魂はトーラスの形?
醤油を飲んで徴兵を拒否した祖父
小学校5年の終わり頃、祖父が亡くなった。ある朝、母親のうろたえた声で目を覚ます。
「お父さーん!!お爺さんダメんなっちゃった!!!」
尋常でない慌てぶりと、<ダメになった>という不自然な言葉の組み合わせが、事態の重さを一瞬で伝えていた。死という言葉を避けながらも、その回避が逆に子供の僕に現実を悟らせた。
階段を降りると、父が涙目で声を震わせた。
「お爺ちゃん死んじまったわ。」
心臓が悪かった祖父は、いつも首からニトロをぶら下げていた。だが薬を飲む間もなく、ほぼ即死だった。小瓶は締まったままで、倒れて頭を打ったわりに、とても安らかな死顔だった。
葬儀には大勢の人が集まり、多くの人が泣いていた。僕は後にも先にも、あれほど皆が泣いた葬式を見たことがない。祖父は甘いものが好きで、純露という飴を常に持ち歩き、出会う人に配っては世間話をしていた。
戦争のとき徴兵されたが、人を殺したくない一心で醤油を一気飲みし、体調不良をわざと誘発して戦地行きを免れた。都市伝説のように語られるその行為を、祖父は実際にやってのけたらしい。当時なら非国民扱いだっただろうが、今の僕はその血を誇りに思う。
祖父の夢と初七日
亡くなって一週間後、初七日の朝。祖父の夢を見た。祖父の離れの部屋は、今や僕のゲーム部屋となっていた。夢の中で祖父が言った。
「悪いけど、部屋ちょっと掃除してくれないかな?」
目覚めた僕は、お菓子の袋で散らかった部屋をすぐに掃除した。それ以来、その部屋を使うときはなるべく片づけを心がけた。
四十九日に見た光のドーナツ
春の日の午後。四十九日の法要を終え、いつものように祖父の部屋でゲームをしていたときだった。目の前がチカチカし始めた。最初は「ゲームのやりすぎかな」と思い目を擦った。だが光は消えず、テレビの方から近づいてきた。
それは赤、青、緑、金色といった光の粒が輪になったもの。ドーナツ状に循環し、内側から外側へと色が回転していた。やがてそれは僕の体をすり抜け、後ろの窓の外に抜けて消えた。怖さはなく、むしろ美しいと思った。
夕飯の支度をしていた母に話すと、母は神妙な顔で言った。
「きっとお爺ちゃんが最後にお別れに来たんだよ。」
叔母はさらに補足する。以前、タイ人の友人が「初七日の法要で掌に金粉が現れた」と話していたという。何人も同時に目撃し、布で拭くとそこにも金粉が残ったのだと。仏教か何かは分からないが、それを見た人は守られると言われているらしい。
僕は説明した。僕が見たのは粉ではなく、ドーナツ状に循環する光の粒だったと。金や赤や青、緑、紫……すべての色が巡りながら光っていたと。叔母は首をかしげつつも、「やっぱりお別れだったのよ」と言った。大人たちはそれ以上追求せず、母が「とりあえずお線香を絶やさず、掃除をしっかりしなさい」と場を締めた。
フリーメイソンの考える宇宙の形
この循環するドーナツのような形をトーラスと呼ぶのを知ったのは、ここ数年のことだ。銀河や惑星の磁場、りんごの形、磁石の周りに砂鉄をばらまいたときに現れる模様――いずれもトーラスの姿をしている。
最近になって調べるうちに、もしかしたらこれは魂の形なのかもしれないと考えるようになった。フリーメイソンの哲学では、外側が一万二千年、内側も同じく一万二千年、合計二万四千年のトーラス型宇宙に我々は囚われており、そこから抜け出すには正十二面体の謎を解く必要があるとされているらしい。宇宙のミクロとマクロがフラクタル構造にあるのだとしたら、人間の魂もトーラス型をしているのかもしれない。十二〇〇〇年という数字は、あらゆる神話や都市伝説で語られる世界的大破局の時期(アトランティスの崩壊やノアの洪水など)、さらには地球の歳差運動ともリンクしている。
それから、かなり<アタオカ>な正十二面体についての話。僕はこれを聞いて<ローマの中空十二面体(Roman dodecahedron)>を思い出した。西ヨーロッパの一部の地域でのみ出土すると言われる、用途が未だ持って不明の空洞の十二面体の置物。この模型は、縄文土器と同じく、その多くが破損した状態で発見されている。もしかしたら、魔術的な儀式でこの模型を使って魂を召喚していたのではないか?と何となく思うのだ。
フリーメイソンをはじめとした秘密結社は、古代より幾何学を研究してきた。フリーメイソンのシンボルマークのGには、様々な意味が込められているが、Geomatory(幾何学)もその一つだ。宇宙の形が十二面体という、この考えは古代ギリシャのプラトンも言及していたものだ。そして、プラトンは<エレウシスの秘儀>をはじめとした様々な秘密結社に所属していた事がわかっている。
叔母の四十九日の夢
僕が祖父の部屋で見たトーラスが、祖父の魂であったのかどうかは定かではない。ただ、神秘体験の類がそれぞれの信仰に翻訳される形で現れるのは普通だと今は思っている。日本では、四十九日の日に不思議な現象を体験したという声はとても多い。
この話の前半に出てくる叔母が去年他界した。その四十九日の日、最も親交の深かった叔母のいとこが不思議な夢をやはり見たという。二人は本当に仲がよく、しょっちゅう長電話でいろいろな話をしていた。叔母の死後数週間、その習慣がなくなって、とても寂しい思いをしていたそのいとこ(僕からすると叔母B)が何度か不思議な夢をみる。すごくはっきりした夢で、叔母がいとこの叔母Bに「元気を出して前向きに生きるように」と諭す夢だったそうだ。その夢で起きては、叔母Bは余計に寂しい思いになっていた。叔母の四十九日の日、また同じように夢に出てきてこう言ったという、
「じゃあね。もう次の世界に行かなくちゃいけない時だから、元気に生きていくんだよ。」
「どこにいくの?行かないでまだこっちにいてよ!」
「いや、もう別の世界に行かなければならない時が来たからさ。そんなに泣かないで、元気出して!じゃあね。」
叔母Bは泣きながら目を覚まし、その事を僕の母と父に電話で語った。
四十九日。死者の魂がこの世に留まるとされる期間。その間、死者は何をして過ごしているのだろう。僕には分からない。ただ一つ言えるのは――その時期には、生者と死者の世界がほんの少し重なり合い、互いの存在を確かめ合うような不思議な窓が開く時があるみたいだ。
