粘土みたいにぶにゃぶにゃ生きる
だいぶ前だけれど独身シンジさんのNoteを読んで同感した。私も以前そう思ったからだ。
パートナーがいるとその人の持っている知識や、集めてくる情報や、違う世界の人脈や、もっている感覚や、いろんなことへの思いもよらない感じ方や、自分一人では知ることのできない世界を知ることが出来た。なので一人になった時は一気に情報量が激減したのを感じた。特にパートナーが違う専門分野で生きている人だったから、なんだが視界が急に狭くなって世界が見えにくくなったような気がしてものすごく不安になった。一人になってみて、いろんなことも情報もその人に頼っていたのがよくわかった。
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が、しかし、まあ一人になって30年近くたってみると、結果的には(私にとってはだが)それでよかったのかもしれないと思う。乳飲子を抱えたシングルだったのでとにかく必死で情報を集めるために外にでていき、いろんな人に聞きまくって相談をして迷って恥をかいて生きてきた。パートナーがいたらしなかっただろう失敗もいっぱいした。それを身内もいない外国で外国語で子供抱えてやらないといけなかったわけで、おかげでむりやり英語が(たぶん二人の場合より)それなりに上達し、一番不得意分野の社交性もちょっとは向上し、なによりも(自分しかいないので)自分で考えて行動するようになった(ならざるをえなかった)と思う。
目が見えなかったり耳が聞こえなかったりする人は、その部分の能力を補うという形で他の能力や機能が発達するという。脳は損傷をうけても他の部分が失われた機能を補うという。脳の可塑性というらしいが、一人になったことで、もしかするとそれが自分の人生で起こったのではないかと思っている。
脳の可塑性
"適切な刺激を与えることで神経細胞のネットワークが再構築され、損傷を受けていない部分が失われた機能を補うことができると分かってきました。つまり、脳はトレーニング次第で回復し、新しい道を切り開くことができるのです。"
一人で社会に晒されることで揉まれて、粘土みたいにどんどん形をかえさせられながら、二人でいたらもしかするとずっと眠ったままだった自分の能力とかやる気が発達してくれて新しい道を切り開いてくれたように思うし、もしかするとその可塑性をもったまま歳をとれた気もほんの少ししている。
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と、こういうことを考えるときに思い出すのが、大学時代に講義を受けた有名な政治学者の先生のことだ。卒業後だいぶ後になってから、その方は奥様がお亡くなりになった後に自ら命を絶ったことを知った。自分の一部を失って、粘土みたいに形をかえても失った部分を補うことは無理だと感じたのだろうか。あんなに聡明で、そして”強そう”だったのに。
友人(独身女性)の話も思い出す。外国の入国審査でならんでいたら、不安そうに日本人の初老の女性が近づいてきて、「自動入国審査をと通れずにこちらにならばされました。主人だけ審査を通って向こうで待ってます。自分だけで怖いので一緒について行っていいですか?」と聞かれて「この方はずっとご主人に守られて生きてきたんだな」と思ったという。
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一人でいることは大変だし、しなくてもいい失敗も寂しい思いも惨めな思いもほんとに沢山してきたし、これからもするかもしれない。でも、粘土みたいにぶにゃぶにゃと形を変えながら生きていくので案外強いのかもしれない。二人でいるのも素敵だけれど、一人で生きていくのもいい面はあるものさ、などと相変わらず私はなんでも自分の都合のいいように考える。
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昨日はリスボンでトッポギ買ってきました。
