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「党首討論」すら討論になっていない?


党首討論についての動画が出ていたので、少し興味があったので見てみた。

その興味の元になっているのは以前書いた、国会は討論ではなく質問なのかと言う内容を書かせていただいた記事である。

結局、国会は政治的なアピールの場としてみられていることが多い、
また、立法府→行政府の一方向の質問になっているという構図だった。
にもかかわらず、行政府=与党という視点や、質問は与党に向けた質問をメインに据える。

討論形式にならない構造になっているということであった。

じゃあ、党首討論とは討論になっているのか?
おそらく、現状ではなっていないのではないか、そんな観点から動画を見てみました。

動画内容の要約まとめ、その後に考えた内容を今回の整理として綴りたいと思います。



1. 「討論」と言いながら、実際は“短時間プレゼン大会”になっている

これは出演者ほぼ全員が共有してましたね。
今の首相討論は、

  • 総時間45分

  • 野党が多党化

  • 持ち時間が数分単位

  • 総理が長く答えると終わる

ので、実態としては

「相手と噛み合う討論」

ではなく、

「限られた時間で支持者にどう印象を残すか」

に近い。
だから途中で出ていた、

「CMみたいに細切れで面白くない」

という感覚はかなり本質的です。
一方で、泉健太氏が言っていたように、

“短いからこそ凝縮されている”

という面もある。
これは実際そうで、各党とも
「この数分で何を国民に刻むか」
を考えてくるので、ある意味では“政治のショーケース”なんですよね。

だから制度としては、

  • 深い政策議論の場
    ではなく、

  • リーダーの力量を見せる舞台

に近づいている。


2. 「パフォーマンスでいい」という開き直り

ここ、かなり重要でした。
普通、日本では「パフォーマンス」という言葉は悪口っぽく使われがちですが、この番組では逆に、

政治はそもそも国民に“この人に任せたい”と思わせる営み

という方向に話が進いた。
つまり、

  • 行政 → 正確に運営する

  • 政治 → 国民に未来を託させる

という分離ですね。
だから首相討論は、

「政策を細かく決める場所」

というより、

「この人は国家のリーダーに値するのか」

を見る場。
これはかなり納得感があります。
特に泉氏が言っていた、

「予算委員会では総理も役所に守られている」

という話。
党首討論は答弁書なしなので、

  • その場の反応

  • 覚悟

  • 決断力

  • 動揺

  • 逃げ方

まで全部見える。
だから実は、
「政策論争」というより、
かなり“人格査定”に近い。


3. 日本人はそもそも「討論」に向いていないのでは?問題

ここが一番深かったかもしれません。
内山氏や呂布カルマ氏が言っていた、

日本は“ディベート文化”ではなく“筋を通す文化”

という話。
これ、かなり重要です。
欧米型ディベートって、

  • 相手の立場も理解する

  • 状況で立場を変える

  • より合理的な結論へ移動する

のが前提。
でも日本では、

「一度言ったことを変えない」

こと自体が“誠実さ”になりやすい。
だから、

  • 柔軟に意見修正する政治家
    より、

  • 絶対に折れない政治家

の方が支持されやすい場面がある。
これはネット文化とも結構繋がってますね。
番組内でも、

「フォロワーがいるから負けられない」

と言ってましたが、今のSNS空間って、
“議論”ではなく“陣営戦”になりやすい。
なので、本来ディベートとは、

「見ている人に複数視点を提示する技術」

のはずなのに、
現状は、

「俺はこっち側だ!」

の応酬になりやすい。
これは首相討論だけの問題じゃなく、
日本の政治言論全体の問題かもしれません。


面白かったのは「ラップバトル化」案

呂布カルマ氏の話、冗談っぽいけど結構本質でした。

  • 時間制限

  • 即応性

  • 相手の発言への返し

  • 会場の空気

  • 観客採点

って、実は討論に必要な要素かなり入ってる。
しかもラップバトルって、

「台本では出ない本音や瞬発力を見る」

文化なんですよね。
だから、

「党首討論は政治版ラップバトル」

という見方は、案外的確。
特に、

長く喋るとリズムが壊れる

という指摘はかなり現代的で、
今の視聴環境とも合っている。


結局、党首討論は必要なのか

番組全体としては、

「今の形には問題がある。でも必要。」

という結論だったと思います。
理由はシンプルで、
予算委員会では見えない、

  • 総理個人の胆力

  • 即応力

  • 本音

  • 政治決断

が見えるから。
特に、

「ここで解散を言うかもしれない」

みたいな緊張感は、
党首討論独特なんですよね。
だから制度としては不完全でも、

“国家リーダーの公開査定”

としての意味はまだ残っている、
という話だったように見えます。


■今回の整理

この動画を見ていて、呂布カルマ氏の口がうまい奴が偉いみたいになっていいんですか?って言うのが面白かった。

ラップバトルって口のうまさを争っているようで、背負っているものと言葉両方で戦うのものだからなあ….なんて、横道にそれた感想が先に立った。

じゃあ、本当の興味であった党首討論の意義ですが、
政治的アピールだけでもいいんじゃないかという結論に向かっていったのは、あまり面白くなかった。

また、日本にはディベート文化がない→だから党首討論もうまく機能しない。

という方向で話していましたが、因果を逆から見ることもできる。
つまり、
“トップ政治家が討論していないから、社会全体に討論文化が根付かない”

国会というトップ政治家が集まる場所が文化を言い訳にする意味はちょっと薄い。むしろ、文化を引っ張っていく場ではないのか…そう考える。

もっと時間をとって、議題ごとに分けるとか色々工夫はできるのではないかと思う。

議席数が時間に反映された質問形式では、結局政治的アピールの場になるのは必然だと思う。
番組内で、総理の負担が大きくなりすぎるために時間は長くしたくないと言うのは当然だと思った。

であれば、国会の委員会は立法府→行政府の形式なのだから、
こちらの方の負担を抑えた方が良いのではないだろうか。
ここで深められなかった内容を議題にするなど、工夫は全然できると思う。

現状の形式を前提にしすぎているような気はしてしまった。

バチバチに討論する党首討論は、選挙前の特番より面白そうだし、
見てみたいと思いました。


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