机の上にあった




世の中には不思議なことがたくさんあるが、その中でもとくに不思議なのは、我が家にアマゾンのアカウントが二つあることである。
いつ作ったのか、誰が作ったのか、なぜ作ったのか。何ひとつわからない。わかっているのは、二つあるという事実だけだ。まるで、朝起きたら玄関に知らない靴が一足増えていたようなものである。
ことの発端は今朝だった。夫が、なんでもない顔をして言った。
「カートに入れたけど、買えなかった」
私は台所にいたのだが、その一言で手が止まった。買えなかった、とはどういうことか。カートに入れたのなら、あとは押すだけではないのか。というか、そもそもどっちのアカウントで入れたのか。
そう、ここで二つのアカウントが立ち上がってくるのである。
片方は使っているアカウント。もう片方は、使っていない、というより、存在自体を忘れていたアカウント。どちらがどちらなのか、正直なところ私にもよくわからない。夫はもっとわからない。夫は「そんなの作ったかな」と言った。作ったのである。少なくとも、私は作っていない。
こうなったら消すしかない。私はスマホを握りしめ、退会の方法を調べはじめた。
ところが、これが出てこない。「アマゾン 退会」で検索しても、出てくるのは似たような説明ばかりで、肝心のボタンにたどりつかない。どうやら退会というのは、こちらから申し出て、送られてきたメールの中の手続きを踏まないとできないらしい。
では、そのメールはどこに届くのか。
……そこが、わからないのである。
アカウントが二つあるということは、メールアドレスも二つあるということだ。使っていないほうのアドレスに退会メールが届いたとして、私はそれを開けるのだろうか。開けなかったら、そのアカウントは永遠に生き残るのではないか。そして誰かがまた、そこで買い物をしてしまうのではないか。
私はスマホを持ったまま、しばらく怒っていた。
アマゾンよ。何億人も相手にしておいて、辞めるときだけこんなに難しくするのはどういうことか。入るときは玄関を大きく開けておいて、出るときは裏口の場所を教えないようなものではないか。私は台所に立ったまま、アマゾンに向かって拳を振り上げていた。
言うまでもないが、アマゾンは私に気づいていない。
そういえば、うちには同じものが二つあることがよくある。買った覚えのない乾電池が引き出しに二種類あるし、ハサミにいたっては何本あるのか数えたこともない。片方をどこかにやってしまって、探すのが面倒で、また買う。そしてしばらくすると、最初のほうが妙な場所から出てくる。あれと同じことが、今回はアカウントで起きているのだ。
我が家では、物が増える理由はいつも同じである。探さないからだ。
話を戻すと、私はひとしきり怒ったあと、ふう、と息をついて、居間のほうへ歩いていった。
そして、机の上を見た。
旅行の本が、二冊、置いてあった。
数日前に、買ってあったのである。
私は本を持って夫のところへ行った。夫はちらっとそれを見て、こう言った。
「そういうこともある」
平然としていた。まったく、いやはや、平然としていた。
私はしばらく本を持ったまま立っていたが、そのうちに何を怒っていたのかわからなくなってきた。アカウントは今も二つある。退会の方法は、結局わからないままだ。旅行に行く予定も、まだ、ない。
*マンガは新宇佐美式で描きました
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