FAX修理CE時代の赤っ恥 失敗は、あとから人を少し近づける【のぞみんさん企画】
失敗は、あとから人を少し近づける
今回は、のぞみんさんの企画
「教えて!私、こんな失敗やっちゃいました」
に参加させていただきます。
企画元はこちらです。
のぞみんさんの記事の中に、こんな一文があった。
誰かの「失敗」は、人を安心させてくれたり、癒やしたりしてくれるんじゃないかと。
これを読んで、少し笑ってしまった。
いや、笑ったというより、思い当たる節がありすぎて、遠い目になったという方が正しい。
50年以上も生きていれば、失敗の一つや二つどころではない。
棚卸しをしたら、在庫過多である。
しかも返品不可。
今回はその中から、私がまだFAXのカスタマーエンジニアをしていた頃の話を書いてみたい。
直せるつもりで現場に入った日
私は昔、FAXの修理をしていた。
大企業のオフィスから町工場、商店、病院、役所、テレビ局の裏側まで。
FAXがまだ情報の要だった時代、呼ばれればどこへでも行った。
ある日、取引先の事務所から修理依頼が入った。
「FAXが送れない」
「急ぎの書類がある」
「早く見てほしい」
そういう内容だったと思う。
こちらも若かった。
いや、若いというだけでなく、少し調子にも乗っていた。
何件も現場を回り、いろいろなトラブルを直してきた頃だった。
経験もついてきた。
工具も手に馴染んできた。
機械の音を聞けば、だいたいどこが悪いか分かるような気になっていた。
今思えば、これが危ない。
「分かるような気がする」時ほど、たいてい何かを見落としている。
現場に着くと、事務所の方が困った顔で待っていた。
書類が送れず、何度やってもエラーになるという。
私は、いかにも分かっている人間の顔でうなずいた。
「ああ、たぶん通信系ですね」
言った。
言ってしまった。
この時点で、もう負けである。

基本を見ずに、難しい方へ行ってしまう
私はカバーを開け、設定を見て、内部の状態を確認した。
通信エラー。
送信できない。
相手先との接続がうまくいかない。
頭の中では、基板か、モデム系か、回線まわりか。
そんなことを考えていた。
事務所の方は後ろで見ている。
電話も鳴る。
コピー機も動いている。
誰かが「まだですかね」と小さく言う。
背中に汗が出てくる。
私は、さらに深みに入っていった。
機械を開ける。
確認する。
テストする。
またエラー。
おかしい。
直らない。
冷房の効いた事務所で、私だけが妙に暑かった。
そして、かなり時間が経ってから、ふと足元を見た。
電話線が、違うところに刺さっていた。
FAX本体には、似たような差し込み口がある。
回線を入れるところと、電話機をつなぐところ。
その差し込みが入れ替わっていたのだ。
つまり、機械は壊れていなかった。
壊れていたのは、私の確認手順だった。
その場の空気が一瞬止まった
私は、そっと線を差し替えた。
テスト送信。
送れた。
実にあっさり送れた。
事務所の空気が、一瞬止まった。
「あ、送れましたね」
担当の方が言った。
私は、少しだけ間を置いて言った。
「すみません。最初にここを見るべきでした」
これが、なかなか恥ずかしい。
機械を開けて、プロっぽい顔をして、難しいことを考えて、結果として原因は足元の線だった。
灯台下暗し。
いや、灯台の下どころか、自分の靴の横である。
担当の方は笑ってくれた。
「まあ、直ったならよかったです」
ありがたい言葉だった。
ただ、その優しさが逆に染みた。
現場から出たあと、車の中でしばらく無言だった。
情けない。
恥ずかしい。
でも、忘れてはいけない。
そう思った。

高いところより、まず安いところを見る
この失敗は、その後かなり効いた。
修理の世界では、つい難しい原因を疑いたくなる。
基板。
センサー。
設定。
通信部品。
専門用語で説明できるものほど、なんとなく仕事をしている気になる。
でも、本当に大事なのは基本だった。
電源は入っているか。
線はつながっているか。
紙は正しく入っているか。
カバーは閉まっているか。
相手先番号は合っているか。
当たり前すぎて、見落とす。
人生も、少し似ている。
大きな不安に飲まれている時ほど、案外、眠れていないだけだったりする。
ものすごく怒っているつもりでも、本当は腹が減っているだけだったりする。
介護で気持ちが折れそうな時も、まず水を飲む、座る、深呼吸する。
そういう基本に戻ることで、少しだけ持ち直すことがある。
もちろん、人生はFAXほど簡単には直らない。
差し込み口を入れ替えれば送信成功、とはいかない。
父の介護も、母の認知症も、家族のことも、仕事のことも、そんな単純なものではない。
それでも、基本を見るという姿勢は、今も役に立っている。
慌てた時こそ、足元を見る。
難しく考えすぎる前に、まず目の前を見る。
あの日の赤っ恥は、そういう教訓になった。
失敗は、人をやわらかくする
完璧な人は、たしかにすごい。
隙がない。
美しい。
仕事も早い。
話も整っている。
でも、こちらが少し疲れている時、完璧な人の前では、なぜか呼吸が浅くなることがある。
逆に、ちょっと失敗した話をしてくれる人には、近づきやすい。
「ああ、この人もやらかすんだな」
そう思うだけで、少し安心する。
失敗は、恥ずかしい。
できれば隠したい。
なかったことにしたい。
でも、時間が経つと、失敗は少し形を変える。
自分を笑う材料になり、誰かの肩の力を抜く小さな道具になる。
若い頃の私は、失敗をなるべく見せたくなかった。
できる人間に見られたかった。
現場で迷っていない顔をしたかった。

今は少し違う。
迷う。
間違える。
忘れる。
勘違いもする。
腰も痛いし、肩も上がらない日がある。
冷蔵庫の奥から同じ豆腐が二つ出てくるような年齢にもなった。
それでも、生きている。
失敗しながら、なんとか今日も回している。
やらかした自分も、連れていく
あのFAXの現場で、足元の線を見落とした自分。
今でも少し恥ずかしい。
でも、その自分を切り捨てる気にはなれない。
あの失敗があったから、私は現場で少し慎重になった。
お客様の前で偉そうに決めつけないようになった。
難しい説明をする前に、まず基本を確認するようになった。
失敗とは、過去の自分から届く、少し雑なメモなのかもしれない。
「おい、調子に乗るなよ」
「まず足元を見ろよ」
「人はそんなに完璧じゃないぞ」
そんなことを、時々思い出させてくれる。
のぞみんさんの企画に参加しながら、改めて思う。
失敗は、誰かを笑いものにするためのものではない。
失敗は、人間の輪郭を少しやわらかくするものだ。
私も、これからまだまだやらかすだろう。
たぶん、やらかす。
いや、間違いなくやらかす。
その時はまた、少し落ち込んで、少し反省して、いつか文章にできればいい。
ゆるぎなく、まっすぐに。
ただし、足元のケーブル確認だけは忘れずに。

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