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ヴィパッサナーの魔境で見たもの2(1-3日目、鼻の辺りのピラミッドと眠気と痛み、イビキ)

1日目、ひたすら呼吸の観察と眠気、痛みとの格闘

期間中は、グループ瞑想と個人瞑想の時間に分かれている。それが朝の四時半から夜の八時まで断続的にプログラムされている。それ以外は食事と休憩。入浴などはそれぞれがタイミングを見てとる。限られた設備の中で全員が同じ時間にとることはかなわない。だから状況を見て、それぞれがコミュニケーションなしにタイミングを見て入るという事になる。
さて初日の朝、外は寒い。桜の花が黄色に変わって萎れていた。まだ満開にもなっていないのに。朝のシャワーを浴びて寝不足の僕の手足はポカポカしていた。
薄暗いホールに皆が集まる。厚手の毛布と共に座布団の上に座ると今すぐに横になりたい気持ちになった。
「きっとこの中の何割かは同じ気持ちだろう」
講師の白人女性の英語の挨拶を、隣の女性が通訳する。
「初日なので皆さん当然眠気を感じるでしょう。寝てしまうのも初めのうちはある程度普通ですが、どうか気がついたら頑張って起きましょう。どうしてもお眠りになってしまった場合は、手伝いの方で起こしに参りますがご了承ください。」
と、瞑想への誘導のテープが流れ始める。呼吸の観察に集中。腹の浮き沈みに集中。
集中......。
暗黒。
暖かい...。寝ちゃう...。コックリとなってはビクッと起きる。周りからも寝息やいびきが聞こえ始める。もう、地獄...。地獄なんだけど。寝ちゃう。
本当に辛いのはまさにこの初日なのだ。この初日がとにかく全工程の中で、最も時間が長く感じる。眠気も足の痛みも一番辛い。午前中も午後も、とにかく眠気との戦いだった。ただし、昼食後に仮眠を取れる程度の休憩時間がある。最初の数日はここで皆、壮大に寝ていた。仮眠をとって午後、何か講師に質問や相談がある場合は予約帳に名前を書いておけば面談の時間がもらえる。ただし、新しい生徒のギブアップは健康上の問題や、緊急時をのぞいて許されていない。初めてのヴィパッサナーは、心の外科手術のようなものだ。途中で傷口の開いた状態で社会に戻る事は別のリスクをはらむ。心の掃除をし、社会に戻る前に傷口を塞ぎ、薬を塗る時間が必要なのだ。その為にこの十日間のカリキュラムが設定されている。
仮眠をとって午後、少しずつ眠気との戦いを覚え始める。

その中で気づいた事がある。眠気というのは僕のイメージでは、霧のように少しずつ意識の中に広がって、少しずつその存在を感じるものだと思っていた。だが実態は違った。頭がクリアで眠気などない意識の中、ゼロが1になる瞬間があるのだ。それまで全く感じていなかったはずの眠気というものが、意識の木陰に突如として現れ始める。それまでなかった、重い、濁ったものが意識の端に現れて、
「あ、いる。」
と、自覚して警戒しているうちはまだクリアな意識が勝っている。しかし、この状態でも一瞬でも気を抜くと、まるで動物用の麻酔銃でも打たれたみたいに突如として意識がブラックアウトする瞬間がくる。
あとは眠気に襲われた時に、抵抗したり力んだりしてはいけない。足の痛みに関しても同じ事が言えるが、全てそれらは抵抗している自分自身の緊張によってもたらされているのだと思う。足の痛みを克服し始めたのは、二日目の午後ぐらいだった気がする。
とにかく初日からの三日間はこの、アーナーパーナ瞑想をひたすらやり続ける。腹から鼻へ、次にはその鼻の下と上唇の間の三角地帯に出入りする空気の感触へと解像度を上げていく。ついてこれていない生徒は、正直に無理せず、その前段階の課題が理解できるようになるまで続ける。その進捗状況を毎日、講師が全員に質問する時間がある。そこで課題を理解できていない場合は、もう一度落ち着いて前の課題をゆっくりと続ける。見栄を張ったり、人に合わせて嘘を言っても自分の修行にならないので皆それぞれに受け答えをする。僕は多少の前知識もあったせいか、日に日に集中力は高まり、毎日何かしらの気づきがあった。


足の痛みには脱力で

もう一つ、足の痛みや痺れの問題。これも合宿の初期に悩まされる深刻な問題だ。人によっては、十日間ずっと克服できないままという話も聞いた。これを克服できないまま十日を過ごすって、僕としてはちょっと想像を絶する体験だし、心の底から気の毒に思った。なので、自分なりの攻略法を紹介したい。先ほど、眠気についてでも触れたが、大抵自分に心地の悪い状態を生み出している時に共通しているのは緊張、硬直なのだ。そしてその奥にあるのは恐怖、それが究極は死への恐怖ともつながっている。具体的に自分の身に起こった事をなるべく砕いて言語化しながら話そう。
二日目、三日目とアーナーパーナに集中し、鼻と口の間の三角地帯に意識を注ぎ続けると眠気は少しずつ感じる頻度が減っていった。ただ、足の痛み、痺れの類にはまだ悩まされていた。ちょっとずつ姿勢を変えたりする頻度も減らし、なるべく不動になっていく事が求められる。そうすると当然、次はこの痛みとの戦いになってくる。僕もあぐら、正座と初めのうちはたまに組み替えて試したりしたが、すぐに大多数と同じ、あぐらで行くと決めた。中には結跏趺坐(けっかふざ)という足の組み方の人もいたし、正座の人も女性にはいた。この、<ポジションを早く決める>ということもわりかし重要になる。なぜかというと、いずれは1時間半の瞑想の間、全く動かなくても大丈夫になる事も課題になってくるからだ。だからその為の覚悟の準備をしていかなくてはならない。
さて、なるべく動かないと心がけ始めた時、足首、膝、股関節と代わる代わるに悲鳴を上げ始める。これを繰り返しているうちに、僕自身がその度に重心をそらして微妙に姿勢を変えている事に気づいた。
「これはつまり、どこかで不自然な姿勢をローテーションで回しあっているので負のスパイラルが起きている。だけど、この痛む足は何を庇っている?重力に逆らって少し力んでいる。足の血の循環が止まって、放っておくと足を切断する事になるのを怖がっているのか。重力に任せて脱力をしてしまえば、きっと足にもっと負担がくると思っているみたいだ。妄想。やってもいない事で妄想して恐れている。もうどうなってもいい。試しに全部脱力。痛い足も、痛みも嫌わないで全て受け止める。」
これらの思考が、時間差なく雪崩れ込んでくる。少し背筋を伸ばしてゆっくりと呼吸をしながら、上から下まで全身を脱力した。
「足なんて知らん。」
そう思った途端、足の窮屈さが解消されて、みるみると痛みが減っていった。これ以上脱力したら、重力の影響で自分の足への負担が増えると思い込んでいた自分が原因だった。その思い込みが、少しの痛みや痺れに警戒を生み出し、それが微妙にどこかを力ませていた。結果、少し背筋が曲がったり猫背になったり、無理の出る体勢になる。脱力しようとすると、不思議と背筋が程よく伸びる。これが、定位置という事になるのだろう。
眠気も、痛みも、まずは姿勢をキープして脱力する事で、幻のように現れては消える。


食事は本当に幸せ!

そう、食事に関してはとても評判がいい。全体的に質素な菜食料理だが、味噌汁だの野菜カレーだのが日替わりで玄米と共に出される。素朴で薄めの味付けなのだが、すごく美味しく感じる。昼食は合宿中、とてもありがたい時間なのだ。バイキングのように、それぞれが自分で用意と後片付けをするようになっている。基本的に皆、欲をかいておかわりしまくるような事はしない。初日とかはたまにいるが、分量もそんなに余計に作っているわけではないらしい事がすぐにわかって察するようになる。
朝食はパンやお粥、果物など。昼食は精進料理的なものや野菜カレーなど。しっかりとした食事は昼だけだ。以降は夕方に。新しい生徒は果物などの軽食を食べる事ができる。古い生徒はレモン水かハーブティーのみだ。僕は比較的少食の人間なので、空腹についてはさほどの問題はなかった。だが人によってはここも随分と苦痛に感じるだろう。実際、同室の白人の彼は非常に苦労していそうな様子だった。


別の参加者たちとの距離感

眠気、痛み、空腹、それから人によっては別の参加者への悩みも出てくる。僕の場合は同室の白人の彼だった。いびきに関しては、二日目以降はその音をただ呼吸と共に観察する事によって眠る術を覚えていた。実際、その轟音は生半可なものではなく、後々分かった話では女子宿舎までうっすら届いていたらしい。という事は男性部屋の全てに響き渡っていたことになる。当然といえば当然だが、別の部屋にも別の歌手が存在していて、たまに複数で地獄のシンフォニーを奏でていたらしい。僕はその同室、低音担当者の上段ベッドに寝ている。別室の歌はかき消されて届かない。
「起こす」だとか、「クレームをいれる」などという<コミュニケーション>は禁止されている。しかし、あそこまで大きいと逆に早い段階でデフォルト環境として認めざるをえなくなる。大きないびきがなるたびに、硬直し、その音を嫌い、苛つきを感じそうになる自分と付き合っていてはいつまで経っても寝れはしない。だからその音と別に、自分の呼吸はなるべく一定に、脱力を心がけているうちに眠れるようにはなった。
しかし、この同室の白人の彼の存在感は日に日に増して行った。恐らく瞑想で提示される課題があまり理解できていないのだろう。日を追うごとに彼のヤンチャさ、というのだろうか?自由な、個性的な、謎な、笑いそうになる振る舞いが視界に、耳に入り、時々心が乱されるようになった。
彼の行いは時として、この満席の合宿参加者全員に試練として立ちはだかった。 →続く



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