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ヴィパッサナーの魔境で見たもの 0(プロローグ)

仏陀の瞑想法ヴィパッサナー

ここの所、真面目な口調の歴史考察ばかりしていたので、ちょっと笑える話が入ったりする思い出を書きたくなった。ヴィパッサナー瞑想合宿について。

最近、ようやくヴィパッサナー瞑想が世間で注目を浴びはじめているので、自分の体験を赤裸々に語りたい。ヴィパッサナーはブッダが悟りを開くために実践した瞑想法だ。偉そうなことを言っているが、僕も十五年近く前に十日間の合宿に二回参加した程度だ。その後、日常でも行う習慣はない。あるのは迷走の習慣のみだ。ただ、日常の中にその視点が溶け込んでいる部分は大いにあると思う。
是非、みんなに一度は体験をおすすめしたい。特に感情の起伏が激しい人には即効性も期待できると思う(個人の感想です)。

サマタとヴィパッサナー──池の底に沈んだものを見る

世の中には沢山の瞑想法があるが、お釈迦様によると大まかに二種類に分類できる。サマタ瞑想(静)と、ヴィパッサナー瞑想(観察)だ。ほとんどの瞑想はサマタ瞑想に分類される。
サマタ瞑想は、一般的な心を沈める瞑想だと思っていい。心を池の水に捉えた時に、水面が波打っていた場合は水は濁るし、池の底を見る事も出来ない。でも水面が静かであれば、一見水は透き通って底まで見える。一旦、この状態を作る瞑想がサマタだと思って欲しい。だが、この状態でも池の底に汚れはまだ沈殿している状態だ。

この底に貯まった汚れを見つめて、除去していくのがヴィパッサナー瞑想になる。その為、合宿の途上で心の中に沢山の嵐が起きる。池の底の汚れを除去する過程で、水面は荒れて泥水が表面で暴れる、そんなフェーズを体験する。仏陀は、このサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想を組み合わせる事によって悟りに至ったという。
ヴィパッサナー瞑想にも数種類のバージョンが存在する。ラベリング法とボディスキャン法だ。両方とも体験した事があるが、この両者ははっきり言って別物と言っていい。そしてそれぞれに良さがある。僕はまず、本を読んでラベリング法から始めた。

ラベリング法は、現在起きていること、またそれらが変化していく様子を集中して観察し、頭の中で声をだして「呼吸」、「歩行」のように現象をラベリングする。現在の瞬間に起きていることを単純理解し、その解像度を上げていく。とてもシンプルで沢山の本が出ているし、読むだけですぐにある程度の実践ができるようになる。
座って瞑想しているときならば呼吸に合わせて膨張、収縮する腹を観察し、「膨らんでいる、縮んでいる」という具合に。途中で何か考え事をしても「妄想」、眠気を感じたら「眠気」とラベリングし、それ以上はその事にとらわれない。あくまで物事に解釈を入れないで、すぐに現在の瞬間の観察に戻る。これを繰り返しているうちに、物凄く頭の回転が速くなったり、集中力が上がったりする。また、人と会話をしていても自分の感じていることや、相手の感じている事にも敏感になったりもする。

物質社会は、ビデオのようなコマ割りで作られているわけではない。机から花瓶が落ちて割れるまでの映像は4コマで再現する事もできるが、現実の解像度は何億コマ使っても再現をすることは出来ない。ヴィパッサナーはその数億コマ以上の意識の世界に入って、瞬間の解像度を上げる為の特訓だと僕はとらえている。

修行には環境が必要

東京の夜の公園で昔、このラベリング式の歩行瞑想というのをなるべく不審者に見られないように実践していた。しかし、東京は夜中の12時過ぎの公園でも人が必ず現れる。そして、夜の出会いはお互いの存在感を濃くする。
<ロン毛の男が夜の公園で太極拳とは違う、ただコマ送りとは比べ物にならないぐらいの遅いスピードで無表情に歩いている(分速2mぐらいだろうか?)>のを見て、不審に思われないというのはなかなかに難しい様子だった。それでも僕は、毎回それらに出くわすたびに
「この場面で雑念を消せるかどうかなどは、下の下のベーシックな状態とするべし……。」
との使命感から、中断はしなくなっていった。
しかしある時、夜泣きをあやしに来たと思われる幼い子供を連れた女性が現れた。子連れの女性が自分の子供を後ろから抱き抱え、明らかな警戒の姿勢で横を通過しようとした時に「これは無理だ」と悟った。子連れに警戒されたという現実は、僕の中で<雑念>では済まなかった。<悲しい、違う、怖がらないで、確かに、無理だろ、罪悪感>。まるで漫画バキのように色々な思いが一度に襲ってきた。僕はため息と共に歩行瞑想をやめ、公園をその親子に譲った。

修行にはまず環境が必要だ。この瞑想が開発された当時とは時代が違うのだ……。静かな環境を求めて僕はバリ島に2週間ほど旅立った。
結果、その時は瞑想など一回もせずに、地元のバリ人と毎日ビンタンビールを飲んで、バリアン(魔術師)にモテる油をもらいに行った。ずっと雑念と妄想の塊だった。

数年後にようやく十日間の沈黙へ

それから数年後、ようやくヴィパッサナー瞑想の合宿に参加する機会を得る。S.Nゴエンカ氏という人が開いたヴィパッサナー協会が主催する十日間の合宿だ。日本には千葉と京都に合宿所があり、世界で最も大きな協会がこれだ。

ここでは3日間のサマタ瞑想を経て、ボディスキャン法を使う。ラベリング法は説明も実践もシンプルなのに対し、ボディスキャン法というのは未体験の人に説明するのが非常に難しい。集中力を極限まで高め、自分の体を頭部から爪先までスキャンするように体の観察を観察していく。という事になるのだが、多分皆さん「何言ってんの?」だと思う。要は、人間の体というのは常に変化していて、代謝、老化、再生を繰り返して死へ向かっているわけだ。何も感じないようでいて、常に全身が変化している。そういう事が肌感覚として感じられるようになり、それによって現実の理解にも今までとは違う感覚がもたらされるという感じだろうか。僕は東日本大震災の少しあとぐらいの時期、まだ余震覚めやらぬ頃にこの合宿に参加した。眠け、痛み、暇、疲労、隣人。次々と立ちはだかる試練は自己との戦いだった。 続く→



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