので、聖時の気持ちが痛いほどわかる.…。
今回紹介する「からくり夢時計」は児童書だが、かつて少年少女だった大人たちにこそ響く物語である。児童書だからといって侮ってはいけない。年を取ってしまったせいで忘れていた気持ちも、年を取ったおかげで見えてくる世界もあるのだ。
あらすじ
小6の聖時は時計店を営む父と二人暮らし。冬の終業式の日、就職で家を出ている兄と電話で大喧嘩、父にも叱られ時計店の作業部屋に隠れこむ。そこで聖時は不思議な鍵を発見。古い時計に差し込むと、突如、部屋の時計がすべて反時計回りに回転しだした。やがて聖時の前には一人の同じ年頃の男の子が――どう見てもそれは12年前のお兄ちゃん。そして幼い頃交通事故で死んだ母親の姿が。聖時のかけがえのない時間が刻まれてゆく……
12歳の悩みと不安
もう1人の主人公コウちゃん
この物語のもう1人の主人公は、間違いなく聖時の兄である「浩一」だ。12歳も年が離れているので、兄弟とは言うものの、聖時にとっては「嫌でも現実を教えてくれる大人」である。「自分にも他人にも厳しくて、怖くて恐ろしくておっかなくて怒りんぼうで、とにかくうるさい」から、心の中で「鬼いちゃん」と呼ばれている。彼がいかに真面目でいつも勉強してばかりなのかを印象付けるエピソードとして、「誕生日プレゼントに電子辞書をもらって喜んでいた」ことが挙げられるほど。
聖時にとって大人とは、現実的なことばかりを言って子供の気持ちが分からない人のことで、浩一はまさに「大人」の象徴的人物なのだ。
しかしながら、タイムスリップ先の世界で出会った12歳の兄は、聖時の知っている兄ではなかった。明るくて、活発で、サッカーをしてはしゃぎまくる等身大の兄「コウちゃん」の姿は、「本当にあの『鬼いちゃん』か?」と感じるほど別人の雰囲気だったのだ。
鬼いちゃんにもこんな時期があったのだという衝撃と、なぜこうも変わってしまったのかという戸惑いを抱きながら、聖時は次第にコウちゃんと心を通わせていく。とある夜に、聖時にだけポツリと弱音を吐き出したコウちゃんの中に、自分と同じ将来への漠然とした不安や焦りを見るのだった。
コウちゃんじゃないけどさ、時々オレも不安になるんだ。周りがどんどん変わってくのに、オレだけ取り残されちゃうんじゃないかって。
って言うか、逆かもしれない。その『いろんなこと』で自分が変わってしまうのが、何だか怖い気もするんだよなぁ..…
12歳の気持ちを、もうはっきりとは思い出せなくなってしまったけれど、確かにそんな風に感じていた瞬間が自分にもあったのだと思い出される。
ずっと今のままではいられないが、変わることも怖い。
誰しもがそんな不安を抱えながら大人になるのだと、今なら分かる。でも、小学生の自分はそれが受け入れられず、大人になりたくない、なんて考えていたものだ。聖時のように、大人になること=現実ばかりで夢のない人間になることだという意識があるなら尚更だろう。
子供と大人の違い
聖時にとっての子供と大人の大きな差は、子供である自分の気持ちを理解してくれるか否かなのだ。
父子家庭で自分だけが子供として過ごしていたため、今この瞬間に夢中になれるものを同じ熱量で共有できない、気持ちを分かってもらえないことが、寂しい。そして、これから先に「いろんなこと」で自分が変わって、子供の頃に感じていた気持ちを忘れてしまったり、否定するようになってしまうことが怖いのではないだろうか。今の自分が大切にしている目の前の夢中なことや、空想の世界にワクワクドキドキする自分を、切り捨てたくないのだ。
だからこそ、現実ばかりの大人にうんざりしている。でも、そんな大人たちの言葉を間違っているとも思えなくて、心のどこかで「夢を持ったままじゃ大人になれない。いつか自分も夢と現実を割り切って、生きなければならない」と感じているのだ。矛盾した気持ちの整理がつかなくて、モヤモヤした言葉にならない思いが、先のモノローグには詰まっている。
しかしながら、そんな聖時の思い込みは、とある人物との交流を通して変化していく。タイムスリップ先の世界で、聖時がタイムスリップをしてきたことを、信じてくれる大人が現れるのだ。その人とのタイムマシンについての議論は白熱し、「空想の世界とかに興味あるやつはガキっぽいんじゃないかって勝手に決めつけてた」聖時が、「いい大人が真剣に語ってるからこそ格好いいんだ」と思えるようになる。
そして、大人と子供ではなく、1人の人間として、兄である浩一と向き合えるようになっていく。
夢を持ったまま大人になる
からくり夢時計は、夢と現実の狭間で揺れ動く少年が、夢を持ったまま大人になることを選ぶ物語だと言えるだろう。
・非現実的なことなんて起こらない
・空想の世界から卒業することが、正しい大人になること
そう切り捨てるのは容易いが、聖時は夢見る心を持ったまま大人になることを決めたのだ。
時には現実を見て、将来のために勉強をすることも必要だろう。だからといって、夢の世界から卒業する必要は全くない。むしろ、それを追及することこそがかっこいいのだと、私は思う。
私が児童書を読み続ける理由もそこにある。児童書は、いい大人が、子供たちのために真剣に書いた物語で、もうその存在自体がかっこいい。大人たちが与えてくれた夢いっぱいの世界を、いつまでも楽しみたいし、次の子供たちにも伝えていきたい。そう考える私は大人になってしまったけれど、何だかそれも悪くないと思える。それはひとえに、夢を持ったまま大人になることのかっこよさを教えてくれた、(かつて子供だった)大人たちのおかげだ。
タイムマシンにもできないこと
その時に気付くか気付かないかで、その後の未来は大きく変わるのだよ。
タイムスリップを扱う本作だが、よくある過去改変は起こらない。(タイムスリップ先の世界である)12年前に栄えていた商店街は、大型スーパーの出現により衰退の一途をたどっているし、コウちゃんが鬼いちゃんになることも変わらない。聖時は数日の間、過去に行ってまた現実に帰ってくるだけなのだ。
「過去を変えたいと思った時には、もう遅い」という言葉が出てくるが、それは同時に、未来なら今からいくらでも変えられるというメッセージである。タイムマシンにもできないことは、自分の意志で未来を変えていくこと。未来は自分次第だという、作者から読者へのエールが詰まっている一冊だ。
著者である川口 雅幸(かわぐち まさゆき)さんは、地元で三代続く時計店「時光堂」の店主という経歴の持ち主。そのため、時計に関する描写がとても細かく、リアリティと浪漫に溢れている。ぜひあなたにも、作中に出てくる様々な時計や時間の意味を考えながら、時間旅行を楽しんでほしい。
この作品の舞台である「商店街」の描写から、実際の法律や社会情勢をもとに考察し、作中で示された新しい商店街の形について書いたnoteがこちら↓
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
まだまだ拙い文章ですが、定期的に更新していくつもりです。
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