夢でついた傷(使い道のない超常体験)
ある時蘇った一番古い記憶
作家の村上春樹は、時々頭の中に蘇ってくる過去の断片的な旅行の風景を「使い道のない風景」と呼んでいる。
僕には似たような感じで、人に話すにはちょっと短いし、だからなんなの?という風な「使い道のない超常現象」の類がいくつかある。自分の感情に結びついた記憶をよく覚えているタイプのようで、3歳以降の記憶はかなりある。だからと言って、決して僕は何かの能力者だとかそういうものではない。ただ、使い道のない不可思議現象の記憶があるだけだ。恐らくその中で、最も古い記憶は「乳母車に乗っている時の記憶」だ。多分、1歳にも満たない頃の記憶なのだと思う。
「いや覚えてるわけないでしょ。」
僕もそう思う。
高校二年生のある時、授業中にぼーっと窓の外を眺めていた。夏の日差しが教室に差し込んで、運動部の練習で疲れたクラスメートの何人かは居眠りをしている。
突然、頭の中に風景が浮かんでくる。夏の日差し、乳母車の手すり、黄色い赤ちゃん服。服や手すりが汗やヨダレでベトベトでとても不快だ。不快で不快で堪らなくて泣き出した。すると母親が自分を抱きかかえてくれて、すぐに安心してまた寝た。
すると、場面は移り、今度は母親の実家の近くらしきところで乳母車に乗っている。季節は秋みたいだ。実家の前にある坂道の上、母親が乳母車から少し手を離した。乳母車はひとりでに後ろに下がり始める。もの凄い不安になって、ビャーーーーーン…..力いっぱいに泣くと、母親がすぐに戻ってきてまたあやしてくれた。
なぜ、今こんな記憶が蘇るのかまったくもって意味はわからなかった。だが、それは恐らく自分の最も古い記憶であり、これ以降はもう簡単に思い出せなくだろうという奇妙な実感があった。だからその風景で見た事をメモに書き留めた。
黄色い赤ちゃん服、紺色の乳母車、乳母車の手すりは痛んでいて、ビニールテープで所々が補修されていた。ベトベトで気持ち悪かったのは、その糊だったのかもしれない。
家に帰って母親にその事を話すと、何枚かの写真をもって来た。そこには、確かに黄色い赤ちゃん服を着た自分、手すりの傷んだ紺色の乳母車が写っていた。
僕がこの写真を、それ以前に目撃している可能性は十分にある。記憶違いなのかもしれない。でもあの、不快感やどうしようもない不安感は、今でも生々しく覚えている。
サメに食べられる夢
僕の太ももには、あずき大ぐらいの傷跡が子供の時からある。恐らく、まだ幼稚園に通い始めるかどうかの頃の話、とある夢を見た後にまるで身体に浮かび上がるように現れた。
当時、実家に一緒に住んでいた叔母の部屋で一緒にテレビを見ていた時のことだった。叔母の膝の上で、耳かきをしてもらっているうちに夢に落ちた。
夢の中では、叔母と一緒に実家の庭にいた。そこには当時、石で出来た鉢のようなものがあり、中には二匹のザリガニがいた。幼い僕は、ザリガニのハサミが怖くてひとりでは近づかないようにしていた。夢の中で叔母に手を引かれて、少し怖がりながらその鉢の中を覗き込んだ。
瞬間、周りの風景が突然港の桟橋に変わる。ザリガニが入っている鉢の、何倍もの大きさがあるサメが中から飛び出してきた。周りは実家ではなく、海に変わっている。サメは中空何メートルもジャンプし、その口が僕の足を目掛けて落ちてくる。
そしてそれが足に食いついて、強烈な痛みで飛び起きた。
叔母は、飛び起きた僕を見てびっくりしている。
「どうしたの?」
僕が泣きながら、
「足無くなっちゃった。」
というと、
「足あるよ?大丈夫だって。怖い夢見たんだね?」
と叔母が答える。確かに足はある。でも何故か、太もものあたり全体に痺れるような痛みを感じる。
「でも足痛い。」
と僕が答えると叔母は、
「大丈夫だって。なんともないよ。ほら、見せてみ?」
と、僕がさすっている右足のズボンを太腿まで捲し上げた。最も違和感を感じるのは、太腿の中心あたり。するとそこに、銀色の魚の皮のようなものが張り付いている。
「なにこれ?ごみ?」
「サメに足食べられちゃった。」
という僕の言葉にはなにも答えず、叔母がピンセットを持ってきた。その鱗のようなものをピンセットで掴むと叔母は、
「痛くない?」
と僕に聞いて来た。痛みはなかった。
「痛くない。」
叔母が鱗を剥がす。
「いつ怪我したのここ?だいぶ前かな。」
そこにそれまで見た事の無かった傷跡、もう治った古傷がついている。記憶にない、新たな古傷が現れたのだ。あずき大のしっかりした傷跡だし、あの年頃までの怪我であれば確実に記憶に残る規模だ。
しかし、ここを怪我した記憶は両親を含めて誰も持ち合わせていない。
傷跡は今でも僕の足にしっかりと残っている。
落ちているPCからの叫び声
東日本大震災の時の事だった。当時僕は長野県にいて、その前日、働いていた会社を退職していた。なかなかのブラック企業で、そこで大分くらってしまって、心の汚れを落とそうと近くの温泉のサウナにいた。
水風呂とサウナを交互に行き来しながら、これからの自分の未来について考えていた。サウナで目を閉じて瞑想をしていると、突然めまいのようなものを感じ始めた。目を閉じているのに、世界が大きく横に動いているように感じるのだ。
「のぼせたかな。」
と思って、サウナから窓の外を眺めようとすると、
「揺れてるよね??」
と隣のおじさんが話しかけて来た。
「やっぱり揺れですか?のぼせたと思って。」
「いやー、俺もそう思ってたんだけどあの辺の岩が転げ落ちて地震だって思った。」
とおじさんは答えた。普通、地震を目眩と間違えるようなことはない。でもこの時の揺れは、明らかに今まで経験した地震の揺れとは質が違って、凄くゆっくりと、大きく大きく揺れた。だから、まるでのぼせたときの眩暈のような気持ちの悪さがあった。続いて、すぐに館内放送があり、全員ホールに避難するように指示が出た。
みな、同時に急いで着替えを済ませると、温泉のホールは客でごった返していて、
「のぼせちゃっのたかと思ってた。」
と、同じフレーズが全方向の老若男女から聞こえて来た。でもすぐにホールのテレビからは、今まで見た事のない津波の映像が流れ始めて、それらの声が悲鳴に変わっていった。
それから数日の間、僕はパソコンで昼も夜もつきっきりで被害の状況を追っていた。震災から一日か二日後の事だったと思う。昼間にうたた寝をしていると、枕元から突然大音量の叫び声のようなもので飛び起きた。起きた後も数秒間その声は続いていた。なんとも形容のし難い、複数の人の声が重なったとても苦しそうな、断末魔の叫び声のような声は僕のノートパソコンから発信されている。声はその後、すぐにおさまった。
しかし、僕が眺めているそのパソコンは電源が切れている。本体に触れてみても冷たい。
「おかしい。でも聴こえた。聴こえて、起きて、まだ鳴っていた。でもその時にもパソコンは消えていた。それなのに鳴っていた。」
時として、心霊現象は電気との関連性が指摘されている。当時、亡くなったたくさんの無念の思いが電気を通して聴こえてしまったのだろうか?
はい、サウナの話は超常現象と関係ありません。パソコンの話だけだとあまりにも短いので、直前の完全に使い物にならない不思議現象も入れておきました。でも、今考えるとそのぐらいあの地震の揺れ方には独特なものがあったのだと思う。
<使い道のない超常体験>の1は以上です。出来たらちょっとしたシリーズ物にしようと思うので、次回は<使い道のない超常体験の2>です。よかったらフォロー、いいねなどよろしくお願いします。
