第4回 私が国語学に興味を持った理由
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私が国語学に興味を持った理由
前回まで、昭和末期の女子大で受けた少し変わった国語学の授業について書いた。
『草枕』を論理式で読む授業や、論理記号が並ぶプリント。
文学作品を論証として読むという、今思い返してもかなり独特な授業だった。
しかしそもそも、私はなぜ国語学をやろうと思ったのだろうか。
少し昔の話から書いてみたい。
テレビで見た国語学者
子どものころ、テレビで学者がクイズに答える番組を見たことがある。
数人がある問題に対して答えるのだが、誰かはうそをついている。それが誰かを当てるという形式だったように覚えている。
その中に、国語学者の金田一春彦という人が出ていた。
とても穏やかな話し方をする人で、声も小さい。
そのせいか不思議と、どの答えも本当のことのように聞こえた。
私は子供のころから声が大きいのが悩みだったので、
「同じ学問を勉強したら、こんなふうに穏やかな話し方ができるようになるのかもしれない」
などと、今思えば少し不思議な理由で国語学に興味を持った。
当時は「国語学」って国語辞典とか作るのか~などというぼんやりとしたイメージだった。
初めて触ったコンピュータ
もう一つ理由があった。
中学生のころ、伯母の会社にあった一体型のマイコンを借りて、BASICで簡単なプログラムを書いたことがあった。
まだパソコンという言葉が一般的ではない時代で、画面に自分の時間割を表示するような簡単なものだったが、それでもコンピュータには少し興味を持った。
現代語文法を統一したい
高校生のころ、外山滋比古の本を読んで、現代語文法にはいくつもの説があり、統一された体系はまだないという話を知った。
古典文法は体系が学校で習うものでほぼ統一されているのに、現代語文法はそうではないらしい。
大学では後に「四大文法」と習うことになるものだが、当時の私は
「文法がいくつもあるのはおかしいのではないか」
と思っていた。
誰かが整理して統一する必要があるのではないか。
それなら、私がやりたい。
そんな大それたことを、本気で考えていた。
大学案内で見つけた日本語処理
そんなとき、大学案内の中に
「日本語をコンピュータで処理する研究」
という説明を見つけた。
当時はまだ「自然言語処理」という言葉は一般的ではなく、言語の機械処理といった書き方だったと思う。
日本語をコンピュータで扱うには、文を単語に分けたり、文の構造を解析したりする必要があるはずだ。
今で言う形態素解析や構文解析のようなものを、当時の私はぼんやり想像していた。
まだ意味処理まで考えていたわけではない。
もしそういう研究があるなら、語のしくみ、つまり文法が統一されていて、例外がない状態じゃないと、コンピュータでは整理できないはず。
ならばこの形式は現代語文法を整理する近道になるのではないか。
そう思って、この大学を受験した。
入学してみると
ところが入学してみると、現実は少し違っていた。
私がテレビで見た金田一春彦は、山の手育ちの穏やかな学者だった。
しかし大学で出会った、恩師である水谷静夫先生は、浅草生まれの江戸っ子である。
声は大きく、発音ははっきりしていて、授業もかなり厳しい。
しかも授業では、集合論や述語論理、さらには確率や統計の話まで出てくる。
水谷先生は計量国語学の研究者だったので、言語を統計的に扱う発想も重視していたのだと思う。
ただし私は私大文系の悲しさ、高校で「確率統計」を取っていなかったので、この部分は正直ほとんど理解できなかった。
プリントは残っているのだが、今見返しても難しい。
もっとも、その先生の授業は、後になって振り返ると非常に印象に残るものばかりだったのだが。
「声の小さい上品な学者になりたい」
からは程遠い授業、程遠い内容だった。
結局、今も私は声が大きい。
次回・日本文学科には「水難落石」という言葉があった
日本文学科の学生の間には、
「水難落石」
という言葉があった。
もちろん自然災害の話ではない。
国語学と古典文学の、とても厳しい先生の名前から来ている学生の俗語である。
次回は、この「水難落石」という言葉について書いてみたい。
